3 angel's square (3)
「昨夜から今日にかけて鍵とポケベルを拾ったという届け出は無いってさ」
「嘘ね。」
僕の嘘を彼女は易々と見破った。
「私の聴覚を甘く見ているようだけれど、貴方と警察官との会話は殆ど聞こえていたわ。」
「……その手の情報は公開できないらしい。こっちから遺失物の届け出を出して、照会してもらうんだってさ。」
僕は落し物をした本人ではないと警官に説明して、書類は書かずに引き返してきたのだった。
嘘を吐いたのは出来心だ。ちょっとヒュキアのことを試してみたくなっただけだ。断じて、このまま彼女と同居生活に雪崩れ込みたいとかいう下心が有ったわけではない。
「鍵さえ見つかれば、もう僕が君を姪森さんに紹介する理由は無いんじゃないか」
というか、今となっては彼女をどう紹介すればいいのだろう。考えただけで途方に暮れそうだ。
「いえ。私も、貴方がそんなに信頼を寄せる姪森さんという女性に会ってみたくなったわ。私が適当に話を合わせるから、貴方は気を遣わなくて構わない。」
ヒュキアは言いながら既に歩き始めている。僕は後を追った。
「いや、でも君が公衆の面前に顔を晒すリスクと引き換えにしてまで会いたいってわけじゃないだろう?」
「姪森さんという女性は雑誌記者の仕事をしているのよね」
「ああ、まあ。」
雑誌記者と言えばそう言えなくもない。
「それなら、私の協力者について何か情報を持っているかもしれない。」
「それはどうだろうな」
「聞いてみる価値は有るわ。」
聞かないよりは聞いたほうがいい……のだろうか。その辺りの判断は僕には付かなかった。なにしろヒュキアの負っているリスクの程度が僕には掴めないのだ。
「しかし、人の多いところに行くなら、やっぱりそれは何とかしたほうがいいよな」
僕は彼女が手にした銛に視線を送った。銛を手にした少女がショッピングモールをうろついているという話になれば、流石に博士の護衛とかいう連中も放ってはおかないだろう。
アパートから交番に至るまでの道中、通行人と擦れ違うことが皆無というわけにはいかなかった。田舎町の平日の昼間とはいえ、十人ほどの人と道で行き当たっている。そのたびにヒュキアの銛を見て相手は妙な表情を顔に浮かべていた。何かのコスプレだとでも思っていてくれれば有り難いのだが。いや、本当にコスプレだと思われたら僕が危ないのだろうか。あまり深く考えたくない。
なにしろ見るからに武器の形状をしている上に、長さはヒュキアの身長を超えているのだ。
思い起こしてみれば、駅構内や電車内等で見かける試合のために移動中の剣道部や弓道部や薙刀部の類の人々って、妙に目立つもんな。
そうだ、その手が有る。
僕はスポーツ用品店にヒュキアを連れて行くことにした。
スポーツ店なら、駅前のショッピングモールに至るまでの途中に有る。
今度はヒュキアを店の外で待たせておくというわけにもいかないので、二人で店に入った。ヒュキアは物珍しげに店内を見回している。
「薙刀用のケース?」
スポーツ用品店の店主(と思われる中年男性)は大声で僕の言葉を繰り返した。
「それは、うちじゃないよ。あれだ、剣道用品店。竹刀とか防具とか売ってる。この近くだと、隣の駅前に一軒有るな。それと……」
「いえ、いいです。ありがとうございます。実はあれを仕舞うケースが欲しくて」
僕はスポーツ店の店内で商品をきょろきょろと見て回っていたヒュキアを指差した。
「あれは、何だい?」
実は彼女の生き別れになった祖父の形見の品で……と言うわけにもいくまい。
「え……演劇の小道具なんです。」
「へぇ、演劇のねぇ。それを、仕舞うの?持ち運ぶの?」
「持ち運びをします。」
「ちょっと待ってて」
店主は意外に人の良い人物だったようだ。店の奥から細長い、何かのケースらしきものを持ってきてくれた。
「それが入る長さとなると、うちにはこれくらいしか無いねぇ」
「これは?」
「スキーケースだよ。スキー板を運ぶときの。最近じゃスキー板も短いのが流行ってるから、これは売れ残りなんだけどね」
ヒュキアを手招きして、銛が入るかどうか確かめる。なんとか入るようだ。親切な店長ナイス。
だが、支払いの段になって僕は前言を撤回した。スキー用品は高価なのだ。手痛い出費になってしまった。
本当に、僕がここまでする義理は無い。
僕は店を出てすぐにヒュキアに宣言した。
「代金はきちんと請求するからな。」
「それは実現不可能な要求ね。私は金銭を所持していない。」
一銭も持っていないだと?それで二週間も引き籠っていたのか。
「請求するなら私の協力者を相手にしたほうが、まだ公算が高いわ。」
「是が非でもその協力者とやらに会わなきゃいけないってわけだ。」
ついでに、『協力するなら彼女の銛を隠す手立てを用意するくらいのことはしろ』という苦言の一つも呈してやらなければ気が済まない。
「元々は専用のケースに入れて持ち運びしていたのだけれど、色々とアクシデントが有って……」
まぁ常識的に考えれば、その銛を剥き出しのまま担いで飛行機に乗るわけにはいかないだろう。
とか喋りながら歩いている間にショッピングモールに到着した。待ち合わせの時間まで、あと二十分ほど余っている。




