第一章 ウィズダムブレイン
株式会社『ウィズダムブレイン』。
世界各地に支部を持ち、業務内容はソーラーパネルの開発としている。
広告には『新世界に対応したソーラーパネルを開発中、お客様の要望が成果を高め、必ずや応えること間違いなし、さぁみんなでグッドスマイルを築こう』という怪しい文面を踊らせている。
というのが表向きの顔だ。
その実態は、社内に対人間、対ソウルバディの技能を徹底的に鍛え上げられた兵士と言っても差し支えのない『戦力』を保有した。『どこの国にも属していないという事になっている』集団であり、『出所不明という事になっている命令』を受けて行動する秘密組織。
それがウィズダムブレインの真の顔だ。表向きの顔がまだマシと思える字面である。
「研究所は全焼か。予想通りとはいえ、やられたな」
ウィズダムブレイン日本支部、会議室。部下からの報告書に眼を通し、センカ・アカギは嘆息した。
東洋系の若い女性だ。ウィズダムブレインの制服であり、左胸に皆既日食を模った黒い太陽がプリントされた黒のスーツを着ている。足元まで伸びた黒髪と、幼い顔立ちが人形を思わせるが、一目でわかる厳しい表情が可愛らしさより凛々しさを際立たせている。
「最初から何も残されていなかっただろうが、こうなるとそれを調べるのも難しいか」
センカは書類を納め、顔を上げた。もとから厳しい表情が、より一層厳しさを増す。
報告書に添えられた写真には、全焼した研究所が写し出されていた。研究所は見る影もないほどに焼け落ちており、調査が難航することは間違いないだろう。
「申し訳ありません」
その事態を引き起こした張本人であるヴァイは頭を下げた。
右眼と右頬にガーゼを貼り、右腕は三角巾とテープで固定されている。黒のスーツの袖や首元からは包帯が視えており、他にも怪我をしていることがわかる。
だが、その程度で済んだことは運が良かったと言わざるを得ないだろう。
研究所の崩壊、連鎖的に起こる爆発、燃え上がる炎、全てをドライの心能力を使ってくぐり抜けた。
もしもヴァイが紅葉のように暴走すれば、ドライの能力が役に立たなければ、間違いなくあの場で死んでいた。そのことに比べればこれぐらいの傷は安い代償である。
とはいえ、研究所は全焼してしまった。直接の原因ではないとはいえ、ヴァイの責任問題だ。
「いや、責める気は無い。不問にする。顔を上げろ」
顔を上げると、センカが口の端を僅かに引き攣らせていた。
アレは怒っている。だが部下に対してではない。自分自身、そしてこの場には居ない上層部の人間に対しての怒りだろう。
「今回の件について上から何かを言われても、『時間がたっぷりかけられた罠のせいです』とシラを切っておけばいい。それぐらい言う権利は君でもある」
センカが薄く笑みを浮かべる。ただし、眼は笑っていない。怖い。
「了解しました」
ヴァイは馬鹿正直に頷いた。下手に言い返せば、藪から蛇が出てくるからだ。
「さて、次の任務だ。貴様にはもう少し『イタチごっこ』に付き合ってもらうぞ」
センカが皮肉を込めて言い、書類を渡す。
「貴様には三心教高校へ潜入してもらう」
書類には、ソウルバディの扱い方を『全世界で唯一、教育することに成功している』日本の教育機関の名が綴られていた。
現在から九〇年前、ソウルバディ発展学の第一人者である故人・雪子刹那によって設立された高等学校だ。雪子刹那の死後もその教えや理念に従い、世界各地から入学者を募っている。
入学から卒業までの三年間でソウルバディに関係する知識と技術、そして心の在り方を教え込み、世界各地へと輩出させる名門高校である。誰もが一度は耳にする有名校だ。
それとはまた別に、各国のパワーバランスに関係するソウルバディの扱い方を教育していながら、世界各地から入学者を募っているために、国が迂闊に介入すれば即座に国際問題に発展しかねない不発弾のような学校であるという点でも有名だった。
そのため放置する訳にもいかず、各国から派遣されている諜報員が常日頃動向を注視している複雑な立ち位置だ。
「研究所からの逃走ルートを割り出した結果、最重要人物がここに潜伏している可能性が高い」
最重要人物。ヴァイと紅葉が潜入した研究所で、ソウルバディを用いた違法な研究を行っていた人物のことだ。
素性はウィズダムブレインの情報部でも突き止められなかった。容姿、年齢、性別すら不明だ。手掛かりはゼロと言える。
「発見次第、捕獲もしくは処分しろ。兵装は強行用を持っていけ、『現地調達』も許す」
強行用の兵装、それはソウルバディ他、銃器や爆発物の持ち込みも許すという意味だ。つまり、それ相応の反撃に遭う可能性が高いのだろう。
「環境を整え次第増援の準備はするが、禁じ手だ。切らせてくれるなよ。定期連絡は現地時刻の零時から三時間ごとに行え、なければ増援を送る、後釜にならないよう気をつけろ」
ヴァイが道半ばで倒れても後釜はいる。しかし幾人もの兵士を三心教高校に送ることは国際問題を引き起こすトリガーになりかねない。そのことを肝に銘じておけとセンカは暗に言う。
「それともう一つ、卵に気をつけろ」
「卵? それはどういう意味でしょうか?」
ヴァイの問いにセンカは答えなかった。どうやら一平卒に言えるのはそこまでのようだ。
「一時間後、サラード技術師に会いに行け、今回の任務に必要な『専用装備』を渡す」
『専用装備』という単語に、ヴァイは何故か嫌な予感を覚えた。
★
別の部屋。白い壁や天井に加え、ドクターデスクや寝台が設置されていることから、診療所の診察室を思い浮かばせる。部屋の中でヴァイは丸椅子に座り、金髪の男と向かい合っていた。
男の名はサラード・オルティース、三十代前半の痩身長躯アメリカ人だ。
実直そうな表情はトオネのモノより幾分柔らかいが、相対する者に厳しさを伝えてくる。黒いスーツの上から白衣を羽織るように纏っているが、医師ではなく技術師である。
センカが指揮する部隊において、武装の整備やソウルバディの調整を行っている人物だ。
「やはりセンカは怒っていたか?」
「ああ、話している間、地雷原で両手に水が入ったバケツを持っている気分だった」
「その例えはよくわからんが、気持ちはわかる。アレがキレると羽虫が気死するからな」
二人は部屋が防音なのをいいことに、本人が聞けば怒るようなことを好き勝手に言い合う。
「今回の件で一番割を食ったのはお前と紅葉だろうが、センカにとっても到底納得できない結果に終わったからな」
今回の件とは、ヴァイと紅葉が侵入した研究所のことだ。事の発端は二週間前、研究所においてソウルバディに関する違法な研究が行われていることをウィズダムブレインの情報部が突き止めたことが始まりだ。
センカが指揮する部隊は奇襲を仕掛けるために半日足らずで情報を集め、現場に向かう手筈だった。
「まさか行く直前に寸止めされるとは思わなかった」
だが指揮官であるセンカより遥かに偉い、組織を援助する資産家が待ったをかけた。詳しくは末端のヴァイの耳には入らないが、風の噂(確定)によると国からの圧力を受けたそうだ。
「おかげで鮮度が命の情報は全て台無し、情報部の奴らが荒れ狂っていたな。圧力かけられた資産家は情報部が故意に流した噂によると四季家だったか、そっちもそっちで運が悪かったな」
「国が介入することは珍しいことではないが、今回は特に酷かった」
サラードが肩をすくめ、ヴァイは苦言を呈する。
国と言えど一枚岩ではない。ウィズダムブレインを指示する派閥もあれば、批判する派閥もある。
合法では消せない汚れを非合法で消すのがウィズダムブレインの存在理由であるため、後ろめたいモノがある政治家などからは存在を疎ましく思われている。
「確か国内でオレ達が活動することを良しとせず。テロリストとして処罰するだったな」
サラードが国から送られてきた警告文を簡潔に纏めた。
「更に少数とはいえ、正規軍の部隊を研究所の周囲に山間での訓練という名目で配置してきたな。もしオレ達が警告を無視して活動すればそのまま開戦する気だったかもしれない」
だがこれは珍しいケースではない。
今までウィズダムブレインは幾度となく、良くも悪くも国からの介入を受けている。
ただ今回のように部隊が出発する直前、国内に侵入する段取りができていたにも関わらず、突然覆されるのは珍しかった。
「代わりに研究所をどうにかするのなら、こちら側としてはそれでよかったんだがな……」
サラードが苦い表情で言った。
結果が同じなら、ウィズダムブレインは身を引いただろう。
だがそうならなかった。先程のセンカの口調が刺々しかったのはそれが原因だ。
「正規の軍隊は動かない。動かせば研究所の存在が公の場で明るみになる。自国の中で違法な研究所が稼働していた事実は、政治家達の立場を危うくする。隊長が嫌いそうな話だ」
「どの道ウィズダムブレインに仕事が回ってくる。それならなぜ邪魔をしたのか」
「答えは簡単だ、自分達の立場を守るためだろう」
「その可能性もあるな。立場を危うくする重りは一つでも減らしたいだろう」
事実が明るみになった時の保険とも言える。違法な研究所が稼働していた事に加え、非公式の組織が暗躍していたという責任を逃れるためだ。
部隊の足止めをしたのは『ウィズダムブレインの活動を黙認したのではなく、拒絶したが押し切られた』という体面を得るための茶番だとヴァイは予想する。
もしくはウィズダムブレインを指示する政治家達を蹴落とす布石なのかもしれないが、二人は想像するだけ疲れる政争に興味は無かった。
「実際、政治家達の思惑通り、ウィズダムブレインは国内で動けるように、また研究所を庇いだてすれば不利になるような条件を揃え、強引に研究所が『どこの国にも所属していない』ことにした。くだらない茶番だ、時間の浪費に他ならない」
ヴァイの辛辣なコメントに、サラードは少しだけ驚いた表情になる。
表情や言動こそ淡々としているが、仲間を傷つけられて平気の平左でいられるほどヴァイは冷淡ではなかった。何も感じていないなんてことはない。ただ表に出ないだけだ。
「政治家達の茶番に付き合った結果が二週間の足止めだ。その合間に研究所は破棄され、トラップを仕掛ける時間も与えてしまった。最悪の展開だ。隊長が怒るのも無理はない」
部隊を預かるセンカは、ヴァイと紅葉を先発隊として死地に送り込む苦渋の選択を強いられる事になり、結果は研究所の全焼だ。到底納得できるモノではないだろう。
「感情に駆られる事はないだろうが、アレはアレでストレスを溜めこむタイプだからな。今度飲みにでも誘うか。ヴァイも来るか?」
「オレも隊長も未成年だ。それに任務……もな」
ヴァイはセンカとの会話を思い出し、考え込む。
「そういえばセンカはまだ十九か……。どうした? 考え事か? わかった……なぜ自分にこの任務が与えられたのか考えているんだろう?」
「正解だ。なぜわかった?」
思考を切ってサラードの顔を見ると、彼は意地の悪い笑みを浮かべていた。
「理由は簡単だ。ヴァイが最重要人物を釣る餌に適している、それだけだ」
確かに簡単だ。手掛かりがない以上、相手から行動を起こすように状況を整えるのが一番だ。納得できる。
「専用装備を受け取ってこいと言われたんだが、まさか関係しているのか?」
「その通り、今回の任務はこれを身につけて動いてもらう」
そう言ってサラードがドクターデスクの下からドールハウスを持ち出してきた。一戸建て住宅の十二分の一ぐらいの大きさであり、外装は日本の住宅に酷似している。
「イメージは木造住宅だ。一番凝ったのは屋根だな。カワラブキと呼ばれる瓦を用いた屋根を再現している。再限度を上げるため、瓦は一枚一枚丁寧に作った。無論、全て手作りだ」
まるで自分のおもちゃを自慢する子供のように、ドールハウスの作りについて解説するサラード・オルティース(三十二歳)。趣味はドールハウス作りだ。
「訊いてない。まさかこれを持ち歩けというのか? せめて持ち手を付けろ、運びにくい」
「持ち手だと? ヴァイは自分の家に持ち手が付いていてもいいのか? そんなのはレジャーランドにあるキャラクターハウスと同列だ。オレは断じて家とは認めない」
触れてはいけない琴線に触れてしまったようだが、ヴァイからすれば心底どうでもよかった。
「お前のマイホームの価値観など知らん。まさかとは思うが、これが専用装備か?」
「専用装備ではあるが、お前のではないな」
ゾッとしてヴァイが聞くと、サラードは首を左右に振ってドールハウスの屋根をパカリと開けた。どうやら開閉式のようだ。持ち手は駄目で、開閉式のギミックは良いらしい。
屋根が開き、室内の様子が視えようになる。外見同様、中の方も素晴らしい出来の良さだった。だがもっと眼を引くモノがあった。というか居た。もっと言えば住んでいた。
和室をモチーフに作ったのだろうか、小さな畳みが敷かれた小部屋の中に彼女は居た。
「ご無沙汰しておりましたマスター、今後ともよろしくお願いします」
ウィズダムブレインの社員服である黒のスーツを身に纏い、座布団の上に正座しながら両手を揃え、深々と頭を下げるソウルバディ・ドライだ。