3 angel's square (6)
「で?私に会う前にちゃっかりデートしてきたってわけだ」
喫茶店で姪森さんに茶化された。
言うんじゃなかった。
「暇潰ししてただけだよ。」
僕は言い訳するように応じる。言い訳でなく本当のことなのだが。
姪森さんは仕事中というだけあって髪にもメイクにも服装にも気合いが入っていた。『ザ・仕事のできる女』という感じだ。目の前にしていると、ちょっとだけ緊張する。思わず敬語になってしまった。
「姪森さんが待ち合わせを二時間も遅らせるからでしょう」
「だから埋め合わせにお茶おごってあげるって言ったじゃない。」
「それはそれだよ。」
「ケーキも頼んでいいから。」
ケーキ一つで僕は黙った。メニューを開いてどれにしようか物色する。
姪森さんは、僕の隣に座っているヒュキアに視線を移した。
「貴女も頼んでいいわよ、ケーキ。」
「ありがとうございます。」
「あら、日本語上手なのね」
僕は昨夜の姪森さんに対する説明を急いで思い出した。確か、身元不明の外国人らしき女の子が暴漢に追われているところを部屋に匿ったという設定だった。設定というか、やっぱり当たらずとも遠からずというラインなのだけれど。
「私の説明が足りなかったのが悪いのです。」
ヒュキアが殊勝な物言いをした。というかこいつ、敬語が使えたのか。
「日本に来て間が無いもので、言い方が分からなくて。」
「有るわよね、そういうこと。」
「当面の問題は解決したので私の心配は不要です。今日は私のほうから折り入って相談が有るのです。」
「何かしら」
「探している人物がいるんです。その人と連絡を取る方法を教えてもらえればと思って」
実際のところはそいつの所在が見つかれば当面の問題が解決するのだが、そこはヒュキアなりの処世術なのだろう。
「探している人物って?」
ヒュキアは淀み無く、その名を口にした。
「雛胤丹膳。」
しばらくの間を置いて、姪森さんが応えた。
「その名前……聞いたことが有るわ。」
「本当?」
僕はびっくりして声が大きくなってしまった。
「待ってね、確か新進気鋭の芸術家で、私はよく知らないんだけど同期の子が取材に行ったことが有るとか」
言いながら、姪森さんは携帯電話の画面に目を落として何やら操作している。
「出た。」
ネット情報の検索に成功したということらしかった。
「雛胤丹膳。鳥の雛に、タネと書く胤……ご落胤の胤ね。丹波丹後の丹に、ご飯のお膳の膳。34歳。男性。前衛芸術家、写真家。独特の作風とそのクオリティが若い世代を中心に評価を集めている。」
「芸術家?科学者じゃなくて?」
何かのシンジケートの親玉でもなくて?
「貴女の探している人がその芸術家なのかどうかは分からないけれど、雛胤丹膳というアーティストに連絡を取りたいのなら、事務所の場所と連絡先は公開されているわ。」
「その連絡先を教えて下さい。」
ヒュキアは深刻そうに言った。
「オーケー。」
姪森さんはそう言って、手帳にペンでメモを取り始める。筆記をしながら一人で喋り始めた。
「あ、もうこんな時間。私はそろそろ戻らなくちゃ。お代は払っておくからケーキ頼みなさい、ケーキ。」
僕は喫茶店の店員さんを呼び止める。
「すみません。追加、いいですか?」
僕はケーキを注文する。ヒュキアにもメニューを見せて、どれがいいか尋ねた。
「アップルパイ。」
簡潔にヒュキアが答える。さすがはアメリカ人……じゃなくてアメリカ在住者。
「アップルパイもお願いします。」
僕が店員さんにそう言うのと同時に姪森さんは手帳のページを一枚ぴっと破き、指で挟んで僕たちの目の前に差し出した。ヒュキアが受け取らないので、僕が手を出して受け取る。
ヒュキアが深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます。」
お辞儀もできたのか、こいつ。
どうも姪森さんに比べて僕に対する彼女からの扱いは数ランク低いようだ。
「いえいえ。私は何もしてないわ。進展が有ったら報告を頂戴。じゃあね。」
姪森さんは鞄を肩に掛けて颯爽と鮮やかにテーブルを離れた。
僕は立ち上がって、姪森さんが座っていた席に移動する。勘定を払ってくれている彼女を眺めた。ごちそうさまを言い忘れたな、とぼんやりと思うが、今はそれどころではない。




