第二章 二つの思惑
やはり伏兵が居たかと、ヴァイは内心で舌打ちする。
眼の前に現れたのは身長が二メートルを超える巨体の大男だ。手足は長く、太く、ヴァイなど片手でへし折ってしまいそうなほどの逞しい筋肉で全身を覆っている。
そんな大男が覆いかぶさるように両腕を伸ばしてきた。力は比べるまでもない、なにせ腕の太さは優にヴァイの二倍はある。捕まれば握り潰されるだろう。
しかしヴァイは真っ向から組み合った。お互いの手を掴み合い、力で押し合う。
「退け、潰すぞ」
殺気を隠そうともせず、ヴァイは大男を睨みつける。
「踏み込みのタイミングは見事だ、思わず焦ってしまったぞ」
対して大男は豪快に笑って褒め称えてきた。そしてヴァイを押し込もうと前進する。
加えられた力にヴァイの両腕が軋み、骨格が悲鳴を上げ始める。
「潰すぞとオレは言ったぞ」
ヴァイはそう言い返し、左腕を『操作』する。
ガシャンと、人間の身体からは決して鳴らない異音が響く。続いて、渇いた銃声が轟いた。
「っ!」
銃声の後、息を呑んだのはヴァイだった。
ヴァイが左腕を動かした瞬間、たったそれだけで何かを感じ取ったのか、大男はその体格からは想像もできない俊敏さで後方に跳び退いていた。
その結果、ヴァイの左手首から迫り出した銃身より放たれた弾丸は、大男の手ではなく虚空を貫いて闇夜に消えた。
「その腕は義手か、それも仕込み腕と来たか」
男はまた豪快に笑い、地を蹴って肩口から体当たりを行う。
義手から二発目を放とうとしたが、ヴァイは左腕を畳んで防御に専念した。体格差に加え、そこから放たれる力も段違いだ。下手に食らえばそれだけで骨が砕ける。
「ぐっ!」
体当たりは義手で防いだ。しかしヴァイはその場で体当たりの威力を殺しきれず、まるでボールのように吹き飛ばされた。
鉄塊でも叩きつけられたような衝撃にヴァイは呻く。それから地面を数度転がり、リンと秋香の傍まで跳ね飛ばされた。
いくらヴァイが軽いとはいえ、恐ろしいパワーである。
だが恐ろしいのはパワーだけではない。ヴァイの行動を制し、不意打ちを読んでから反撃に移る際の手際の良さが尋常ではなかった。
それは一長一短で身につくモノではない、数多の戦場で培った経験則が為せる業だ。この男、ただの雇われボディガードではない。
恐らくはヴァイと同じ、いや、それ以上の兵士だろう。
伏兵は居るだろうとヴァイは思っていたが、ここまでできる者が出てくるとは予想外だった。
唯一の幸運は力量の差を感じたことによって、ヴァイの頭が冷めたことだ。
(まずいな……)
手傷を負って居なかったとしても、眼の前の大男と戦って勝てるかどうかはわからない。それほどの力量の差を肌で感じてしまっている。
なにより向こう側の目的はヴァイを殺すことではない。リンとドライ、秋香を連れ帰ることだ。万が一でもヴァイが大男に負けることは許されない。
全員の安全を第一とするなら、ここは逃げるしかない。
「こんな服では説得力がないが、俺は心国軍二十七番隊隊長、弾鶴・両中佐だ。ウィズダムブレインの者だな」
大男が名乗った。心国軍。それはウィズダムブレインとは違う、正規の軍隊の呼称だ。
格好はツナギを着ており、髪型も黒髪を短く刈り上げたという工事現場に居そうなおっさんだが、先程の動きや全身から発せられる威圧感が真実だと告げてくる。
「あ、その服って学生寮の工事をしていた作業員の人達と同じ服……。そっか回線工事を頼んでいたのはそこのマッドサイエンティスト。作業員と偽らせて潜入させたんだね」
「おお、正解だお譲ちゃん。賢いな」
「いやぁ、それ程でも」
秋香の推理に、両は感心したように破顔する。
「褒めるな、照れるな、慣れ合うな」
どうやら身分を偽って三心教高校に侵入したようだが、そんなことよりもヴァイが驚いたのは、正規軍のそれもかなりの地位を持っている中佐が犯罪者を護ったという事実だ。
しかし腑に落ちたことがいくつもあった。
「どうやってウィズダムブレインが監視していたはずの研究所から逃げ、遠く離れた三心教高校に乗り込んだか不思議だったが、そういうことか。まさか正規軍が手引きしていたとはな」
ウィズダムブレインが足止めされている合間にヤナセは研究所から脱出して、正規軍に匿われた後に、三心教高校に向かったのだ。
まさか研究所を包囲していたウィズダムブレインの先遣隊も、自分達の動きを監視している正規軍が実は犯罪者を匿うために来ていたとは思わないだろう。
「そこの男を引き渡せ」
「断る。お前こそ手を引け、なんなら命令してやろうか?」
「ウィズダムブレインは正規軍の命令系統とは別で動いている。お前の指示は受けない。なにより、お前は今も正規軍なのか?」
「正規軍だと言っただろう。やはりこの格好では信じられんか?」
落胆したように両はツナギの襟を引っ張る。
両の身分を信じていないわけではない。ヴァイの質問の意図は別だ。
確認したかったのは、国がヤナセを野放しにしているかどうかだ。最悪なことに両は頷いた。つまりヤナセは国から活動を黙認されているということになる。だがヴァイも国からの命令で活動している。
つまり少なくとも二つの思惑が国の中の上層部にあるということだ。
「……また政治絡みか。おい、正規軍はか弱い一般市民を護るんだろう?」
「へーい! マッドなサイエンティストに拉致されかかってます助けてプリーズ」
ヴァイがか弱い一般人であるところの秋香を指差すと、そんなアピールが返ってきた。
「当然だ。それが俺達の存在意義だからな。だからこうして世界平和のために動いているんだ」
「「世界平和?」」
ヴァイと秋香の間の抜けた呟きが綺麗にハモる。
「そう、世界平和だ。俺はそのために動いている。
その手段として、この男の研究は使えるんだ。多くの者を護るために利用できる。確かにそこの娘達は俺達が護るべき市民だが、残念ながらこの男の研究を完成させるためには君達が必要らしい。
とても心苦しいが、そこの娘達には犠牲になってもらう。これも多くの者を護るための必要な犠牲だ。俺は心を鬼にしよう」
両は平然と言う。わざとらしい遠まわしな言葉でも、悪意が隠れているわけでもなく。世界平和のために自分は動いていると、胸を張ってさえいる。
その上で、リン達を必要な犠牲と言って拉致しようとしている。狂っている、うすら寒いモノを感じさせる言動だ。
「うわっ、後ろのマッドサイエンティストと同じレベルで性質が悪い」
秋香がドン引きしたように上半身を仰け反らせる。
「立派な心がけだと思うが、手段を間違えていないか?」
「だが俺はここで止まるわけにはいかない。恨むなら恨んでくれかまわん、世界平和を為すためならば俺は相応の犠牲を払う。世界平和に見合うだけの犠牲をな。そうしなければ平和を願い、戦いで散って逝った仲間達に顔向けできん」
哀悼の意を示すように、両が眼を閉じて顔を俯かせる。
「だからお前は手を引け、用が在るのは後ろの娘達だけだ」
「お前の指示は受けないと俺は言ったぞ」
ヤナセの研究が誰かの救いになるとは思えなかった。少なくともヤナセ本人はそんなことを考えてもいないだろう。
なによりリンやドライ、秋香をヤナセに渡してもロクなことにならないのは火を見るより明らかだ。
ヤナセのような研究員が実験と称して行う行為の下劣さを、ヴァイは身をもって知っている。
「その男には借りがある。返さんと気が済まない。邪魔するならば誰であろうが潰す」
ヤナセはヴァイの大切なモノを傷つけた。理由はそれだけで十分だ。
「この男の研究には力がある。ソウルバディを簡易で強化できる装置、これを兵器として量産すれば、世界各地で起こっている紛争は早期に片がつく。 そうすれば両方共に最少の犠牲で戦いが終わる。それがこの男を護る理由だ。お前も世界平和のために力を貸してくれ」
「世界平和より、眼の前で危ない目に遭いそうな奴らを護るだけでオレは精一杯だ」
「若いな、だが視ている世界が小さい。世界平和ぐらいの夢を語れよ若者」
両は落胆しように言って、ヴァイとの距離を詰めてくる。
「お前の言う通りオレの世界は小さい。大き過ぎると手からこぼれ落ちてしまうからな」
ヴァイもドライを従えて、リンと秋香が戦闘に巻き込まれないように前に出る。
他にも敵が居るかもしれない以上、秋香とリンを逃がすことはできない。
この場を切り抜けるには、ヤナセを潰して両が受けている任務を失敗させるしかない。
「残念だ。しかし、これも世界平和のためだ。お前の死は無駄にしない」
「兵士に戦いを終わらせることはできない。平和を築くことはできない。俺達はただ戦うだけの存在だ。
そして、兵器は人を殺すための武器だ。決してその二つから平和なんて生まれない。なにより戦いはそんな簡単に終わるものじゃないだろう。
お前が本当に平和とやらを望むなら、武器を捨てて兵士を辞めろ。そんな立派な思想があるなら政治家にでも転職しろ」
心の底からそう言って、ヴァイはある程度間合いが縮まったところで地を蹴った。
急速接近するヴァイに対し、両は待ちの構え。いや、指をパチンと鳴らした。
「マスター!」
ドライに言われる前に、ヴァイは風を切る音に気付いて右を向いた。
両と同じツナギを着た長身の女が物凄い勢いで走ってきているのが見えた。その右手には氷を思わせる半透明で鋭利な刃を備えた青いレイピアが握られていた。
その切っ先は寸分違わずヴァイの心臓に向けられている。不意打ちだ。
両に意識を向け、正対していたがために反応が遅れる。
ヴァイは体勢を整えようと、否、それでは間に合わないと判断して、わざと転んだ。
無様に背中から地面に倒れ込み、女の刺突を紙一重でかわして、地面を転がりながら二人から距離を取る。
女は追撃してこなかった。両を護るように前に立ち、立ち上がるヴァイを睨んでいる。
「今の不意打ちをかわすか。歳はリザとそうかわらないはずなんだがな」
「すみません中佐」
感嘆の言葉を漏らす両に、リザと呼ばれた女は恭しく頭を下げる。
青髪をショートカットにした、軍人然として態度の女だった。豹を思わせるしなやかさと鋭さを併せ持つ身体つきが、彼女もまた数多の戦場を駆けた兵士であることを告げてくる。
「ここは遮蔽物が無いからな、仕方がない。だが次はやれ、違うな、今直ぐ討ち取って見せろ」
両は豪胆に笑い、リザに指示を出す。
猛獣が枷を解かれたように、リザが地面を蹴り飛ばしてヴァイに接近、レイピアを突き出す。
ヴァイは刺突をかわして、前に出ながら義手の肘をリザの顎下目掛けて振り上げる。
「その程度で……っ!」
軽く顔を背けて肘打ちを避けようとしたリザの表情が強張る。
ヴァイの肘から刃渡り十センチほどの刃が伸びていた。仕込み銃の他に義手に仕込んでいたナイフだ。
次撃のために敢えて距離を離さなかったリザはナイフを避けられない。
だからリザは避けなかった。自由になっている左腕でナイフを受け止めた。
左肘に刃が食い込み、鮮血が滴る。苦痛に表情を歪めながら、リザは左肘を押し出す。そうしてわざとナイフを深く食い込ませてヴァイの動きを封じる。
その間にレイピアを突きだそうとするが、ヴァイが右腕を掴んでそれを止める。
お互いに両腕を塞がれた状態、二人は一瞬だけ睨み合い、同時に頭を突き出す。
鈍い音が響き、二人は仰け反りながら離れる。
(あの距離とタイミングで避けるか……この女も強い)
ヴァイは肘からナイフを外して、左手で逆手に持ってリザに襲いかかった。