5 angel's assassin (4)
僕がスピーゲルマン博士の言葉に瞠目するのと同時に出入り口のドアが外から開かれ、何か白っぽいものが跳び込んできた。客席の前の狭い空間で前転しつつ失速し、素早く立ち上がる。転がり込んできた人物は他ならぬヒュキアだった。銛(今はケースに入っていない)を携え、大股で直立する。
「貴方は私の想像もつかない行動を取るのね、真菅。」
ヒュキアは口を開いたかと思うとそんなことを言った。
「おかげで警備に隙ができた。感謝するわ。」
彼女はスピーゲルマン博士に視線を向ける。
ヒュキアとジョン・スピーゲルマンは見つめ合った。
十二年振りの父娘の対面というわけだ。
「君は、誰だ?」
スピーゲルマン博士はあくまでも不思議そうに言った。
「知らないとは言わせないわ。」
ヒュキアはそれだけを言い放った。
「人違いではないのかな?私は君たちのことを知らないのだが。」
「私に嘘をついても無駄なことは知っているでしょう」
博士はゆっくりと噛んで含めるように言った。
「事実として私は君のことを知らない。君には私と君との関係を証明する手段は無い。なぜなら、関係など無いのだから。」
僕は博士の言わんとしていることを悟ってぞっとした。
ヒュキアにはスピーゲルマン博士の考えていることが読み取れる。しかし、『読み取った内容が事実である』という証明をすることはできない。白を切り通すスタンスを決め込むことは不可能ではないのだ。
博士が僕には聞き取れない英語で何か言った。周囲で硬直していた者たちが動き出す。彼らはヒュキアと僕を捕えようとしていた。
ヒュキアは係員や警備員とおぼしき者たちの腕を掻い潜り、スピーゲルマンに近付こうとする。それを阻んだのはスーツ姿の男。久留間崎だった。
「退きなさい。貴方では私には勝てない。」
両腕を交差させてヒュキアの銛を受け止めた久留間崎は、にやりと口の端を上げる。
「勝てなくとも、時間稼ぎができれば充分だ。」
僕はその間にあっさりと警備員(一名)に捕まって、羽交い絞めにされていた。他の係員が講演会の聴衆を誘導して避難を始めさせている。スピーゲルマン博士は既に姿を消していた。
「時間稼ぎ……まさか、こんなところでギドニスを覚醒させるつもり?」
「奴ではない。」
久留間崎は人目を気にしてか、ナイフは取り出さなかった。代わりに警棒のようなものをどこからともなく手の中に出現させる。
きいん。かきいん。きん。
ヒュキアの銛の穂先や柄が、次々に警棒にぶつかる。ぶつかりながら、久留間崎はじりじりと後退を余儀無くされていた。次第に壁際に追い詰められていく。ヒュキアは久留間崎を追い詰めながら同時に銛の余った部分で周囲を牽制し続けていたため、他の者は近寄ることもできなかった。
ついに壁を背にした久留間崎の警棒が、ヒュキアの銛で弾き飛ばされる。僕は一週間ちょっと前にも夜の路地で似たような光景を目にしたのを、まざまざと思い出した。
不意に、ヒュキアが顔を跳ね上げた。広いホールの、演壇とは反対側の出入り口に目を遣る。
そして、目を見開いた。
「そんな……ありえない……」
会場内に居た聴衆は既に全員が避難していた。代わりに両開きのドアの向こうに現れたのは、園部という女性。
それに加え、もう一人。園部に付き添われるようにして、銀色の長い髪をした少女がぼんやりと立っていた。ヒュキアと同じくらいの歳頃に見えるが、身長はヒュキアより高い。
「コーデリア。どうしてこんなところに?」
ヒュキアが悲痛な声を漏らす。
コーデリアと呼ばれた少女がゆらりと足を踏み出す。
「いや。私は貴女と戦いたくない。来ないで。」
悲鳴のようなヒュキアの言葉が聞こえないかのように、銀髪の少女は無言で一歩一歩、ゆっくりと着実にこちらに接近してくる。
ヒュキアとコーデリアは互いに視線を交わし、無言のうちに意志をぶつけ合わせて戦っているように見えた。
「っ……」
コーデリアがホールの中程まで達した時、ヒュキアは呻き声を漏らして身を翻し、一足跳びに僕のところに跳んできた。そして呆然としている警備員を銛の一撃で倒し、僕を抱えてドアから飛び出した。
一目散に逃げる。
「ヒュキア⁉どういうことなんだ⁉」
僕はまたしてもお姫様抱っこされながら叫んだ。
ヒュキアは息を荒げるでもなく答える。
「彼女はコーデリア・セオハウス。」
走りながら口に出した。
「私の親友よ。」




