This is my ×××××.
This is my ×××××.
どこに行ったって、私のやることは変わらないのだろう。
汚くて、苦しくて、醜くて、笑われる。やっているのは、そんな酷い道に乗ったものだ。理解されないし、されたくもない。決して辞めたくも。
それは、それでも、
――最も素敵な感情だと知っているから。
×××××
撮影現場は温泉だ。旅館付きの、ちょっと豪華なやつ。温泉が主体になっているだけあって、旅館も見合うだけのサービスをしてくる。
そんな煌びやかな場所でこんな撮影が許されるか、と問われれば、まあ普通なら反対だと思う。ただ、この旅館は私の地元なのだ。上京する前はこの地で暮らしていた。私のコネがなかったら撮影は許可されなかっただろう。
「はぁあ……」
だからこそ、私は憂鬱に身を毒されているのかもしれない。
だって、地元じゃん。生まれ育った地じゃん。私がここで撮影したことで、地元の株が下がるかも知れないのに……。
私が今いるのは、旅館の方。その一室に、控え室――いわゆる簡素な楽屋が用意されていた。メイクボックス、ミラー、着替え用の服と、衣装。その他雑多な小道具。
一通り見回し、確認。その中にギターがある。誰のだろう、と考えて、すぐに思い出す。プロデューサーさんのだ。
今回の撮影は長丁場になるからと言われたとき、リラックスに弾いてほしいとせがんだのだ。普段は弾いてくれないから、ちょっと楽しみ。
漆黒のボディは光沢を放たず、じっと佇んでいる。少し錆び気味の弦は、どこか暖かい傷に見えるのが、なんだか不思議。そこから紡がれる旋律はどのようなものなのだろう。
その時、ふと風を感じる。
障子が開きっぱなしで、夏の湿気を運んできたのだ。
「……やだなぁ」
自然とこぼれた。意識しなくても、この場を嫌っている自分がいる。
早くプロデューサーさんに会いたいなぁ、なんて。呟いたそれは、やっぱりじめじめした空気に消えていった。
どうしても気になって、時計を確認する。十三時八分。太陽は夏休みに入らず、笑顔を見せつけている。
ため息一つ、今度はスケジュール帳を取り出して、今日の書き込みをなぞる。
『プロデューサー到着:二十時』
『撮影開始:二十時半』
再びのため息。ヤになるなぁー。
暗くなるまでに顔合わせやら打ち合わせやら、いろいろ詰まっているのに……。
遅れるのは事情があるから仕方ないし、私もプロだから、できることは自分でやるけど。でも、でも。
私を一人ぼっちにした罪は深いよ。
じきにメイクさんと衣装さんがきて、そのあと相手の男優さんとの挨拶があって。
……撮影直前まで会えないのかぁ、やっぱり。
噂をすれば影が立つ。ふすまを開けて、メイクさんと衣装さんがやってきた。
「おはようございます」
先に挨拶。名前と役名を簡潔に述べ、よろしくお願いしますと付け加える。
「衣装の田中です。よろしくお願いします」
「メイクの村上です。本日も、よろしくお願いします」
二人の挨拶を聞いて、沈黙が話し出す。
衣装の田中さんは初対面の方だ。普段お世話になっている方ではなく、もっと、ベテランの。私なんかがいいの⁉ って思うくらいには有名な方だ。
メイクの村上さんは、デビュー当時からお世話になっている方。当時二十歳だった私よりも年下で、とっても可愛い。今日は純白のワンピースに空色のノースリーブジャケット。出演者の私よりずっとおしゃれさんだ。
三人でしばらく打ち合わせを行う。
現場が温泉で、星の瞬く夜に撮影があるので、メイクの仕方を試したり、本日の衣装の魅せ方を考えたり。
カメラさんが来たらもう一度話し合うことまできちんと決めて、休憩に入ったころには、すでに一時間たっていた。
「意外ですよ、こんな場所で撮影の協力ができるなんて」
村上さんがはじける笑顔で言う。弱冠二十歳の彼女は、こんな旅館は入ったことがないそうな。
「そう? 売れっ子になったら、もっといろんな場所に行けるわよ。二人の努力があってここまで来たんでしょ。もっと大きな舞台を目指しなさいな」
「さ、流石田中さん……。衣装指導といい、キャリアが違いすぎます。本当に私の衣装担当で良かったんですか?」
「きれいな花を咲かせるつぼみに、水をあげたくなっただけよ」
おおー、と二人して声を上げる。
今日の一時間で随分と仲良くなった。その間にわかったことは、田中さんの素晴らしさと、村上さんの成長。
田中さんは、さまざまな女優さんやモデルさん、アイドルの方の衣装を手がけていて、そのセンスは本物だった。衣装のセレクトをし、「私」と「シチュエーション」に最も合うものを、ものすごく素敵な角度で仕上げて下さった。
そして、この衣装に合ったメイクを施した村上さんも素晴らしい。約三か月ぶりの撮影で、その間ほとんど会えなかった彼女は、メイクスキルをぐんとあげていた。今までの彼女だったら、「私」に合っても「シチュエーション」には微妙かな……、というメイクをしたかもしれない。何度かプロデューサーさんに言われたことがあるらしい。だけど、ミラーで確認したとき、私は一目で分かった。このメイクは、この衣装に、シチュエーションに、そして私にちゃんと合っている! 今まで以上の実力を身に着けている。――とっても嬉しかった。
これで今日の撮影に臨めるなんて、私は恵まれすぎている。いつの間にかいやな気持は減って。なんだか不思議な気持ち。ただ、ずっと心には、プロデューサーさんが消えないまま……。
しばらく談笑し、カメラさんと男優さんとも打ち合わせしていると、あっという間に暗くなった。
七時ごろにはお腹が減ってきたけど、撮影前なのでウイダーで我慢。一度シャワーを浴び、メイクと衣装で「私」を作る。
「――これが今日の私。これが、今回の、私」
衣装チェックのあと、ミラーに映ったに言う。悲しげな表情を拭い取ったら、「私」がそこにいた。
×××××
「湯加減はいかがですか」
十五分前に現場入りをし、温泉に似つかわしくない大きなカメラと、マイクと、私服姿のスタッフさんが集う中。私はゆったり足湯を楽しんでいた。
――結局プロデューサーさん間に合わなかったのかな。
そんなことを思っていた矢先。
噂をすれば影が立つ。
プロデューサーさんが、温泉までやってきてくれたのだ。
「プ、プロデューサーさん! 心配しましたよ‼」
「ははは、すみません。やはりゲネは疲れますね」
「劇団、リハーサルなんですよね。長引いちゃったんですか?」
プロデューサーさんは、都内で活動している劇団の団長をやっている。脚本、演出、監督をこなすとってもマルチプレイヤーな方だ。今回の撮影も、事前にプロデューサーさんから演出の支持があり、それに沿って撮影が進む。私たちの業界ではあまり見ないケースらしいから、私は本当に恵まれているんだなぁ、って最近は思うようになった。
「いえ、そんなことは。メンバーは全員優秀ですので、きちんとやってくれますよ。ただ、高速が混み合っていたので」
「プロデューサーさんの舞台……みたかったなぁ」
「撮影とかぶってしまいましたからね。すみません、調整できずに」
「いえ、そんな、」
そこで気づく。明日本番なら、明日まで続くこの撮影に立ち会えないのでは? それとも、やはり今晩の撮影後、舞台の方に戻るの?
「プロデューサー、さん」
「はい」
「明日はどうするんですか? やっぱり帰っちゃうんですか……?」
一瞬驚いた素振りをした後、彼は静かに答える。
「いえ、こちらに残りますよ。劇団は優秀な方ばかりですから、きっと大丈夫でしょう。それに」
「それに?」
「今は、あなたが最優先です。一番傷を負うのは、他でもないあなたですから」
ドキッとする。同時に、はっとする。
普段出演の依頼や企画があると、「傷つきますよ」と癖のように聞かされた。それはもちろん、私がこんな職をしているからだ。心も体も、汚される仕事だから。
辞めたい、と思ったことはある。でも、その時は、プロデューサーさんがしっかり支えてくれた。
仕事に支障が出ないように、じゃない。一人の女子に対する気遣いとして、だ。
――こういう仕事は楽しくなくなったら、やめちゃっていいんですよ。
プロデューサーさんの言葉を思い出す。
そういえば、なんでこの仕事続けてるんだろう……。
どうして、この仕事続けてこれたんだろう……。
今まで三年間この仕事を続けてきて、いろんなことがあったなぁ、とか思うあたり、幸せな環境でやってこれたのだ。きっと。
だから、悔いはないはず。なのに、わだかまりのような、もやもやした何かが、私を離さない。
あー、プロデューサーさんの顔見ちゃったからだ。多分。
もう少しこの人と居たいなんてこと、思っちゃったんだ。
――……やだなぁ。
繰り返す。意識しなくても、この場を嫌っている自分がいる。
頑張ってやってきたのになぁ……。
「どうしました?」
プロデューサーさんの声が、現実に引き戻す。
「いえ、あの、……なんでもないので」
「今は、それを考えずに、やってください」
見抜かれていた。
「――さすがポロデューサーさんですね。ありがとうございます」
「見てますからね」
その笑顔がずるいんだよなぁ、って。言えないし言わないけれど。いつか言えれば、いいな。
あー、ダメダメ! 集中!
「そろそろ本番です。頑張ってください」
「はい!」
精一杯を奏でる。
本番五分前。たくさんのスタッフさんの顔が、私の顔が、引き締まる。
今日もまた、「私」を演じる。見届けてくれる人がいるから、私は、「私」でいられる。
×××××
――本日はお疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします。
定型文を言うことさえ、感情を込める。それくらいに疲れていたし、明日も長丁場になりそうだったから。
星が笑う丑三つ時。クーラーのきいた裏に戻ったのは、そんな時間だった。
くたくたの体を引きずって、重くなった肢体がばらばらになる錯覚を覚えながら、やっとのことでついたのだ。
汗ばんだ肌は、撮影前とは比べ物にならないほどによれよれだ。おばあちゃんかって。若いはずなんだけどなぁ。
と、唐突に。ドアをノックする音が聞こえる。
「はい」
誰だろう。プロデューサーさんならいいな。あ、でも、こんな自分を晒すわけにはいかないかな。
「今、よろしいでしょうか」
プロデューサーさんじゃん!
「はい! どうぞ!」
反射的に返事。そして一瞬にして後悔がおしよせる。こんな恰好見せられない……。
こちらの気を知らず、入ってくる。びしっときまったスーツはいつでも私を安心させていたのに、今はざわつかせるばかりだ。
「お疲れ様でした。明日もあるので、今夜はしっかり寝て……、どうしました?」
「え、いえ」
温泉につかっていたとはいえ、絶賛疲労困憊中。どこか気だるげなイメージが張り付いてしまった。
「本当にお疲れなんですね。すみません、おやすみな――」
「――待ってください」
とっさにこぼれた。こんなにヘトヘトなのに、自分でも驚くくらいの声が、胸の内からあふれ出す。
「あの、その、」
かといって、引き留める理由もない。
――一緒にいたいから、じゃ通用しないのだ。
「大丈夫ですか? なにか、嫌なことでも?」
優しい笑み。
「ぅあ……」
とっさに目をそらす。部屋を見回して、真っ先に飛び込んできたのは、漆黒のボディを持つギター。
「えっと、一曲弾いてほしいんです」
なけなしの勇気を使って、絞り出す。
「わかりました。リクエストは何かありますか?」
「じゃあ、えっと。……落ち着ける曲で」
もうプロデューサーさんの横にいられれば、それでいいや。なんだかふわふわしてきたから。
「では、やらせていただきましょう」
テキパキと調弦。
その横にしゃがむと、微笑まれた。
そっと息を吸い込むと、滑らかなメロディが響き始めた。
タイトルはわからない。
放たれるリリックが英語だから、きっと洋楽だろう。
でも。ラブソングだってことは、わかる。
ヴァースが蹴られ、フックが舞い、ギターが歌う。
心の中にフッと落ちる、温かい毒のような、旋律が。
メロディが奏でられ、再び心を、その声が占めようとしたとき。
急に音が止んだ。
歌が遮られたのだ。
なぜ。
誰が。
いや、わかっている。わかっているのに、これは――
――キスしているからだ、なんて。
体が浮く錯覚。
麻痺したような感覚。
何もかもがおかしかった。
なんで、プロデューサーさんと、キスなんて。
唇を離し、崩れ落ちる。
――崩れ落ちる?
いつの間に立ったのだろう。
いつの間に、キス、したのだろう。
「……」
わからなくて、黙り込む。
男優さんとはあんなにしたのに。そのほかにも、いろいろしたのに。
なんでこんなにも強張るのだろう。
目が合う。
吸い込まれそうな瞳には、深い魔法が宿っている気がした。
「……男優さんが嫉妬しますよ?」
いつもの調子のプロデューサーさん。
でも、一瞬表情を消すと、
「やっと正直になれましたね。おめでとうございます」
本当に嬉しそうな笑顔をみせて、
「おめでとうございます」
私を抱きしめた。
夜は長かった。
あの後、私は泣いてしまったからだ。
そして、泣きじゃくりながら、語った。
これまでのこと、これからのこと。
ずっとずっと、プロデューサーさんが好きだったこと。
この仕事を続けてきて、もっと好きになったこと。
目がはれるまで泣いて、最後には疲れて寝てしまったこと。
ただただ、溢れる想いを零した夜。
あの人のぬくもりを、感じた夜。
×××××
時がたって、撮影したDVDが届いた。
そこの引退インタビューに、私の想いが綴られている。
どこに行ったって、私のやることは変わらないと思います。
汚くて、苦しくて、醜くて、笑われる。やっているのは、そんな酷い道に乗ったものかもしれません。理解されないし、されたくもない。決して辞めたくも。
それは、それでも、
――最も素敵な感情だと知っているから。
だから、これからも、自分のもうひとつの場所で、続けていきます。
またその時にお会いしましょう。
あとがき
おはようございます。水色です。
先日《小倉奈々》というタレントが引退を発表しました。
それを聞いて「じゃあこれを書けるのは今しかない!」と思い、かかせていただいたものです。
彼女の話では、プロデューサーさんがとても優しく、頼りにしていた、と。
この作品とすごくシンクロしています!
大学生になってやりたかったのは、この職業についている方たちが、普段は乙女乙女している話です。
淫らだとか気持ち悪いだとか、そういう言葉を彼女たちに言ってきた人間も、少なくないはずです。
そんな人に、すこしでも届けばいいな、と思っています。
今後役者として動き始める彼女は、どうなっていくのでしょうか。
続編は書かないつもりですので、どうか皆さんが彼女の未来を描いていってください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
では、次の機会に。




