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第三章 言葉にしないと伝わらない


 ドライは闇の中に居た。夜の海を漂っているようでいて、底知れぬ穴の中を落ち続けているような奇妙な感覚を覚える。

 意識は靄がかかっているようであり、まるで夢を見ているように反応が鈍い。

 そんなドライの眼の前に、ノイズが走った映像が現れた。古いテレビを見ているように、映像は色褪せてところどころが飛んている。

 だが、それが誰かの記憶だということは直ぐにわかった。

 ドライが持っているどの記憶にも無い、知らない場所の映像だったからだ。

 研究所だった。電子機器が敷き詰められた狭い部屋、何人もの大人が忙しくなく動き、何らかの機器を操作している。

 部屋の中心には二つの寝台が並んで設置され、二人の子供が皮のベルトで固定されていた。歳が十歳前後の黒髪の男の子と、白髪の女の子だ。


(マスターとお姉様?)


 黒髪の男の子は虚ろな視線で天井を見上げていた。身体からは力が抜けており、ぐったりとしている。その身体には無数の配線が繋がれていた。


「いやッ! いやぁ! やめてぇ! これ以上はいらない! ヴァイが! ヴァイが!」


 配線の先は白髪の女の子だった。子供二人は配線によって物理的に繋がっていた。泣き叫び、暴れる女の子を大人達が無理やり抑えつけている。尋常ではない光景だ。

 だがドライにはわかる。これが人間とソウルバディを使った実験だということが。何故なら少し前まで彼女も同じような仕打ちを受けていたからだ。

 男の子から女の子に向かって、配線を通して何かが送られている。それが心波だとドライが気付いた時、男の子が一度大きく痙攣し、そのまま動かなくなった。

 強制的に心波を送り出された結果、心と感情を失い、空っぽの廃人と化していく。

 男の子の髪が黒から白に、女の子の髪が白から黒に変わる。


「いやああああああああああああああああああああああッ!」


 悲痛な絶叫と共に研究室が光に包まれ、全てを消し飛ばす破壊の音と共に映像が途切れた。


(私が……私がみんなとは違う力を持っていたから……ヴァイは)

(リンが居てくれたから、オレは最後まで踏み止まることができた)


 映像が切り替わる。映し出されたのは一つの戦場だった。

 怒声と銃声が耳を打ち、黒煙が空を染め、人が打ち捨てられたように地面を転がる。血と火薬の臭いが充満したこの世の地獄。

 中学生ほどに成長した、現在の面影が窺える白髪の少年と黒髪の少女がそこにはいた。

 目前に迫る敵に対して、少女は立ち竦んで動けないでいた。眼には涙が、表情は恐怖で強張っている。手にした銃を構えることも、自身が持つ力さえも振るうことができない状態だった。

 迫り来る敵が怖いのか、抵抗することもできず目前の敵に蹂躙されかけた少女の前に、少年が飛び出した。

 銃撃音と血飛沫が舞う生々しい音が嫌に反響して聞こえた。


(戦えなかった……全てが怖くて戦えなかった、そのせいでヴァイは)

(もっと早く気付くべきだった。リンが誰も傷つけることができないことは、知っていたのに)


 映像が飛ぶ。移動中の車両の中。左手足を失い、片目も潰れたのか包帯で隠し、投棄されたマネキン人形のように床に放置された少年が居た。


「ごめん……なさい、ごめんなさい」


 少年の直ぐ傍に少女は居た。座り込み、泣いている。謝りながら、ずっと泣いている。

 傷の痛みで声を出すこともできず、少年は少女を見ていた。

 見ていることしかできなかった。


(私はヴァイと一緒に居ない方がいい、私が居ても……ヴァイを傷つけるだけだ)

(リンは帰そう、平和な世界に帰そう。オレはもう、リンを泣かせることしかできないから)


 積りに積った後悔と自責の念、これ以上は無いというほどに深まった溝。

 ヴァイとリン、二人の記憶をドライは垣間見る。

 二人が別れた理由を、擦れ違い、後戻りができない距離まで離れてしまった原因を知った。


「こんなの……擦れ違って当然じゃないですか」


 そこでドライが抱いた感情は、嘆きと怒りだった。

 全身に感じていた浮遊感が薄れていく。それが目覚めの予兆だと漠然と理解しながら、ドライは考える。

 大切なマスターと、大切なお姉様をどうやって仲直りさせれば良いか。







 ドライは眼を開ける。全身に感じる倦怠感に苛立ちを覚えながらも周囲を見渡す。

 三心教高校の保健室、供えられたベッドの上でドライは目覚めたようだ。


「マスター……」


 同じベッドの上でヴァイが寝ていた。全身が包帯だらけであるが、呼吸は安定している。

 そのことにドライが安堵の吐息を漏らしていると、唐突にベッドが軋んだ。

 驚いてドライが視線を向ければ、ベッドにもたれかかる形でリンが物質化した。

 大剣で串刺しにされ、物質化を維持できないほどのダメージを負ったにも関わらず、外傷は見当たらない。

 膨大な心波による恐るべき回復速度である。

 ヴァイとリンが同時に短い呻き声を上げ、眼を覚ました。

 二人はしばし呆然と周囲を見渡していたが、即座に状況を理解して飛び起きた。

 直ぐさま立ち上がったリンに対して、ヴァイはベッドの上で上半身を起こした姿勢で固まる。


「あ……ずっ、ここは……保健室か。ドライ、あれからどれだけ時間が経っている?」


 痛みに全身を震わせながら、それでも傍に居たドライに気付いてヴァイが訊いた。


「どうやら一時間は経っているようです。マスター、あまり動くとお身体が」


 包帯から血が滲んでいるのを見取り、ドライは言う。


「紅葉はどこだ? いや……もうヤナセ達を追っているか。書き置きとかはないのか?」


 無理やりヴァイが起き上ろうとするのを、リンが肩に手を置いて押し止める。


「ヴァイはもう無理だ。代わりに私が戦うから、これ以上は戦わないで」


 誰がどう見てもヴァイが動ける状態じゃないのは明らかだった。


「素人は黙ってろ! お前は大人しくここに居ればいいんだ!」

「ッ! 秋香は私の友達なんだ、大人しくしていられるわけがない! それに私には力がある、あの男達も止められる、止めてみせる! ヴァイの手は……もう借りない!」

「むざむざと敵の手に落ちた奴が何を言っている! これ以上オレに関わるな!」


 ヴァイとリンが荒々しく言葉をぶつけ合う。お互いの本当の気持ちに気付くことなく。

 そのことがドライはどうしても許せなかった。


「マスターも、お姉様も、いい加減にしてください!」


 気付けばドライは感情のままに叫んでいた。ヴァイとリンが驚いた表情で振り向く。


「お二人は自分勝手過ぎます! 自分の視点で考えて、相手を知ろうともしていない! お互いのことを全く理解しようとしてないことに気付いてください!」


 ヴァイとリンの関係は、ソウルバディとその宿主なのだから他者よりも繋がりが強いのは当然だ。

 だが本当にわかり合えているのなら、今こうして擦れ違いを起こしているのはおかしい。

 中途半端にお互いのことをわかっているからこそ、言葉を交わさなくても通じ合えていると錯覚してしまうのだ。その結果が今のヴァイとリンだ。


「言葉にしないと気持ちは伝わらないんですよ。人も、私達ソウルバディも。だから黙ったままじゃ、相手がどう思っているのかなんてわかるわけがないじゃないですか! お二人はわかり合えている気になって自分の都合を押し付けているだけです!」


 話さなければ伝わらない。子供でもわかる簡単な理屈だ。


「ドライ、お前何を言って……」


 ドライの激しい怒りにヴァイが怯む。


「マスター、どうして秋香様と取り引きをしたんですか? その気になれば様々な手段でお二人を止めることができたはずです。

 なのに、そうしなかったのはお姉様が居たからではないんですか? マスターが強引にお二人を止めることで、お姉様と秋香様の関係が崩れる可能性を危惧したから、秋香様の条件を呑んだのではないんですか?」


 責め立てるようにドライが問うと、ヴァイは何かを言い掛けたが口を噤んだ。

 ヴァイだって本当のことを知りたいはずだ。本心が剥き出しになった状態でリンが口走った言葉や、身を呈してヴァイを庇った行動の真意を。

 そして、その気持ちはリンも同じはずだ。


「秋香にも言われた。ヴァイが秋香との取り引きを呑んだのは、私を気遣ってくれたからだと」


 友達の言葉に勇気を貰ったかのように、意を決した表情でリンがヴァイと視線を合わせる。


「ヴァイ、私……ずっとね、ヴァイに恨まれていると思ってた。私の力のせいでヴァイに迷惑をかけてきたから。だから傍に居ない方が良いと思ったんだ。

 でもね、辛かった。この二年間、楽しいことも沢山あったけど、やっぱりヴァイが傍に居ないことが……私は嫌だった。知らない場所でヴァイが戦って、傷ついて、居なくなっちゃうんじゃないかって、なんでヴァイの力である私は傍に居ないんだって……私自身の心の弱さが嫌で、ずっと後悔してた」


 リンが怖がっていたのはヴァイではなく、自分自身の力だったのだ。

 また自身の力がヴァイを危険に晒してしまうのではないかと恐れていた。

 だがヴァイが力を必要としている時に傍に居られないことを後悔していた。

 そんな二つの想いにずっと板挟みになっていたのだろう。

 一歩踏み込んで自身の想いを明かしたリンに対して、ヴァイは後ろめたそうに眼を反らした。


「恨んでなんてないさ。オレは……お前が傍に居たからどんな時でも折れなかった、死ななかった。でもそれはお前に負担をかけていると気付いたんだ。お前が泣いていたのに、傷ついていたのに、オレは気付かなかった。お前が戦えないことを知っていたのに、オレはお前を戦場に立たせた。

 だからお前に恨まれていると思ってた。なにより……お前を戦わせたくなかった」


 ポツリポツリとヴァイが語った。

 リンを遠ざけようとしていたのは、彼女のことを想っての行動だと。

 人を傷つけることができないのに、無理やり戦場に立たせたことを恨んでいるのではないかと。

 リンが泣き笑いのような表情を浮かべる。


「二人して……酷い勘違いだ。二年間も、私達は何をしていたんだろう」


 お互いに負い目を感じ、恨まれていると思い、顔を背け合い、離れた。そして二年が経った。

 誤解が解けても、二人の間にできた溝はそう簡単には埋まらないだろう。 むしろ新たな負い目を感じることになるかもしれない。それでも、向き合うことはできたとドライは思う。


「……友達を助けたいか? あの女は俺達を裏切った、戦うことになるかもしれない」


 唐突に、あり得うる可能性も含めて、ヴァイが真剣な口調で訊いた。


「うん、大切な友達なんだ。ヴァイの居ない二年間、ずっと私の傍に居てくれた大切な友達。だから助けたい。例え敵と戦うことになっても、秋香と戦うことになっても」


 力強く言い切ったリンを見上げ、ヴァイが力無く笑う。


「変わったな『リン』。変えたのはあの女か。……ちょっとだけ悔しいな、ドライやあの女よりお前をわかっていないことが。リン、オレはまだお前に戦ってほしくないと思っている」

「ありがとう。でも戦うと私は言った。もう見ているだけや、泣いているだけは嫌なんだ」


 ヴァイの心からの本音に、リンがキッパリと首を左右に振った。


「やはり……二年は長いな。わかった、オレもあの女に借りが二つできているからな。どの道、連れ返さんとぶん殴ることもできん。リン、オレに力を貸してくれ」

「うん。だけどヴァイ……その怪我じゃ」

「我慢すればなんとかなる」


 脂汗がびっしりと浮かんだ死にそうな顔でヴァイが言った時、保健室の扉が開いた。






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