第三章 ソウルブラスト
広大な空間に辿りついたヴァイ達の眼の前に、全長三十メートルを超えた巨大な『何か』がそびえ立っていた。
トカゲに似た巨体、頭部に木の枝を思わせる二本の角、全身を覆う鈍く輝く紅の鱗、背中から蝙蝠のような一対の翼、先端が鋭く尖った尻尾、手足からは鋭い爪が伸びている。
知っているモノで例えるなら西洋の龍、ドラゴンだ。伝説上の生物である。こんな場所にいるわけがない。だが他の生物に例えることもできない。
だから『何か』としか言えなかった。
「なんでこんなのが、幻覚……ではないか」
ドラゴンが放つ存在感、威圧感、恐怖感、どれもがリアル過ぎた。
「ヴァイ、秋香はアレの中だ」
圧倒されているヴァイに、リンはドラゴンの腹の部分を指差しながら言った。
リンに言われてヴァイが眼を凝らせば、ドラゴンの身体が若干透けていることに気付く。
そしてドラゴンの腹の奥に、胎児のように小さく丸まった秋香が浮かんでいた。
眠っているのか眼を閉じており、一向に目覚める気配が無い。
「食われた? いや、こいつ……まさかあの女のソウルバディか?」
なんでこんなのがこんなところに居るのか、考えられる理由はそれぐらいしかない。
「あ、マスター、腐れマッドサイエンティストが無様に倒れています」
ドライが部屋の隅の方に倒れているヤナセに気付く。壁に身体をぶつけたのか伸びている。
「ということはリン達と同じで、あのチップのせいか」
何らかの目的のためにヤナセについていった秋香だが、結局は実験に利用されてしまったのだろう。もしくはこうなること自体が狙いだったのかもしれないが、現状では知りようがない。
だがそれが真実だとすれば、とんでもない化け物が眼の前に居ることになる。
ソウルバディの大きさはそのまま力の強さとなる。ヴァイはリンより大きいソウルバディを見たことがなかった。むしろそんなソウルバディは存在するべきではないとすら思っていた。
それなのにドラゴンである。本当にアレが秋香のソウルバディだとすれば、見せかけだけではない。その力は本物のドラゴンに、天災にすら匹敵するだろう。
「囚われのお姫様が実はドラゴンだったなんて、笑えないな」
「大丈夫、私達ならアレと……秋香と戦える」
力無く言ったヴァイに、リンが力強く言う。ただの励ましではない。
リンも眼の前のドラゴンと同じ次元の存在であるはずだ。ヤナセが研究対象に二人を選んだ理由や、何かを知っている節があるセンカがリンの同行を許したのもそのためだろう。
というか、そうでも思わないとこんなのとやってられない。
「その言葉信じるぞ。……どの道、あのままというわけにもいかないしな」
曖昧な根拠であるが、どうにかするしかない。問題はどうやってどうにかするかだ。
眼の前のドラゴンはヴァイ達のことなど全く眼中にないといった様子で天井を見上げている。
今までの事を考えれば、そのまま元に戻るということはないだろう。
そう思った矢先にドラゴンが動きだした。巨大な顎を開き、力を溜める動作を見せる。
人間の一人や二人丸呑みできそうな大口に光が灯った瞬間、天井に向かって光球を吐きだした。
光球は砲弾のように轟音を伴いながら疾走、天井に激突して大穴を開けた。
光球によって弾かれた空気がヴァイの身体を揺すり上げる。
「心波の塊か……」
光球の正体をヴァイは一目で看破できた。アレは周囲の物体に干渉するほどに凝縮された心波の塊だ。
さすがに一撃で地上まで貫通しなかったが、天井に巨大なクレーターができる。
激突の際に発生した衝撃や爆音、破壊された天井の破片が容赦なくヴァイ達に降り注ぐ。
「あいつ! 外に出る気か!」
だがそんなことを気にしている余裕はヴァイには無かった。
あんなドラゴンが外に出れば地上の混乱は必須であり、その上で暴れでもされたら周辺の被害は馬鹿にならないだろう。
加えて天井の大穴を中心に亀裂が走っており、もう一度光球を放たれたら天井が崩れて生き埋めになりかねない。
「リン、さっさとケリをつける。いくぞ」
「ああ。接続、共鳴、私達は一つだ」
ヴァイの呼びかけにリンが応じ、二人は接続を行う。
リンの姿がヴァイの中に溶け込み、変化が生じる。
色気の無い白髪が艶のある黒髪に、右の瞳が金色に変わった。
欠けていた心が満ちる感覚、先程まで感じていた恐怖や圧迫感が嘘のように霧散した。これを二年間も失っていたのかと、感慨にふけるほどの温かな心強さを感じる。
「手荒い目覚ましになるが、我慢しろよ」
ヴァイはリンの心能力を発動させる。
リンの心能力、ヤナセが『ディメンションコネクト』と呼んだモノを使う。
それは他者の精神に干渉すること……ではない。アレはリンの心能力の副産物に過ぎない。
本来の心能力は『心波を発生させる万物全てと空間や次元を超越して接続する』ことだ。
グラウンドエリアにおいて両やリザ、ヤナセに干渉したように、リンはあらゆる壁を突破して誰とでも簡易的に接続を行うことができる。例えそれが心の壁だとしてもだ。
『全ライン接続、みんなの力、勝手に借りさせてもらう』
リンはヴァイの誰かを想う心がソウルバディとなった存在だ。誰かを意識的にしろ無意識的にしろ、ただ『想う』だけでラインを形成することができ、心波を受け取ることができる。
それが、リンがヴァイと遠く離れていても物質化できていた理由だ。
心能力の効果範囲は定まっておらず、一度ラインを形成さえしてしまえば、どれだけ離れていても次元を超越して心波を受け取ることができる。
ラインを繋げる条件も緩く、一目見るだけでも簡易的なラインを繋げてしまうのだ。つまりリンが認識している人間の数だけ、心波を得ることができる。
簡易的な接続であるがゆえに、自覚できないほどの微量な心波しか受け取ることができないが、何百……何千という数から受け取れば少ないとは言えない、むしろ無尽蔵と言っても過言ではない。
扱える心波の総量に限っては、眼の前のドラゴンを凌駕しているだろう。
普段はリンが実体化する分の必要最低限のラインしか起動していないが、それでもあの大きさである。全てのラインを起動した時、いったいどれほどの心波を集めることができるのか。
「ぐっ……くっ」
身体の中に流れ込み、溢れ出さんばかりに溜まっていく心波をヴァイは必死に抑え込む。
扱える心波の総量が無尽蔵とはいえ、使うのはヴァイ一人だ。たった一人の人間が抱え込むには、リンが集める心波は多過ぎる。集めることはできるが、制御ができないのだ。
「加減はしないぞ……というかできない!」
堪り続ける心波はいずれヴァイの制御を離れ、身体の容量を超えて決壊して流れ出す。
だがその流れ出る方向さえ定めてしまえば、無尽蔵ともとれる心波は荒れ狂う奔流となって標的に襲いかかる。
物体に干渉できるほどの膨大な量の心波は、ぶつけるだけでも十分過ぎる威力を持つ。
ヴァイの役割は心波の制御ではない、砲身となることだ。
「ソウルブラスト!」
ヴァイの身体から、心臓の真上に位置する箇所から、光の奔流が放たれた。
それは先程ドラゴンが吐き出した光球に似た輝きだった。
しかしドラゴンは単発だが、こちらは断続的に放たれ続けている。
ヴァイが一目で光球の正体を見破ることができたのは、同じことができるからだ。ただし威力と継続性は段違いでこちらの方が上だった。
光の奔流はドラゴンに向かい、その巨体を包み隠す。
『っ! 駄目だ! 届いていない!』
「な……に」
リンが絶望に彩られた呟きを漏らし、ヴァイもその現象を見た。
光の奔流はドラゴンに届いていなかった。触れる直前に、なにか壁のようなモノにぶつかって防がれている。いくら攻撃し続けても、まるで突破できる気配が無い。
それ以上は無意味だと判断して、ヴァイは攻撃を止めた。リンに心波を集めるのも中断させる。
「あのドラゴンが纏う濃密な心波が周囲の空間を破壊して断層を作り、こちらの攻撃を遮断しているのではないかと。
反対にあちら側の攻撃は、断層を破壊しながら攻撃するので届いてくる。お姉様と同じ、次元に干渉するソウルバディ……ですね」
ドライの推察に、ヴァイは言葉を失いながらドラゴンを見上げる。
リンの心能力と同じである。リンが空間や次元に干渉して心波を集めるのと同様に、あのドラゴンは空間や次元に干渉、破壊することができる。それが秋香の本来の心能力なのだろう。
ドラゴンが纏う濃密な心波は最強の矛であり、また盾にもなるということだ。
ソウルブラストではその盾を突破できない。心波を集める際は空間や次元に干渉しているが、ソウルブラスト自体はただ膨大な量の心波を放出しているだけに過ぎないのだ。
さらに状況は悪化の一途を辿る。今の攻撃でヴァイ達の存在に気付き、ドラゴンが頭を向けた。そして顎を開き、先程の光球を放つ構えを取る。
防ぐことはできない。ソウルブラストで相殺することは可能かもしれないが、そうしたところで後に続かない。一度放つ度に心波を集め直す必要があるため、連射ができないのだ。
『くっ……秋香……』
「リン! 友達を助けるんだろう! だったら諦めるな!」
弱音を吐きかけたリンをヴァイが叱咤する。
「必ずお前をあの女のところに辿りつかせる。だからお前達、オレに力を貸せ」
使命を帯びた兵士として、大切な人を護る男として、ヴァイは諦めてなどいなかった。
リンと接続したことで、彼女から伝わる友達を助けたいという強い想い。そしてヴァイ自身が抱く二度と大切な人を傷つけたくないという想いが、彼を突き動かす。
『ヴァイ? ……わかった、ヴァイを信じる』
「私はいつでもマスターの傍に」
二人のソウルバディがヴァイを支える。だからまだ戦える。
傷だらけのヴァイに向かって、ドラゴンが無慈悲にも光球を放つ。
迎え撃つようにヴァイもソウルブラストを、自身の足元に向けて放った。同時に地面を蹴り、上に向かって跳び上がる。
「ぐっ……うおおおおおおおおおおおッ!」
真下に向けて放ったソウルブラストは地面に激突し、衝撃でヴァイの身体は真上に向かって吹き飛んでいく。
次の瞬間、ヴァイが直前まで立っていた場所を光球が吹き飛ばして、更に発生した衝撃波がヴァイの身体を空高く舞い上げる。
ドラゴンの光球を回避すると共に、天井付近まで移動する。しかし、そのままでは重力に従ってヴァイの身体は落下するだけだ。
「リン!」
「いっけえええええええええええええッ!」
ヴァイはリンとの接続を解除する。空中で物質化したリンはヴァイを掴み、ドラゴンの……光球を放った直後でまだ開いたままの口の中に向かって投げ飛ばした。
「ドライ!」
「私を使ってください、私を振るってください、私を繋げてください」
投げつけられたのと同時にヴァイはドライと接続を行う。
「現象凍結!」
ヴァイはドライに秘められた本来の力を試す。凍結させる現象は『ドラゴンの心波の放出』だ。
それは一か八かの賭けだった。発動するかどうかも不明、通用するかどうかも不明、失敗すれば断層に激突して終わりだ。
『マスター、私はマスターとお姉様のように深い絆で繋がっていません。ですから、これから繋がっていきましょう。そのために、次に繋げます!』
ヴァイの呼びかけに、ドライは最速で応じた。
ドラゴンの全身が薄い氷の膜で覆われた。
心波の放出も止まっている。だが、すぐに氷の膜はひび割れて砕けていく。
凍りついた空間そのモノを破壊しているのだ。
数秒経たずに氷は砕け散ってしまった。だは、ヴァイはもうドラゴンの口の中に立っている。
「リン!」
「接続!」
ドライとの接続を解除して、離れているリンと再び接続、心波を集めさせる。
口の中に潜り込んだ異物を噛み砕こうと、ドラゴンは顎を閉じにかかる。
ヴァイの細腕では止められない。だが止める必要もない。
『ヴァイ、ここまでありがとう。これからは私も一緒に行く!」
「いいから行ってこい。……ゼロ距離なら盾も何もないだろ。リン! お前の声を届けてこい! ソウルブラスト!」
光の奔流がドラゴンの身体を満たした。