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第一章 旅行をお届けクマー


 三心教高校は大きく別けて、校舎、グラウンド、資料館、校門及び学生寮の四つのエリアで構成されている。これらのエリアが上空からだと菱形に見えるように並んでいる。

 また、それぞれが通路で繋がっているため、菱形の中央に十字が刻まれているような図形を思い浮かばせた。


 石で舗装された通路の両側には花壇が在り、色とりどりの花が所狭しと咲き誇っている。

 夕焼けに照らされ、赤みを帯びた美しい花達は生徒を見送っているが、生徒達の眼が向くことはない。もとより日常の一部として視界に映っては通り過ぎるため、一々気に留める者は僅かだ。

 なにより、もっと眼を引くモノが敷地内の中心、十字を刻む通路のど真ん中に居た。しかも二体。それらは『テスト休みの予定にお一ついかが? 旅行プラン各種取り揃えているクマー』と書かれたプラカードを右手に、チラシの束を左手に持って立っている。

 デフォルメされた三頭身のクマだ。首のスリットや遠目から視てもわかる安っぽい毛並みが着ぐるみであるとことをアピールしている。普通のクマの着ぐるみと違い、頭にスイカを半分に切ってそのまま乗せたような帽子をかぶっており、全身に赤い液体が垂れたようなペイントが施されていた。

 スイカをかぶっているつもりだろうが、傍から見れば猟奇的である。


「秋香……私達は情報収集をするのではなかったのか?」


 リンが確認を取る。着ぐるみの中から声を出したため、若干声がくぐもっていた。

 秋香から話を聞かされた後、まずはどうするかという話になり、情報収集を行うことに決まったまではいい。

 どうやって行うかについても、秋香が『私に良い策がある』と眩しい笑顔で言ったのもまぁいい。もとよりリンは情報収集などのような他人に探りを入れることは苦手である。

 その点、秋香は人心の掴み方や言動の誘導が無駄に得意なため、適材適所と言える。

 問題は情報収集を行う手段として、猟奇的なクマの着ぐるみを着せられたことだ。 

 もちろん何か考えが有るとリンは信じているが、これは策は策でも奇策の類だ。説明不要で行動するのは厳しい。

 恥ずかしいので何か理由が欲しかったとも言える。


「もちろん情報収集だよー、ついでにテストで疲れた学生諸君に旅行をお届けして、私の懐も分厚くなる三段仕込み。っと、そこゆくお姉さん! 格安旅行をあなたにお届けクマぁ!」


 猟奇的なクマの着ぐるみが両手を上げて走っていく。相手は悲鳴を上げて逃げる。

 リンにはその光景が、飢えたクマが人里に下りて人を襲っているようにしか視えなかった。


「あっれー、ゆるきゃら『スイカクマくん』だけじゃアピール度が足りないのかな? よし、リンちゃんクマクマダンスしよう、もしくは組み体操だ! これでお客さんの心をゲット!」


 秋香がクマの着ぐるみを着たままクネクネと動きだす。もはや新種のモンスターである。

 もうどこから突っ込めばいいのやら。リンは聞こえないようにため息をつく。その時、


「こらあああッ! なにをしてるんだお前らぁ!」


 突如耳を打つ怒声。視線を向けてみれば、数人の教師が校舎から走ってくる姿が確認できた。


「あ……やっべぇばれた。逃げるよリンちゃん!」


 言うが早いか、着ぐるみを着ているとは思えない速度で秋香は校門に向かって走り出す。


「うんなッ! まさか許可を取ってないのか!」


 思わず変な声が漏れた。リンは硬直しそうになるのを抑え、秋香を追いかけながら確認する。


「校内で着ぐるみ着て旅行の勧誘とか、常識的に考えて許可が出るわけないでしょ!」

「じゃあするな!」


 至極もっともな叫びが夕焼けの空に虚しく響いた。







 それから『あらかじめ考えられていた逃走ルート』を走り、着ぐるみを脱いで変わり身として使い、追手を振り切ったリンと秋香はグラウンドエリア付近の通路に移動していた。


「ふっふっふ、追手が来ることも想定済みよ。ね、ちゃんと考えてるでしょ私?」


 だったら最初から追手が来ない方法を考えてほしい。

 自慢げに胸を張る秋香に、リンは言いたかった。だが全力で走った反動で呼吸が乱れているため、口から出るのは吐息だけだ。


「あ、けど、脱ぎ捨てたクマさんどうやって回収しよ……。弁償とかマジ無理なんですけど」

「はぁ……はぁ……今更だが、普通に聞き込みすれば良かった気がする」


 肩で呼吸をしながらリンが呟くと、全く疲れた様子のない秋香が弾ける笑顔で応える。


「えー、そんなの面白くないじゃーん。っと、冗談冗談、真面目な理由ありますから……一応」


 リンがジト眼で睨みつけると、秋香は全く反省していない笑顔を浮かべながら話し始めた。


「あんまり真面目に聞き込みすると、なんか駄目な気がするんだよねぇ~」

「駄目な気がするとは、また曖昧な理由だな」


 怪訝な表情でリンが返すと、秋香の笑みがうすら笑いに変わった。


「爆破予告とか来てるのに、テレビとかネットでニュースになってないことが気になるの」


 秋香が言うように、テレビなどで話題に取り上げられた記憶は無い。


「生徒達の間では誰もが知る噂になってるのに。おかしいじゃん?」


 性質の悪いいたずらだと思われているにしろ、色々と有名である三心教高校で問題が起きれば、食いつく輩はいくらでもいるだろう。

 しか、報道陣が学校に来たという話すら聞かない。


「情報規制してるとしても、手紙の実物もあれば、校内に居る教師および生徒全員がその話を実話にせよ噂話にせよ聞いているんだよ? それなのに校外では誰も知らない、もしくは口にしない。口外しようとする輩を逐一排除しているか、マスコミを完全に黙らせるほどの権力者が裏で動いている……とか妄想しちゃうよねぇ~」


 ゆえに、クマの着ぐるみを着てふざけているように振る舞ったという話。

 『完全な情報規制』というあり得ない現象を説明するには、秋香の言うような妄想を垂れ流す必要がある。リンは力無く首を左右に振った。


「愉快だが、妄想の域を出ないな。全く、秋香の話は面白いが、いつも突拍子だ」

「あはははー、自覚はしてるよー。でも、妄想は女の子の特技だしー」


 リンが話を反らし、秋香がそれに乗った時、二人の間を白い球体が高速で過ぎ去り、花壇に飛び込んだ。

 花が散って空を舞い、二人の顔から血の気が引いた。


「あはは……ぎゃー! 刺客だー! ヒットマンだー! 優しく殺して―!」

「野球ボール……それも硬球。まさか事故に見せかけて……」

「ごめん! 誰も怪我してないよな?」


 野球ボールを飛ばしたらしい二人組の男子生徒が声を上げながらやってきた。方向はグラウンドからだ。

 土で汚れた白いユニフォームと、手にはめたミットから野球部だと推測できた。

 どちらも知らない顔だ。野球ボール、それも硬球を人に当てたかもしれないこともあり、その表情からは焦りと緊張が見て取れた。

 だが秋香とリンを視て、否、秋香を視て表情が変わった。焦りと緊張が消え、悪意のある笑みに変わった。

 少なくともリンにはそう視えた。


「なんだよ、底辺クラスの更に底辺、お飾り無能委員長かよ。あ~、心配して損した」

「むしろ当ててやったほうが、無能が治ったんじゃねぇの?」

「ないない、むしろ余計に壊れるって、まぁ無能より下なんてねぇだろうけどさ」


 下卑た笑みと侮蔑の言葉、聞くに堪えない会話にリンの心がざわつく。秋香は笑ったままだ。


「なに笑ってんだよ? ああ、金持ちのお嬢様は悪口の意味わかんないんだな」

「ニコニコ笑ってきめぇんだよ、なんか言ったらどうだ」


 怯えるどころか無反応の秋香に苛立ったか、男子生徒達の語気が荒くなる。


「ちっ、これだから金持ちは。こっちは必死こいてやってんのに、笑ってるだけで将来安泰とかふざけんな。無能力のくせに、ここにいんじゃねぇ!」

「ここは金持ちの道楽でいていい場所じゃねぇんだよ。無能は消えろ!」


 それでも秋香は表情を崩さない。言われ慣れているからか、全くの無反応だ。この手合いは相手にしない方が良いと理解しているのだろう。

 だが友人に向かって悪口や暴言を吐かれ、無視をするのが一番と対応できるほど、リンは薄情ではなく、また大人ではなかった。


「貴様ら、それ以上私の友人を侮辱するのは許さない」


 リンは秋香の前に立ち、自分より頭一つ分以上大きい相手を真っ向から睨みつける。


「お前もそんなやつとつるんでんじゃねぇよ。もしかして、なんか脅されてるのか?」

「ああ、ありそうありそう。金持ちはそういう汚いこと平気でするって言うし。案外、噂の爆破予告出したのもこいつなんじゃねぇの?」

「それ以上の侮辱は許さないと私は言ったぞ」


 リンが身を乗り出そうとした瞬間、秋香に後ろから抱きしめられ、頬を指でぐりぐりされた。


「いや~ん、リンちゃーん、そんなにおこっちゃやーよ。美人さんが怒ると超怖いし、シワができちゃうんだぞー。ほーら、ぷにぷに~、笑顔笑顔~」

「秋香……」


 まるで眼の前の男子生徒達など眼中にないような振る舞いに、リンは冷静さを取り戻す。


「聞こえてんだろ無能! いい加減に!」


 反対に、相手にされていないことを理解した男子生徒が痺れを切らして秋香に手を伸ばす。


「きゃー! 痴漢よ変態よ発情期よぉ! 野球部が女の子に手を出してるわぁ!」


 だが直後に響いた女性特有の甲高い声にその手が止まる。


「いやー! お猿さんよぉ! 誰か保健所の人呼んできて!」


 続けて響いた別の女子の声に周囲の人目が集まりはじめる。

 言葉の内容はともかく、これだけ騒げば人が集まるのは当然だ。


「男あふれる汗臭いグラウンドから飢えたお猿さんが出てきたぞぉ! みんな逃げろぉッ!」


 周囲に視線を向ければ、帰宅途中だった生徒達が次々に響く悲鳴だか雄叫びだかわからない叫びに足を止め、こちらの様子を窺っていた。


「ちっ! 行こうぜ、無能がうつる」


 状況が悪いと悟ったか、捨て台詞を残し、腹いせとばかりに花壇の花を踏み荒らしながら野球ボールを拾い、男子生徒達はそそくさと立ち去っていく。

 状況の変化についていけず、リンがポカーンとしていると、いつの間にか離れていた秋香が手をパンパンと叩き、なんだなんだと集まってきた生徒達の視線を集める。


「みんなぁ~見せモノは終わったよーん。ところでテスト休みにご旅行はいかが? お安くしときますよ? あ、パンフレットはこちらに、ご相談のお電話は~」


 身ぶり手ぶりで秋香が場の空気を変えていく。

 先程のやり取りを人を集めるためのパフォーマンスとして利用するのは秋香らしい。あんなことを言われたにも関わらず普段通りだ。

 しかし、リンの胸中には先程覚えた怒りが渦巻いたままだ。

 とはいえ、言われた本人がああなのだから、自分がとやかく言うのは筋違いである。なにより言うだけで解決する簡単な問題ではない。そのことを理解しているため、消えない怒りのやり場に一人苦悩する。

 加えてアレだけの罵倒を受け、全く気にしていない。それほどまでに何度も言われ続けたせいで、もう『慣れてしまった』友人にどう声をかければいいか。リンにはわからなかった。


「りっちゃーん、カッコ良かったよぉ! あっちゃんを護るナイトみたいで」


 秋香が接客を行う様子を視ていると、後ろから声をかけられ、リンは振り向く。先程の事態を丸く収めた女子の声だ。

 リンの背後に女子二人と男子二人の四人組が立っていた。どれも見慣れた顔、リンと秋香のクラスメートだ。


「いや、私は……」


 称賛の言葉に曖昧な返事を返す。結局、自分は何もしていない。事態を解決したのは彼らだ。そんなリンの心境を察してか、もう一人の女子が野球部が去っていった方向を視る。


「けど、あいつらほんとムカつくよね。アッカンベーしとこアッカンベー」


 眼の下を指でひっぱり舌を突き出す。もう一人の女子と男子の一人もそれに習った。

 さすがにリンはしなかったが、心の中でしておく。少しだけ溜飲が下がった気がした。


(……彼らが敵意を向けるのは仕方がない)


 冷静さを取り戻したことで、リンは主観ではなく客観的に先程の事を考えていた。

 野球部がなぜアレほどの敵意を向けたのか。昔から因縁があるわけでもなく、面識すらほぼないのにも関わらず。理由は残念ながらある。それは三心教高校の環境だ。

 三心教高校は実力主義の空間であり、年四回の学期末審査で既定値以下の能力を出した者は転校という形で強制的に退学させられる。

 そうして開いた僅かな定員に、順番待ちをしている者達が群がる。

 それほどまでに狭く厳しい、気を抜けば即座に道が途絶えてしまう環境だ。

 その中に能力的に問題があり、どんなに不出来でも教育しなければならない者達が集められたクラスがある。その者達はどれだけ既定値以下の数値を叩きだしても、強制的に三心教高校に残る必要があった。

 三心教高校、否、全世界の中で底辺の能力だったとしてもだ。

 それがリンと秋香が所属するクラス。他のクラスから底辺クラスと渾名で呼ばれるのも仕方がない。

 自分達がいつ追い出されるかと不安になる中、そのクラスだけは何をしても、どれだけ成績が悪くても、例外であるため三心教高校に残っていられる。

 だからこそ野球部に言われた言葉に怒りはすれど、誰もその言を否定し、覆すようなことはしない。

 だが、リンに秋香、他のクラスメート達にもそれぞれ事情がある。一々人に語って聞かせるような簡単なモノではなく、納得してもらうことさえ煩わしくなるような事情が。

 それでも自分達が所属しているクラスが例外であるということはどうしようもない事実であり、そういう風に見られても『仕方がない』と思う他ないのだ。

 もとよりそんな『細かい事』を気にするような神経の細い人間は、リンを除いてこのクラスにはいない。秋香と同様に、全員が全員、それなりの人生経験を積んでいるのだ。


「お、みんなさっきはありがとねー、愛してるよー」


 集まっていた生徒達の相手を終え、秋香が合流しながら適当に言う。


「え、マジで、じゃあチューしてチュー」

「はいはいキッスキッス」


 先程声を上げた男子が言うと、秋香が投げキッスをした。これも適当だ。


「やっすい愛だぁ! そういやさっきから旅行とか勧めてるけど、なんか割引券とかないの? バイトしてるならそういうの貰えないのか、俺ラスペガサス行きたいんだけど」

「『ラスベガス』ね。一応あるよ、はいこれ旅行プラン」

「おお! おお? ゼロがひぃ、ふぅ、みぃ…………超たけぇ!」


 秋香からチラシを受け取り、そこに書かれた金額に眼を通して大袈裟に仰け反った男子を中心に笑いが起きる。秋香も笑っていた。

 先程までの『ただ』笑っている笑顔ではなく、楽しそうに笑っている。つられてリンも微笑みながら、自分もこのようにできればと心から思った。


「あいつら、許せないな」


 笑いの輪を断つように、怒りが込められた言葉が低く走った。

 四人組最後の一人である男子が、秋香と踏み荒らされた花壇、両方に視線を向け、表情を怒りで歪めていた。それでも堪えているようだが、つい漏れてしまったのが今の言葉だろう。


「ああ、そういえば園芸部だったなお前。悪い虫がついたと思うしかねぇよ」


 仰け反っていた男子が肩をすくめる。返答は無言だった。納得していないのは明らかだが、それ以上何も口に出さないことが、今の彼にできる全員への配慮であった。


「とりあえずみんなありがとう。あ、ちゃんと勉強しないと駄目だからね」


 言い難い沈黙が降りる前に、秋香が改まって礼を言い、最後に余計なひと言を付け足す。


「ぎゃふん、思い出させてくれるなよぉ」

「ふえーん、勉強苦手だよー」

「しっかり勉強するしかないよ。じゃあ私達は行くね。秋香、リン、また明日」


 三人がそれぞれ呟き、寮へ向かって歩き出す。先程の一言以外沈黙していた男子も、もう一度花壇を一瞥してから三人の後を追った。







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