1 angel's angle (4)
一件目。
「そりゃ警察だろ警察。さっさと通報して無関係を決め込め。無関係なんだろ実際」
一時間ほど前まで一緒にいた友人は、あらましを聞くと電話の向こうで即座に言い切った。あらましと云っても全てを語ったわけではなく、自称無国籍の女の子が僕の部屋に居るんだけどどうしよう、という程度の内容だったのだが。
まぁ当然の対応ではあるよな。
二件目。
「グッドラック!」
やはり先程まで一緒に飲んでいた奴に同じことを相談した結果である。テンションが異様に高い。まだ酔いが醒めていないに違い無い。認めよう。奴に相談した自分が愚かだった。
僕は溜め息を吐く。他の連中に相談しても、返事は似たようなものだろう。こうなったら頼みの綱だ。
三件目。
やや長い呼び出し音の後、通話が繋がった。
「僕だけど。姪森さん、今、大丈夫?」
姪森さんというのは僕の親戚のお姉さんで、まぁ叔母さんみたいなものだ(叔母さんみたいなのに名前に姪が付くというのも変だけれど)。気さくな人なので、色々と打ち解けた話をする機会も多い。出版社に勤めていて、現在はグルメ雑誌『ぼるしち』(ロシア料理専門誌ではない)の編集者をしている。今は付録小冊子『ぴろしき』(テイクアウト系店舗の特集冊子らしい。やはりロシア料理専門ではない)の編集責任を担当しているとのことだった。
「やっと追い込みが終わったところ。何?相談?」
僕は暴漢に襲われた少女を部屋に匿ったこと(ニュアンスに齟齬は感じるが、間違ってはいないだろう)、彼女が見るからに外国人で、本人は自分は国籍を有していないと主張していることを説明した。
「それはちょっと只事じゃない感じね、八宏くん?丁度良かったわ。私、明日そっちに行く予定が有るのよ。取材でその辺りのお店を回ることになってて。時間の都合を付けるから私にも会わせて、その娘。」
若干の認識の相違を覚えなくもなかったけれど、僕はそれでひとまず安堵した。持つべきものは頼れる姉貴分だ。
しかし、問題は明日、姪森さんに会うまでの間、どうすべきかだった。それを相談できる相手は誰だろうか。
少し考えた末、僕はたまたま連絡先を知っていた女子の一人に電話を掛けることにした。なぜ連絡先を知っているのかというと、なりゆきで本人が勝手に僕の携帯電話に電話番号とメールアドレスを入力したからだ。
四件目。
「そんなわけで、女の子を部屋に泊める場合の注意点や参考意見が有れば、教えてほしいんだ。」
僕は真面目に頼んだ。
「なにそれ信じられない!なんでそんなことわざわざ私に言ってくるわけ⁉その女もあんたも頭おかしいんじゃない⁉」
そんな台詞の直後に通話が切断された。なぜ怒るのだろうか。僕は何か悪いことでもしたのだろうか。ヒュキアと名乗る少女はともかく、僕が頭がおかしいと言われるような行動を取ったとは思えないのだが。
結局、問題は解決を見ないままに僕はドアを開け、部屋に入る。
「最後のは私もどうかと思うわ。」
ヒュキアが言った。聞かれていたのか。
僕はここにきて一挙に押し寄せる疲労感に虚脱するようにして、パソコンデスクの前の椅子に腰を落とした。
これからどうすればいいのか、見当もつかない。彼女を部屋に残して自分は朝まで外で時間を潰しているべきなのだろうか。それとも、この部屋で各自適当に眠るなり何なりして過ごすべきなのか。一旦は部屋に入れてしまった手前、まさか再び彼女を外に放り出すわけにもいかない。あのナイフリーマンのような危険人物が、まだ近くに潜んでいるかもしれないのだ。
そんな様子を見かねたのか、僕が席を外している間に姿勢を崩していたヒュキアが口を開いた。
「匿ってもらう以上、最低限の礼儀として、あなたが私に対して質問してくれれば、可能な範囲内で偽り無く答えるわ。何でも訊いて。」
殊勝な申し出である。
「えっと、ヒュキア。君は歳は幾つなんだ?」
「日本では女性に年齢を尋ねるのは失礼に当たると聞いたことが有るのだけれど。」
「何でも訊いてって言ったのはそっちだろう」
「大丈夫よ。条例に抵触するような展開は起こらないから安心して。」
「そうじゃなくて。そうだけど。」
なんでこいつは現代日本文化にこんなに詳しいのだろうか。施設とやらでどんな教育を受けていたのか本当に謎だ。
脱力する僕を余所に、ヒュキアはどこか遠くを見るような目をした。
「私自身にも正確な年齢は判らないの。十七歳前後ということしか。私が生まれた島では誕生日を祝うという習慣は無かったし、私は、ちょっと特殊な立場に有ったから。」
「十七歳前後っていうことは、学校は?」
「スクールに行ったことは無いわ。一度も。」
国籍が無いのだから当然と云えば当然か。
「にしては随分と知的水準が高いような……」
日本語が母語でないというのなら尚更だ。飛び級を繰り返して既に博士号を取得済み、くらいの貫録が有る。
「各種の学問領域における専門家から個人的に指導を受けていたの。」
「あと身体的な水準も高いよね」
言った後で、僕は後悔した。今のは彼女の運動能力に言及したつもりだったのだが、受け取り方によってはセクハラと誤解される恐れの有る発言だった。
「いや、身体的って胸が大きいとかウエストが細いとかそういう意味じゃなくて」
いやいや、これでは完全に墓穴を掘ってしまっている。
「いやいやいや、君のスタイルに関して僕が何らかの感想を抱いているわけでもなくて」
そうじゃない。そうじゃないんだ。
「判っているわ、そんなことは。身体的な能力に関しても、私は毎日欠かさず訓練を受けさせられていたのよ。勿論、先天的な素養も有ったのでしょうね。」
良かった。有らぬ誤解は免れたらしい。
「施設で育ったって言ってたよな。どんな施設だったんだ?」
「どんな、と言われても」
彼女は口ごもった。
僕は先回りして言う。
「機密事項だから答えられな」
「機密事項だから答えられないというわけじゃないわ。」
答えられな、までを二人同時に発声してしまった。まるで僕の言おうとしたことが彼女には予め解っていたみたいなタイミングだった。
「私は既に、あそこから抜け出した身なのだし。ただ、私にとってはあそこが世界の全てだったから、説明するのは、難しい。」
「君は島を出てから、その施設を出たことが無かったってこと?」
「そう。二週間前までは、そこから一歩も出たことが無かったわ。」
「何年間ぐらい?」
「十二年。」
「それは……監禁されていたってこと?」
「そうね。自分は監禁されているのだと認識したのは最近のことだったけれど。私は子供の頃から、あの施設から外には出られないのが当たり前だと思っていたから。」
「何の施設なんだ一体それは」
少なくとも刑務所ではないだろう。
「私のような種類の人間を集めて研究対象とし、同時に教育や訓練を行って組織の役に立つ人材を作り上げることを目的とした施設、といったところかしら。」
「君のような種類の人間というと、国籍が無い人間ってこと?」
「いいえ。それは副次的な要素に過ぎないわ。」
彼女は無表情で滑らかに続けた。
「私は超能力者なの。」




