第一章 秋香ちゃんのマル秘潜入計画
「さてさて、一難去ってまた一難、更に一難去って、これからどうしたものか」
四人が去った後、秋香はわざとらしく腕を組み、首を傾げた。
「もし完全な情報規制が行われているなら、これ以上の情報収集は厳しいのではないか?」
先程の話には触れず、リンは自分の考えを言った。
発言に躊躇すれば、先程の事を気にしていると思われ、逆に気を遣われる。それだけは避けたかった。
「もしも情報の漏れどころが一切ないならば、下手に嗅ぎまわれば怪しまれる」
それではクラスの疑いを晴らすどころか、より疑いが深くなるだけだ。
「だよねぇー。では、持っている情報だけで動くとしますか」
「何かアテがあるのか?」
「アテってわけじゃないけど。犯人が言っていた卵っていうのに多少の心当たりがある」
秋香が向けた視線の先には、四階建ての校舎とほぼ同じ大きさの資料館が在った。
「資料館……雪子刹那の遺品、ソウルバディ関連の研究資料か?」
三心教高校はソウルバディの第一人者である雪子刹那が建て、自らが教鞭を振るうと共に、半生を過ごした場所でもある。
彼女が生涯を終える前に残した数々の資料は、とある筋の人間からすれば確かに宝だろう。
ただし、誰にも内容を知られていないことが前提条件だが。
「資料館は正当な手順で許可を取れば入れる上に、研究資料についてもネットやテレビなどで全て公開されていると記憶しているが?」
それこそ本屋に行けば手頃な値段で買えるぐらいだ。そんなモノのためにわざわざ脅迫状を出してどうこうするとは思えない。
既に内容が割れている研究資料で災いを起こすことはできないだろう。
ゆえにリンは卵と資料館の関連性はほぼないと判断していた。
「それはそうなんだけどさ。でもさ、何かあると思わない?」
「資料館に何かあるのか?」
秋香が資料館に狙いを定めた理由、それを聞かなければ同意も否定もできない。
「え、あ、ほら、宝を隠すなら宝の中みたいな感じで? 宝じゃなくて卵だけども?」
理由が無かった。しかも語尾が疑問系だ。
「あ、うそうそ、ちゃんと理由ありますからー、心配しないでいいですからー」
リンから疑惑の眼差しを受け、秋香は取り繕うように声を張った。
疑わしいモノである。
「ひとまず犯人が卵を手に入れようとしていると仮定して、脅迫状に書いてあった卵がソウルバディ関連だと仮定しよう。
その場合、もっとも怪しいのはやはり資料館なんだ。あそこは昔、雪子刹那の研究所だったのを彼女の死後に資料館として改築した場所なんだから。公開されていない研究資料とか研究物が残っているかもしれない。なにより校内で一番警備が厳重だ」
秋香の話を聞き、ため息に近い吐息でリンは返事をした。
論じてはいるが、仮定に次ぐ仮定に加え、在るかどうかもわからない研究資料の存在など、根拠がないどころか暴論である。
しかし、現状ではそれぐらいの事しか考えられないのも事実だ。なのでリンの吐息は秋香の暴論に呆れたのではなく、現状の自分達の無力さに呆れたモノだった。
果たしてこの調子で本当にクラスメート達の疑いを晴らせるのだろうか? リンは不安を覚える。だが即座に切り捨てた。無駄足だろうがなんだろうが、動かなければ始まらない。
秋香の言うように、暴論でも何でもいいから可能性が高そうな場所から調べるしか道はない。
「その暴論には頷けないが、次の目的地として資料館を選ぶのは一考の余地が有る」
関連性はほぼないが。現状では他の場所も似たり寄ったりだ。それなら秋香の勘に縋るのは悪手にも妙手にもならない。
ただ資料館を選ぶには問題が一つある。
「だがどうやって資料館を調べるんだ? 秋香が今言ったように、資料館は警備が一番厳重だ。それに脅迫状が届いたことで、校内の警備はより一層厳しくなっているはず」
許可を取れば三心教高校の敷地内には入れるが、許可を取るためには最低でも一週間の期間を要する上に、入館してからは案内という名目で監視が付き纏う。それぐらいには厳重だ。
資料館に至っては24時間体制で警備員がパトロールしており、防犯カメラも作動している。
「そのせいで旅行勧誘のアルバイトはすぐ見付かって失敗するし……散々だよ」
それは許可を取っていなかったせいだろう。話の腰が折れるので、リンは心の中で突っ込んだ。
「侵入経路は裏口の通気口、あそこは緊急避難用として整備されてるから人が通れるようになってるし、有効に使わせてもらおう。ミッション開始時刻は本日の深夜」
「待て待て待て! 正規の方法ではなく侵入するのか? しかも夜間に!?」
一気にまくし立てた秋香をリンは慌てて止める。今のは流したらいけない発言だ。
「うん、そうだよ。不法侵入だから、見付からないように気をつけないと」
てっきりいつものように豊富な人脈や巧妙な話術を使い、侵入しても大丈夫な状態にしていると思っていたが、秋香の言葉からはそれらを全く感じられなかった。
「百歩譲って不法侵入は良いとして、もし見付かったらどうするんだ?」
百歩どころか千歩譲っても不法侵入は犯罪だが、今は置いておく。
「不法侵入がバレた場合、そのまま爆破予告を送った犯人だと断定されるかもねぇ」
と、他人事のように秋香は言う。
「秋香。わかっているとは思うが、運良く見付からなかったとしても、先程の仮定に次ぐ仮定の中で根拠もなく憶測で在るとされた卵を発見できるかは謎だ。
なにより私達の目的は、あくまで犯人を見付け、無実を証明することだろう? 在るかもわからない卵のためにそこまで危険を犯す必要性は全くない」
考えて然るべきことをリンは述べる。不法侵入云々の話は悪い冗談だと思いながら。
「そんなことは百も承知、モチのロンでちゃんと色々考えてますよ秋香ちゃんは! じゃんじゃじゃーん、警備員の服~」
秋香はそう言って、どこからともなく灰色の服を二着取りだす。
資料館をパトロールしている警備員の制服だった。
制服を数秒凝視した後、リンは聞いた。
「一応聞くが、それはどうやって入手したんだ?」
「ん? 実はね、とある筋から警備員のお兄さんが学生に手を出したっていう話を聞いてね。それをネタにおど……交渉して入手しました。ついでに防犯カメラの位置とか、巡回ルートもばっちりゲット。その代償として、このネタを隠滅することになっちゃったけどねぇ」
そんな警備員が野放しになっていることや、とある筋とはどの筋なんだとか、脅したこととか、そんなネタをどうやって隠滅したのか等々、疑問点や突っ込みたい部分は多々あったが、どれも聞くと面倒なことに巻き込まれる気がしたので、リンは右から左へ流した。
「本当にやる気なのか?」
シャレでは済まない不法侵入。ローリスクハイリターンを信条とする秋香らしくない行動だ。
「やる気だよーん。大丈夫大丈夫、万事うまくいくからさ」
説明しないだけで秋香にとってはローリスクハイリターンなのかもしれない。
なら勝算はあるはずだ。だが説明しない。不安だ。
「そんじゃ、本日の深夜、張り切って行ってみよう!」
若干顔色を悪くしたリンとは対照的に、秋香が張り切るように拳を振り上げた。
元気いっぱいの友人を視ながら、リンは考える。
(……これだけの準備を一日でできるわけがない。いくら秋香でも二十日、いや、一月はかかるはずだ。まさか爆破予告が来る前から資料館に潜入することを計画していたのか?)
もしそうだとしたら、どうしてなのか。リンには皆目見当がつかなかった。
★
深夜、生徒および教員は寮に居るであろう時刻だ。
学生寮には門限があるため、この時間帯に外出している生徒は規則違反を起こしている事になる。
だが、そんな規則違反が可愛いと思える不法侵入という犯罪を起こそうとしているのがリンと秋香の二人だ。
二人共警備員の制服に着替え、顔を隠すようにツバの長い帽子をかぶっている。
「なんかいかがわしいお店のコスプレみたいだね。へい、シャッチョさーん」
という感想を秋香が漏らしたが、リンは聞こえないフリをした。
取り合う余裕がなかったとも言える。
闇夜に慣れた眼を周囲に走らせ、耳を澄まし、周りに人がいないことを細かく確認する動作は、相当な集中力をリンに強いていた。
本来は入手することが不可能な制服を着ているのはもちろん、こんな夜更けに資料館の周囲をウロウロしている段階でかなり怪しい。見付かれば間違いなく捕まる。
精神的疲労と言うべきか、体力がどんどん消費されていくのをリンは感じた。
そんな気苦労を知ってか知らずか、資料館の裏口で秋香は鼻歌交じりで通気口にかけられた網戸を外していた。
緊張感がない。まるで警戒している方が間違っているかのようだ。
通気口を這って通り、二人は資料館に不法侵入を果たした。
資料館とは言ったものの、カビの臭いがする虫食い気味の古い本や、なにかよくわからない模型などが展示されているというわけではない。
雪子刹那が残した資料の大半はデータ化されており、それらがパソコンで閲覧できるようになっているだけだ。
よって館内も恐ろしく広いというわけではない。
歩くだけなら十分ほどで館内を一周できるだろう。
外観が博物館のように立派なのは、見た目ももちろんだが、多少の衝撃で壊れないようにするためでもある。
その辺りはさすがソウルバディについて教育する学校だと言うべきか、『ソウルバディの暴走』による被害を想定した建築が行われていた。
資料館以外の校舎や学生寮など、他の施設にも同じ想定がされている。
「それでどうするんだ? パソコンルームを調べるのか?」
通気口を這った先は用具室だった。リンと秋香が入っただけで窮屈さを感じるほど狭いが、すぐに出るというわけにもいかず。扉を僅かに開け、外の様子を窺いながらリンは聞いた。
時間は有限だ。その中で在るかどうかもわからないモノを探す以上、闇雲というわけにはいかない。ある程度の目星をつけ、またどの程度で切り上げるかを決める必要がある。
リンが言ったパソコンルームとは、雪子刹那が残したデータが全て入っているデスクトップパソコンが二十数台置かれた部屋を指している。広さは普通の教室と同じぐらいだ。その部屋に入ることは、三心教高校の学生であっても手続きが必要になる。
「パソコンを起動したら警備室に連絡が行くから駄目かな。そんな幼稚な方法じゃ舞台から突き落とされる。とりあえず一階をぐるりと見て回って、あとはそれから考えるつもりだよ」
資料館は四階建てであり、リンが言ったパソコンルームは四階、警備室は三階だ。そして、一階と二階に当たる部分は吹き抜けになっており、受付けや休憩所がある。それだけであるため、とても一階に何かあるようには思えない。
だが秋香は気にした様子もなく、まるで散歩でも行くような気軽さで扉を開け、誘導灯に照らされた薄暗い通路を歩き始める。リンは慌てて後を追いかけた。
資料館の一階は正面入り口から入ってすぐの場所に受付けがあり、少し先に進むと円形の広い空間に出る。そこから壁を挟んだ外周に通路が在り、リンと秋香は歩いていた。
通路の壁には三心教高校の歴史が写真という形で納められ、飾られている。
秋香は写真には眼もくれず、散歩のような足取りで通路を歩く。芸術も何も知らない子供が退屈しのぎに歩いているような、そんなイメージが浮かぶほどだ。一応、防犯カメラなどは注意しているようではあったが、何かを探すような動作は見受けられない。
事前情報で警備員はこの時間帯、警備室で待機しているとは聞いているが、それでも余裕、いや、時間を潰しているような印象が拭えない。
リンは軽い焦りを覚え始める。
(ここまでの危険を犯してまでこれはやることなんだろうか? いや、なにもやっていないのか? それとも、まだやり始めていないのか?)
二人は通路をぐるりと一周した後、一階中央に移動した。そこは半径約三十メートル、高さ約十五メートルはある広い空間であり、ベンチや花壇、噴水などが在る休憩場だ。
「秋香、てっきり私は隠し通路や隠し倉庫みたいなモノがあると想像していたんだが?」
噴水を囲む花壇に眼を落としている秋香に、リンはたまりかねて聞いた。
「隠し通路とか隠し倉庫はないと思うなぁ。建物の設計図と外観を照らし合わせてみても、そんな余分なスペースなんてなかったし。まぁ、地下とかに在ったら話は別だけど」
それにしても隠し通路だなんて、子供っぽい発想だね。と、茶化すように秋香は笑う。
「だったら、ここには何を探しに来たんだ?」
「舞台に上がる資格があるかどうかの確認かな」
「秋香、できればふざけないで答えてほしい」
リンが語調を強めた時だった。
「「うわああああああああああああああッ!」」
悲鳴が聞こえた。