第二章 そして始まる彼女だけの目的
「後ろです! マスター!」
ドライからの警告にヴァイは振り向こうとするが、後ろから両に羽交い絞めにされた。
リザと戦っている間に、背後に回り込まれたようだ。
動きが止まったヴァイにレイピアが突き出される。
ヴァイは左足を振り上げて、足の裏で刺突を受け止めた。レイピアの切っ先が足を貫通するが、刺突が止まる。
足ごと胴体を貫くつもりだったのか、リザの表情に僅かな驚きの色が浮かぶ。
「この手応え、足も造り物か。しかし、ドーブ! 凍てつかせろ!」
リザの呼びかけにレイピアが呼応するように輝く。
ドライの盾と同じくソウルバディが形を変えたモノなのだろう。
ヴァイの左足が、レイピアが突き刺さった部分から氷に覆われていく。分厚い氷の膜がヴァイの足を凍りつかせる。
ドーブと呼ばれたソウルバディの心能力は『対象の氷結』のようだ。
氷が覆う範囲は広がっていく、このままでは全身に及ぶ。たまらずヴァイはドライを呼ぶ。
「ドライ! 凍らせろ!」
返答の代わりにドライが接続を行い、ヴァイは右腕を背中に回す。ヴァイの背中に盾が現れ、羽交い絞めにしていた両を無理やり弾き飛ばした。
そしてドライの心能力が発動され、ヴァイとリザは同時に驚愕の声を上げた。
ヴァイの足を膝辺りまで覆っていた氷が浸食を止めていた。
それは似通った力がぶつかり合って拮抗状態になったわけではない。ヴァイはそのつもりだったのだが、結果は全く異なった。
ドライの力はドーブの心能力によって起こる氷結現象そのものを凍結させていた。
「そうか、ドライ……お前の本当の力は、これなのか」
ドライの心能力は対象を、それも眼に見えないモノや現象そのモノを凍結させる。それが本当の力であり、ヴァイはまだドライの力を使いこなせていなかったのだ。
一度凍結能力を使うだけで体力を大きく消耗するのも納得だ。現象そのモノを凍結させるという破格の力を使う以上、それ相応の代償があって然るべきだ。
凍結は更に進み、レイピアの刀身までもが薄い氷の膜で覆われ始める。
「ドーブの力そのものを凍結した? 現象干渉型のソウルバディか!」
リザはレイピアをヴァイの足から引き抜き、俊敏な動きで後ろに跳び退いた。
「ドクター、アレのどこか失敗作なんだ? 現象干渉型なんて、肉体干渉型より上だろ」
「だけど次元を超越しているわけじゃあない。あくまで我々と同じ次元で発生しているモノに干渉しているだけだからね。僕の理想はもっと上だよ」
両がドライの盾を指差して非難の言葉をぶつけるが、ヤナセは含みのある言葉で受け流した。
ヴァイは左足に纏わりついた氷を義手で砕きながら、乱れた呼吸を必死に正そうと深い呼吸を繰り返す。
リンとの戦闘で負った傷からの出血に加え、ドライの凍結能力の使用により、ヴァイは大きく消耗していた。このまま戦闘が長引けば、いずれ力尽きるだろう。
「それは楽しみだ、期待しておこう。だがその前に……豪断、奴を切り裂け!」
両が右手を前に突き出す。同時に岩のような肌を持つソウルバディが現れて、両刃の剣にその姿を変えた。刀身はヴァイの身の丈以上はある。巨体の大男が持つに相応しい大剣だ。
それを片手で軽々と振りまわしながら、両が突撃してきた。
大木が倒れ込んでくるような錯覚を思わせる豪快な一撃が、上段から振り下ろされる。
ヴァイは斬撃を避けずに盾で受け止める。盾を斬り裂かれるということはなかったが、衝撃で腕の骨と肩の関節が悲鳴を上げた。そうそう何度も受け止められない。
盾ごと吹き飛ばされそうになるのを耐えつつ、ヴァイは大剣を凍結させようとするが、渇いた音と共に左肩の肉が爆ぜる。
後ろを振り向けばリザが拳銃を構えていた。
無防備なヴァイの背中に向けて、銃撃を浴びせたのだ。
更に銃撃を加えようとするリザに向かって、ヴァイは激痛に耐えながらナイフを投げつけた。
リザの手をナイフが掠め、拳銃を取り落とさせる。ヴァイは追撃で義手の仕込み銃を使おうとしたが、両の大剣が風を斬り裂く音が耳を打つ。
正面に向き直りながら盾を構えなおそうとヴァイは動くが、
「ぐっ……!」
両の攻撃の方が早く、先程より重い一撃が盾を叩き、ヴァイは踏ん張ることもできずに弾き飛ばされる。
そのまま背中から地面に倒れ、盾も手放してしまう。
ヴァイは即座に起き上ろうと地面に向かって手を突くが、思った以上の力が出ず、また背中から倒れて無防備な姿を晒してしまう。
起き上ろうとしても身体が動かなかった。
「そろそろの限界のようだな。まぁ、それだけ血を流せばそうだろ。ここまでよくやったよ」
両に褒め称えるように言われ、ヴァイは血溜まりの中心に倒れていることに気付く。
血溜まりは広がり続ける。それと比例して痛みを訴える全身の感覚が薄れ、意識が遠のく。
それでもヴァイは膝を突き、立ち上がろうと身体を動かす。
「若者を殺すのは心苦しいが、これも必要な犠牲として俺は割り切ろう」
「犠牲犠牲と、お前の世界平和はいったい人口の何割を犠牲にすれば成り立つんだ?」
大剣を振り上げる両を見上げ、ヴァイは精一杯の嘲笑を浮かべる。
両は無言で剣を振り下ろした。盾が無い以上、今のヴァイに防ぐことはできない。避けようにも身体が動かなかった。
肉を切り裂く湿った音が響く。
覚悟していた痛みは来なかった。意識が遠のいて感覚が鈍くなったのではなく、ヴァイに斬撃は当たらなかったのだ。
代わりに、リンがヴァイを突き飛ばし、両の斬撃を背中に受けていた。
「な……お前、なに……してるんだ」
ヴァイの声が震える。信じられないようなモノを視ているように、リンから眼を反らせない。
「だって……私、ヴァイを……護るって」
リンが言葉を紡ぎ終える前に、その胸の中心から剣の切っ先が生えた。両が背中からリンを串刺しにしたのだ。リンの瞳から光が消え、前のめりに倒れ込む。
「この娘の戦闘能力は厄介だ。使えないサンプルなら、こうなっても問題はないだろう?」
「大丈夫、必要なデータは取り終えたから邪魔なら処分すればいい」
「うそ、リン……ちゃん? リンちゃん!」
両とヤナセの会話、秋香の悲鳴、どれもヴァイには聞こえなかった。
必死に手を伸ばして、リンを受け止めようとする。だが、その手はリンの身体をすり抜けた。
リンの身体の輪郭が崩れ、光の粒子となって霧散していく。彼女は地面に激突する前に、まるで初めからこの世に存在していなかったかのように、跡形も残さず消え失せた。
そして、その場に残った光の粒子は、まるで決められた宿主の中に戻るように、ヴァイの身体に吸い込まれていった。
「リンちゃんが……ヴァイくんのソウルバディ?」
秋香の呟きが、今この場で起きたことを明確に表した。
「あの大きさでソウルバディだと! おい、聞いてないぞ!」
両が驚くのも無理はない。ソウルバディの大きさは内包する心波の量で決まるとされているが、大半のソウルバディは三十センチ前後の大きさで実体化する。
それが一人の人間がソウルバディに送り出せる心波の量の限界だからだ。しかし、リンの身体は普通の女子高生より発育が良いぐらいだ。それがいったい何を意味するか。
三十センチ前後のソウルバディでさえ、現存する兵器を大きく凌駕する力を持っているとされるのだ。それがリンのような大きさともなれば、いったいどれほどの力を秘め、どれほどのことができるのか。想像を絶する。それこそ次元が違う。
「さっきも言ったけど、その黒髪の子は残念なサンプルなんだよ。僕の研究には使えない。もっと有用なサンプルは別にいるから気にしないで。ほら、視てれば使えないのがわかるよ」
ヤナセがヴァイを指差す。全員の視線が集中する中で、ヴァイはうずくまった体勢で身動きを止めていた。傷の痛みやリンが消えたショックで動けないわけではない。
突然、ドライとの接続によって現れる盾が消え、身体に纏っていた鎧が砕ける。
それと入れ替わるように、ヴァイの髪が艶を帯びた黒髪に変わっていく。
「あ……ぐっ、ドライ?」
ドライとの接続が切れたにも関わらず、彼女は実体化しない。砕けた鎧と同様に、消えてしまったかのように。
だがドライの心配をする余裕は、次の瞬間消え失せた。
いきなりヴァイの全身から空間を歪ませるほどの心波が発せられた。リンが暴走していた時に全身から心波を放った時とは、比べ物にならないほどの膨大な量の心波がグラウンド一帯に広がり、空間に亀裂を走らせたのではないかと思えるほどの異音を掻き鳴らす。
だがリンの時とは違い、ヴァイを中心に広がっていく心波は物体に影響を与えない。
「ドーブ? 違う、お前は誰だ? ヴァイ? 秋香? 誰のこと?」
「ぐっ! 護る? 俺が護るのは世界だ、ヴァイでも秋香でもない!」
両とリザが同時に呻いた。彼らが持つ武器の形をしたソウルバディ達が、周囲に漂う心波に影響されたかのように、淡く輝きだす。
「なにがどうなっているんだ?」
「先程のソウルバディが力を暴走させているんだよ。『ディメンションコネクト』次元を超えて他者と接続する力、使いようによっては広範囲に対して精神汚染を行うことができるのか。アイタタ、先輩方が実験に失敗した理由がよくわかる、こんな状態じゃレポートすら書けない」
ソウルバディを実体化させていないヤナセも頭を抱えている。
「どうにかならないのか! このままだと動けないどころか……」
「精神汚染が進んで廃人になるだろうね。だけど、どうしようもない。まぁ大丈夫じゃない? 彼、心波の放出に耐えきれてないし、もう少し我慢すれば止まるんじゃないかな」
ヤナセの言う通りだった。全身から放出される心波の勢いに、ヴァイの身体は対応できていない。そのあまりの勢いに身体が耐えられず、皮膚が裂けて血飛沫が舞っている。
このままでは出血多量で死ぬか、身体がバラバラに引き千切れて死ぬかの結末しかない。
しかしヴァイは荒れ狂ったように放たれる心波を抑えるつもりはなかった。
「秋香……逃げて、逃げろ! 私が、リンが! お前を護るから」
意識が混濁する中で、ヴァイは声を振り絞った。自分が喋っているのかどうかすらあやふやだったが、やるべきことだけはしっかりと定めていた。
このままでは誰も助からない。それだけは嫌だった。例え自分の身がどうなったとしても、秋香だけは助ける。それが二年前、なにも護ることができなったヴァイの意地だった。
その場に居る全員がヴァイの放出する心波に少なからず影響を受ける中、秋香だけは平然としていた。彼女はソウルバディを使えないがゆえに、影響が少ないのかもしれない。
それ以前に、今広がっている心波は秋香を護るためのモノだ。気持ちは伝われど、拒絶反応を起こすことはないだろう。呼びかけられ、それまで茫然自失としていた秋香が立ち上がる。
だが秋香は逃げるのではなく、なぜかヴァイに近づいてきた。
「うん、二人の気持ちは嬉しいよ。頭に響くぐらい伝わってきた。だけどね、気持ち悪い」
秋香は緩慢な動作でヴァイの傍まで歩み寄り、ヴァイの頭を蹴りつけた。
その瞬間、アレほど荒れ狂っていた心波が嘘のように消滅した。
脳が揺らされたことに加え、秋香に蹴られたショックが大きかったのかもしれない。
「な……お前、何を?」
ヴァイは震える声で秋香を見上げようとするが、顔を上げる余力すら残っておらず、そのまま前のめりに倒れた。
何とか機能し続けている聴覚が、秋香の声を拾う。
「そのままやられちゃったら困るの。というわけでヤナセ先生、私と取り引きしませんか?」
「取り引きですか、一応聞いておきましょう」
「仲間にしてください そしたらヤナセ先生が気にしている卵について教えちゃいますよ」
両とリゼが息を呑む気配が伝わる。彼らは気付いたようだ。眼の前の少女が普通ではないことに。
何を考えているか、誰にもわからない少女は陽気に笑う。
「それは興味深い。うーん、良いよ。仲間になろう」
「おいおい、勝手に話を進めないでもらいたい」
深く考えた様子もなく即答したヤナセに、両が声を荒げる。
「自らついてきてくれると言うなら、捕まえる手間が省けていいじゃない」
抗議の声に対し、ヤナセはどこ吹く風で言い返す。
「下手に反抗されるよりは、どんな思惑であれ大人しくついて来るなら悪い話じゃない。それは今の現象でよくわかったでしょう?」
「……わかった、そこの若者の方はどうする?」
半ば脅すように言われ、渋々と言った様子で両は頷いて確認する。
「手持ちの器具で存命させるのは厳しいから、データも既にとっているし始末していいよ」
つまらないモノを投棄するようにヤナセが指示を出し、両が拳銃を抜いて構える。
抵抗どころか、視線を向けることさえできないヴァイの耳に、遠ざかる足音が聞こえる。
「ヴァイくん、もしもリンちゃんに会えたらよろしく言っといて、ばいび~」
「おま……え……待……」
ヴァイが残った力を振り絞り、秋香を呼び止めようとするのと、両が引き金を引くのは同時だった。