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第二章 行き先不明の進展


 「お疲れさまリンくん、手伝ってくれてありがとう」


 若い男性教師の声に、リンは虚ろな視線で返す。

 二人は夕陽の光に照らされた黄昏色の廊下を歩いていた。頼まれた書類作りの手伝いを終え、リンは教室に戻る途中だ。

 男性教諭は教室の戸締りのためについて来ている。

 そんなことはリンにとってはどうでもいい。

 彼女の心を占めているのは、一つの事柄だけだった。それ以外は何も考えていない、必要がないからではなく。考えようとしても、考えられない。

 ヴァイと秋香は大丈夫だろうか? 何か問題は起きていないだろうか? あの二人にもしものことがあれば……。リンの心は二人のことを想い過ぎて、不安と恐怖に満ちていた。


「いやー、最近寮の配線工事とかで外部の人間がよく出入りしていてね。案内だったり警備だったりで人手が足りないんだよ。放課後なのに付き合ってもらって悪いね」


 胸騒ぎが収まらない、嫌な予感が拭えない。過去のトラウマが否応なく想い起される。

 また自分は何もできないのではないかと。また視ているだけではないのかと。

 トラウマは鋭利な刃となってリンを責め続ける。


(ヴァイ……秋香……私が護らないと、今度こそ絶対に。私の大切な人達だから)


 二人のことを想い、想い過ぎて、狂うほどに想い過ぎてリンの思考は定まっていなかった。


「そういえば秋香くんだけど、最近ちょっとはしゃぎ過ぎてるよね。怪我とかしなければいいんだけど。実は今日君を呼んだのはね、秋香くんについて話をするためでもあるんだ」


 秋香の名前にリンはビクリと反応する。顔は青ざめ、身体が微かに震えだす。

 全身がまるで泥に呑み込まれているように重く感じる。


(怪我……秋香が怪我……駄目、駄目ダメ! 絶対に……そんなことは!)


 あの笑顔が、強い眼差しが、傷で壊れ、痛みで歪む。鮮明なイメージが脳内に浮かび、離れない。あってはならない光景だ。起こしてはいけない光景だ。にも関わらず、リアルなイメージは新たな不安と恐怖をリンの心に植えつける。


「職員の間でもちょっと注視しているからね、リンくんからもできれば言ってあげてほしい。危ないことはしないでほしいと。言うだけじゃなくて、止めてくれたらもっと助かるんだけど」


 怪我をさせないためには止めるしかない。そんなことはリンも百も承知だ。だが秋香は言葉では止まらない。どうやって止めればいいかなんてわからない。

 しかし止めなければ秋香はまた無茶をするだろう。今度こそ怪我をするかもしれない。


(わた……ワタシが……が……まもら……護らないと、あ、あ、あ、あ、アキカをを?)


 そんなことは絶対にさせない。もう二度と後悔はしたくない。

 例え何が立ち塞がろうと、何をしようと、絶対に護ってみせる。だが、どうやって?

 リンは鈍い動作で顔を上げ、誰に言うでもなく正面に視線を投げたまま呟く。


「ど……どうやって、とめ、とめれば」

「うーん、そうだね。引き止めてくれればそれいいんだけど、それ以上だと実力行使になっちゃうからね。そこまでしたら二人の関係に影響が出るかもしれない」


 無理やり止めれば、実力行使で止めれば、リンと秋香の仲に何かしらの亀裂が走るだろう。

 だけども、だけれども、実力行使ならば止められる。リンは秋香を止められる。

 例えその結果、秋香と別れることになったとしても。秋香を護れるのならば。


(ななんで、こんな簡単な事にィ気付かな……かったの、の、だろ、ろ、う)


 護れるのならば、リン自身がどれだけ傷ついても構わない。秋香自身が傷ついても構わない。その結果、護ることに繋がるのなら。目的達成の手段としては間違いではない。

 例え秋香が望んでいなかったとしてもだ。

 ヴァイのこともそうだ。共に戦うことができないのなら、代わりに戦えば良い。戦えないようにして、代わりに自分が戦えば良い。


「リンくん、大丈夫かい?」


 男性教師がリンの顔を覗き込む。リンは難題を解いたような晴れやかな笑顔で、


「ハイ、私……がが、秋キキキ香を護る、護る護る護る護る? 護る、護ります。かなら……ずずず、かならず護るまも、私がぜっ、ぜっ、ぜっ、絶対に護る」


 視線を宙にさ迷わせながら言った。







「私……こんな風に男の子と一緒に行動したの初めてかも」


 正面を向いたまま、秋香が唐突に言った。ヴァイは素っ気なく「そうか」と返した。

 普段ならばドキリとは来ないまでも、多少は感じ入るモノがあったかもしれない。

 だが持ち運び可能なノートパソコンの前で二人して並び、動いているのかいないのかわからない防犯カメラの映像を八時間以上見続け、疲労が蓄積したやつれた表情で言われても色気もへったくりもない。

 疲れて思ったことをそのまま言ったのは明白である。

 ふとヴァイが放送室の窓から外を見れば、日は既に沈んでいた。

 壁に掛けられた時計で時刻を確認、もうすぐ深夜三時になる頃だ。

 ヴァイは、秋香が食い散らかしたお菓子の袋の合間に置いた紙カップを手に取り、中に入った黒い液体を飲む。眉を潜める。コーヒーはすっかり冷めており、不味かった。


「あ、なんか白い靄が……もしかして心霊映像? 売り込めば一攫千金?」

「休憩にするぞ」


 騒ぎ出した秋香に向かってヴァイはピシャリと言い放った。お互いに限界である。

 窓際で眠気覚ましの目薬を差す秋香を尻目に、ヴァイはそそくさと散らばっていたゴミを片付ける。

 さすがに眼の前でこれ見よがしに片づけるのはどうかと思ったが、我慢の限界だった。


「うーん、結局リンちゃん来なかったな―。すぐ来ると思ったんだけど」

「別にアイツが来なくても問題はない」

「いや、ハッキリ言うとあんまり知らない男と密室で二人きりなのが嫌なだけ」


 秋香にしては珍しく真っ当な理由だった。言動がキチガイじみていてもやはり普通の高校生であることには間違いないのだ。

 年頃の娘でもあるわけで、気を遣うべきだったかとヴァイが自省していると、秋香が一枚の写真を取り出した。


「男の子と二人きりでこれだけ長時間一緒に行動したことがないからさ。気を悪くしたならごめん。代わりに、私なりの謝罪と友好の証として、これを送ろうと思います」


 ヴァイが黙り込んでいるのを、秋香は怒っていると勘違いしたのかもしれない。

 いらないとヴァイは言おうとしたが、それより早く秋香が写真を突き出してきたので思わず受け取ってしまい。

 渡された写真を見て、ヴァイは盛大に噴き出した。

 秋香が渡してきたのはリンの写真だった。噴き出したのは、写真に映るリンが変な顔をしていたとかではない。

 ならばどうしてかと言うと、その格好とポーズが問題だった。

 リンの格好は生地が少なめな白いビキニだ。加工してあるのか白い砂浜の上に仰向けに寝そべった彼女が上を向くようにカメラに視線を向けている。

 それだけなら問題はないのだが、いや、なんでこんな格好で写真を撮っているかとかヴァイはツッコミたかったが隅に置いておき。問題は彼女のモデル顔負けの身体つきだ。

 しなやかな曲線を描く白い肌の上を流れる透明な水滴、砂浜に緩やかに広がる黒い髪、羞恥からか僅かに潤んだ瞳が何かを訴えるようにこちらをジッと視ている。

 ほっそりとした肩や、ビキニに締め付けられた豊かなバストが眼に毒だった

 咳き込みながら、ヴァイはそれとなく写真から視線を外す。


「これはまた、なんというか……淫靡? 淫猥?」


 ドライが自分の胸に手を当て、絶望とも諦観ともとれる力の無い表情で感想を言う。


「そうそう、このビキニが張りついた巨大な乳房が重力に負けじと頑張っている感じがもうたまらないというか。加工していてちょっと心が折れかけたというか。これ売ったら危ないと思ったんだよ。主にリンちゃんの羞恥心が暴走して、鉄拳と化して私に向かう感じで。なので、ヴァイくんにプレゼント。それ一枚しかないから一生の宝物にしなよ」


 秋香が眩しい笑顔で親指を突き立てる。

 まるで友達にエロ本をプレゼントして仲間を作ったような笑顔だ。


「いらん。うん? ちょっと待て、売るってなんだ?」


 ヴァイの指摘に秋香が笑顔のまま固まる。肩が、ぎく、ぎく、と震えている。


「おい」

「さぁ、休憩はここまでにして続きを視よう! まだまだ夜は長いぜぇ!」


 ヴァイが問い詰めようとするが、秋香は停止していた防犯カメラの映像を再生させた。せめて写真だけでもヴァイは返そうとしたが、なぜか秋香は頑なに受け取ろうとしなかった。

 口止め料のつもりなのかもしれない。それとも本当に失言に対する謝罪の気持ちなのかもしれない。どちらにせよヴァイはいらなかった。


「無理やり悪事の片棒を担がせるな」


 ヴァイは責めるような口調で言う。


「ふふ、一応の保険だよ。ところで、何か気付いた事とかないの?」

「無理やり話を反らされた気がする。……いや、今のところはないな」


 先程まで二人が視ていたのは、ヴァイが三心教高校に訪れた日、草士朗がチップを取り付けられた日の放課後から、草士朗がリンと秋香に接触するまでの時間帯を録画した映像だ。

 その中で建物の外に設置されていた防犯カメラに録画された映像を視ていた。

 草士朗が映っている場面もあったが、一人きりで歩いており誰とも接触した様子はない。他にも警備員、見回りの教師らしき人物、遅くまで学校に残っていた生徒なども僅かに映っていたが、草士朗と接触した人物や怪しい動きも見せた者はいなかった。

 そもそも草士朗に接触、怪しい動きをしているなど具体的な場面が映っていれば、一度は全てに眼を通している秋香が既に発見しているだろう。

 なにより学生寮から出た草士朗は真っ直ぐ資料館へ向かっている。チップは既に取り付けられていた可能性が高い。

 そのことをヴァイが指摘すると、秋香は予想していたかのように頷く。


「私も同じ意見だよ。そうなると怪しいのは放課後の校内と、学生寮の中だね」


 秋香がディスクを入れ替える。パソコンに映る防犯カメラの映像が男子寮の中を映したモノに替わった。

 先程までの外の映像とは違い、多くの男子生徒が映像の中を行き来している。また草士朗が映像に映る回数が増え、彼に声をかけたり、立ち止まって話をする相手が何人も出てきた。


「見慣れない顔はあるか?」

「さすがに一人一人に裏を取るわけにはいかなかったけど、全員ウチの生徒だよ。女子寮もそうだけど、寮のセキュリティは厳しいからさ。外部から無断で入ったら即バレすると思うよ」

「ならば寮内においては外部犯の可能性は薄いか。やはり内部犯になるのか」


 草士朗にチップを取り付けた人物、ヴァイが追う相手は三心教高校に手引きされてここに侵入を果たしている。一々敷地の中に出たり入ったりはしていないだろう。

 ヴァイが生徒扱いを受けているように、何かしらの役を与えられているかもしれない。

 しかし年齢どころか性別すらわかっていない状態である。


「あのさ、ちょっと怖くて聞けなかったんだけど。まさか相手の情報何もわかってない?」


 映像を視たまま黙りこくっていたヴァイに、恐る恐る秋香が訊いてきた。

 これだけの情報を得ても、犯人に目星がつかないところからそう思ったのだろう。

 ヴァイは直ぐに返事をしなかった。

 自分が知っている情報を話していいかどうかを未だに考えているからだ。話せば秋香は事件の深みにより近づくであろうし、現在の協力関係を断ち切り独自で動きだす危険性も増すだろう。

 彼女が傷つけば三心教高校とウィズダムブレインの協力関係に歪が生まれる可能性もある。

 これまで数度秋香と接触したが、いずれも情報らしい情報を話さなかった理由はそれだ。


「そろそろ時間切れじゃない? 私に話すのを引き伸ばすのはヴァイくんの自由だけど、第二の被害者が生まれるのはお互いに不利益だよ」


 だがこれ以上時間をかければ、草士朗のように誰かが実験台にされかねない。

 早急に事件を解決する必要があるのだ。そのための手段を秋香は提示している。当たり外れのある協力関係だが、彼女の情報収集能力の高さは八時間以上かけて見せ付けられた。本物だ。


「時間切れか。お前の口車に乗るのは癪だが、そうも言ってられんか」


 秋香をここまで付き合わせてしまう前に逃亡者を確保できなかった。ヴァイの落ち度だ。

 情報統合をせざるを得ない。これ以上被害者を出すわけにはいかないのだ。


「できればその台詞は内心で留めてほしかったなー。で、何を話してくれるのかな?」

「まずはここに来た理由を話す。オレ達が所属する組織は、さっき見せたチップの開発者を追っている」


 ヴァイは話ながら、横目でドライの様子を窺った。

 ドライにとっては聞いていてあまり気持ちの良い話ではないだろうと気を使ったのだが、彼女は一度小さく頷いて返した。それを受けて、ヴァイは話を続ける。


「チップの開発者は二週間ほど前に三心教高校に潜入したらしい。そいつを追う形でオレもここに侵入した」

「確認、つまり何ヵ月も三心教高校に潜伏して入念に計画を立てて実行したとかじゃないの?」

「それはないな」

「つまりヴァイくんが追う人物は二週間前に三心教高校に潜入した人物。だけど、どうやって侵入したの? ここって世界でもトップクラスのセキュリティを誇ってるんだけど」

「……三心教高校自体が今回の事件に一枚噛んでいる。オレが潜入できているのもそのためだ」


 一瞬、自分達が通う学校が今回の事件に関与していることを言うか言うまいか悩んだが、ヴァイは正直に答えた。秋香は顔を青ざめさせる。

 しかし、それは三心教高校の底知れない陰謀に恐怖したわけではない。彼女は引き攣ったような笑みでヴァイを見上げる。


「三心教高校が校内に手引きして、二週間前からこの学校に来た人が犯人の条件なんだよね?」

「そうだ。一週間前には三心教高校の敷地内に居るはずだ」

「条件に当てはまる人……一人だけ知ってる」


 秋香本人も驚いているような発言に、ヴァイは言葉を失った。

 まさかいきなり進展があるとは予想だにしていなかった。

 秋香はノートパソコンに映し出された防犯カメラの映像を操作、草士朗と若い男性教師の二人が映る場面で映像を止める。


「この人だよ、一週間前に教師としてこの学校やってきた。ヤナセ・カギナリ」


 秋香が指差す先では、草士朗を呼び止めて親しげに話しかける若い男が映っている。背はそれほど高くなく、線の細い男だった。研究員と言われれば納得がいく、そんな細身の男だ。

 いきなり最有力候補を見付けだせたことに、ヴァイは拍子抜けしてしまう。

 だが秋香の表情は青ざめたままであり、制服のポケットから携帯電話を取り出しながら、


「この人、今……リンちゃんと一緒にいるよ。さっき急に呼び出されてね」






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