第三章 悪いクセ
「すんすん、なんか血なまぐさい臭いがプンプンと」
紅葉が鼻を動かす。ヴァイも感じ取っていた。風に乗って運ばれてくる血の臭いを。
資料館の前でヴァイ達を待ち構えていたのは、両とリザの二人のだけだった。
「他の仲間は隠れているのでしょうか?」
「いやいや、違うっすよドライちゃん」
ドライが警戒するが、紅葉が楽しそうに首を左右に振る。
「あのおっちゃんが斬り殺したんじゃないっすかね。ほら返り血でべっとりだし」
紅葉が指差す先に立つ両の全身は、鮮血で赤く染まっていた。
「おいおい、俺はまだおっちゃんって歳じゃないぜ」
紅葉の言葉を否定せず、両は豪快に笑う。センカが一歩前に出る。
「ウィズダムブレイン日本支部、チームバイセンを預かるセンカ・アカギだ。今から貴様達を殲滅する。ああ、安心しろ、殺しはしない。死にたくなるかもしれないがな」
センカが腰に差している得物を抜いた。反りのある片刃、日本刀だ。
「気の強い若者は好きだぜ。だがあんまり俺らを甘く見ないでもらおうか、こっちはもう部下が十人も死んでいるんだ。死ぬ気でいかせてもらう」
センカの宣言に、両が大剣を取り出しながら言い返す。その大剣も血で汚れていた。
紅葉の言う通り、本当に部下を斬ったのだろう。だが何のために?
「元々話し合いで始末をつける気は無かったが、どうやら最初からその必要はなかったらしい」
狂気さえ感じさせる両の発言を涼しげに受け、センカは日本刀を下段に構える。
「む、隊長同士で戦闘っすか。となると、おお……」
睨みあう二人を眺めていた紅葉が気の抜けた声を上げながら飛び退く。
次の瞬間、先程まで紅葉が立っていた場所にリザが飛び込み、レイピアを突き出していた。その切っ先は紅葉に触れることなく空を斬る。
リザが外れたレイピアを構え直す。その隙を狙ってヴァイは殴りかかる。
「ちょっと先輩、獲物取らないでほしいっすよ」
しかし紅葉に後ろから制服の襟を掴まれ、オモイッキリ引っ張られた。
思わず体勢を崩したヴァイにリザがレイピアを突き出すが、眼の前に紅葉が太刀を突き出して追い返す。
そのままヴァイと位置を代わり、紅葉が前に出る。
「先輩は先に行くっす」
「行かせると……っ」
リザが言い切る前に紅葉が斬り込んでいた。
それを見届けることなく、ヴァイはリンの手を引いて走り出す。
両が反応するが、センカが刀を眼の前に突き出して牽制する。
「先に行って大丈夫なのか?」
資料館の中に入り、ヴァイが周囲の状況を確認していると、リンが外の様子を気にしながら訊いてきた。
壁越しに届く甲高い音が戦闘の激しさを物語っている。
「あの二人は元々単独戦闘が得意だ。それに今のオレでは満足に連携が取れん、足手まといだ」
少し走っただけにも関わらず、ヴァイは全身の傷が熱を持ったのを感じていた。
「いいからお前はあの女の事だけを心配して……っ」
リンを注意しようとした時、ヴァイ達が居る広間が揺れた。
地震ではない。下からまるで蹴飛ばされたような、一瞬だけ建物全体が浮かんだとさえ思えるほどの衝撃だ。
「これは……っ!」
その揺れに何かを感じ取ったのか、弾かれたようにリンが資料館の奥に向かって走り出す。
「な、おい!」
「マスター、私達も行きましょう。下に……『何か』が居ます」
条件反射で呼び止めようとしたヴァイに、怯えているような強張った表情でドライが告げた。
ソウルバディであるリンとドライが見せる異様な反応に嫌な予感を覚えつつ、ヴァイはリンを追いかけた。
資料館の奥には、先日草士朗を止めた時には影も形もなかった鉄製の扉が出現していた。
扉の奥には地下深くに繋がる階段が在り、駆け降りるリンの後ろ姿が確認できる。
ドライを連れてヴァイも階段を降り、リンに追い付く頃には階段が終わっていた。
「リン、あまり勝手に動くな」
ヴァイの忠告が聞こえていないのか、リンは無言で鉄製の扉を押し開ける。
扉の奥には、どこか現実感が乏しい空間が広がっていた。
そして『何か』が居た。いや、それが『何か』は知っているが、通常在り得てはいけないモノだ。
規格外過ぎる『何か』を見上げ、ヴァイは途方に暮れた。
★
紅葉はリザと斬り結びながら、資料館から離れた場所で戦闘を行っていた。
左右を花壇に挟まれた通路で激しい剣戟音が鳴り響く。
「隊長の崇高な目的を理解できない権力の犬が!」
「同じ穴のムジナじゃないっすかぁ、仲良くしましょうよぉ!」
互いに攻撃を放ち、かわし、何度も位置を入れ替える。
どちらかが倒れるまでそれが永遠と続く。
決定打に欠けるような戦いに見えて、リザには焦りが、紅葉には笑みが浮かんでいた。
実力が拮抗しているから勝負がつかないのではない、紅葉が遊んでいるのだ。
『まーた、相棒の悪い癖が出てる……』
紅葉が手にした太刀からコロナの呆れた声がする。
「悪い癖じゃないっすよ、勝負を楽しんでるだけっす」
紅葉がむっとしながら言い返す。場違いな、舐めているとも取れる二人の会話にリザが叫ぶ。
「ふざけるな! 隊長は命を賭してこの戦いに望んでいるんだぞ!」
「隊長は……っすか、あんたは命を賭けてないんすね」
陽気な口調から一片、落ち着いた態度で紅葉に言われて、リザはウッと言葉を詰まらせる。
「普通は死ぬ気で戦う人に付き合いたくないっすからね。というかあのおっさんは本当に死ぬ気なんすか? 世界平和のために部下とか斬ってるわ、必要な犠牲とか言って一般人犠牲にしようとしてるわ、意味わかんないっすよ、怪しさ満点す」
「だ、黙れ! 私は軍人で! 両中佐の部下だ!」
「だからどうしたんすか? 内心ではあのおっさんに疑問を抱いているんじゃないんすか。だから資料館から離れて戦っている……とか?」
紅葉の指摘にリザの表情が強張る。どうやら全幅の信頼を寄せているわけではないらしい。
「本当は怖いんじゃないんすか。次は自分が斬られるかもしれないと」
一度リザから距離を取り、紅葉は大振りの一撃を叩き込む体勢に入る。
「私は軍人だ! 民間人の命を護るために、この命を捧げている!」
迷いを断つように、否、自分の奥底に封じ込めるようにリザが吠え、レイピアを紅葉に向ける。その刀身が氷塊に包まれていく。
細身だったレイピアが、紅葉の太刀に負けず劣らずの重厚な武器と化す。
「仕事のために命を投げ出すとか社畜じゃないんすから、楽しまないと損すよ」
紅葉が手にした太刀が荒れ狂う炎を纏い、周囲を紅く照らし出す。
どちらが合図をしたわけではないが、踏み込みは同時だった。
違ったのは攻撃の方法だ。リザは刺突、紅葉は右薙ぎの一閃を放つ。
衝突は一瞬、氷塊が砕け、力負けしたリザが後方に吹き飛ぶ。
砕けた氷塊が氷の粒となって散らばる中心で、紅葉は息を呑む。
今の衝突による手応えが軽かったのだ。まるで力負けすることを狙っていたかのように。
その疑問を裏付けるように、ダメージを受けた様子もなく地面に着地したリザが勝ち誇った笑みを浮かべる。
次の瞬間、紅葉の周囲に散らばる氷の粒が爆発四散した。
まるでクレイモア地雷のように、細かな氷の粒が無数の刃となって紅葉の全身をズタズタに切り裂く。
避ける隙間も、防ぐ方法も無かった。身体中を貫かれて紅葉は倒れかけるが、太刀を支えになんとか踏み止まる。
「戦闘を楽しむ? ふざけるな、戦いは命がけだ、ゲームとはわけが違う!」
トドメを刺すためにリザが近づくが、紅葉は動けない。
その無防備な胴体にリザがレイピアを突き出した。抵抗も無く、細身の刃が紅葉の胸に吸い込まれる。
心臓を一突きだった。一度痙攣した後、力を失った紅葉の身体がリザに向かって倒れ込み、その身体を血で汚す。
紅葉の身体からレイピアを引き抜き、突き飛ばしながらリザは踵を返そうとするが、突如響いた笑い声がそれを押し止める。
心臓を貫かれたはずの紅葉が笑っていた。
「その通りっすよ。戦いは命がけ、ゲームとは違う。だけど戦いが楽しめないなら戦わなくていいんす。地球上にはまだまだ人間がいるんすから、無理してあんたが戦う必要は無いんすよ」
「お前……どうして? そうか! 第二世代、肉体干渉型か!」
リザが逃げるように紅葉から距離を取る。
紅葉の身体に開いた穴から炎が噴き出す。そのまま炎は紅葉の全身を包み込み、彼女自身を炎の固まりに変化させた。
第二世代のソウルバディは肉体干渉型と呼ばれ、人間の身体そのものに干渉する。その結果、今の紅葉のように一種の不死性を備えるモノが多い。
「びっくりしたっすよ。さすが正規軍、いや別に舐めていたわけじゃないんすけどね」
炎の中から紅葉の声が響く。彼女は今、炎そのものと化しているのだ。
心臓を貫かれて平然としている紅葉に対して、リザは冷静だった。
「だが炎となっている以上、沈下してしまえばそのまま消えることになるだろう?」
「正解、雨とか降ると炎化できないのが弱点なんすよね。でも、もう手遅れっよ」
弱点を指摘されたにも関わらず、紅葉は勝敗が既に決していることを告げる。
「アタシの心能力は身体を炎に変えること」
「そんなのは見ればわか……」
言い返す途中でリザは気付いたようだ。今の自分が紅葉の血、彼女の体液で汚れていることに。だが気付いたところでもう遅い。
まるでガソリンに火を点けたかのように、一瞬にしてリザの身体が炎に包まれる。
リザが絶叫を上げ、地面を転がるが炎は消えない。
聞くに堪えない叫びと無様なその姿に、紅葉は長い溜息を吐いてから炎化を解く。
紅葉が人の姿に戻るのと同時に、リザに纏わりついていた炎が消えた。
「もうやだ、いやだ、本当は戦いたくないのに……あんな人と関わりたくなかったのに……」
全身黒焦げになり、リザが顔を両手で覆って涙声で訴える
「それならさっさと足洗って、婚活でもすればどうっすか」
冷たい眼差しでリザを見下ろしながら、紅葉は言い放った。その身体が不意に揺れる。
「っと……さすがに病み上がりで本気出すのはキツイっすね」
例え首が斬り飛ばされようと炎化すれば再生できる紅葉の心能力だが、その分消耗は激しい。
太刀を地面に突き刺して、紅葉はふらつく身体を支えながら資料館を見上げた。
「先輩、無事に帰ってきてくださいよ」




