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第二章 黙っていられない

 リンは教室で黙々と昼食を食べていた。

 内容は食パンと保温ポッドに入れてきたクリームシチューだ。

 一口食べる度に昨晩のことを思い出して気が重くなるが、クリームシチューに罪はなく、せっかく作ってくれたこともあり、リンは取り憑かれたように口に運んでいた。

 パッと見て美少女が学校の教室でクリームシチューを食べ、時折涙ぐんでいる光景は異様であることに本人は気付いていない。気付く余裕がない。

 いつもなら昼休み真っ先にご飯を一緒に食べようと言ってくる友人が教室に居ないことにすら気付いていない。


「春夏秋冬! 秋香っちゃんジャーンプ! とう!」


 その友人が教室の扉を乱暴に開け放ち、間近の机を足場に跳躍、空中で身体を丸めて三回転した後、リンの眼の前に華麗に着地しても、彼女は全く気付けなかった。


「うわ、身体張ったのにガン無視かよ。リンちゃんリンちゃん、そんな一心不乱にシチュー食べてないの。みんながどうしてこうしたと戸惑ってるじゃん」

「……え? 秋香? どうしたんだ? 何か有ったのか?」


 ようやく秋香の存在に気付き、リンは顔を上げた。

 元々色白の彼女からは生気が抜け落ちており、人間離れした美貌と相まってまるで幽霊とさえ思えるほどの雰囲気を醸し出していた。


「こりゃ駄目だ。どうしたかはだいたい知ってるけど訊くね、リンちゃんどうしたの? 今日おかしいよ? なにか困ってるなら相談に乗るよ。ああ、でも言えないなら無理に訊かない」

「あ……いや、その……なんでも」

「なーんて、私がそんなお決まりのセリフ言う訳ないけどね」


 なんでもないと言い返そうとしたリンを遮るように、いきなり秋香が胸倉を掴んできた。

 教室中がざわめく。リンも驚いた。秋香が誰かに手を出したのを初めて視たからだ。

 誰に何を言われようと、暴力を振るわれようと、決して手を上げずに笑って流していたあの秋香が一番の友人とも言えるリンの胸倉を掴んだ。

 それは彼女を知る者達からすれば衝撃的な行動だった。

 周囲の反応にはまるで意を介さず、秋香は嗤ったままリンを見据える。


「確かにリンちゃんならそれだけメンタルボロボロな状態でも私に付き合ってくれるだろうね。それについては信用してるよ。

 でもね、そんな今にも死にそうな顔してる子を連れ回すのは気が滅入るんだよ。私の株が下がりまくるんだよ。あの人に何か言われたんでしょ? 辛いなら辛いって言いなよ」

「でも、これは私とヴァイの問題だから。秋香は気にしなくていい、少しだけ時間を貰えれば、ちゃんと整理をつける。だから……」


 放っておいて。そこまで言う前に、いや、言わせないように秋香がリンを引き寄せる。


「そうだよ、私は無関係だよ。だって私は二人の過去に何があったかを知らない。今がどういう関係なのかも知らない。

 だからリンちゃんが言わないなら無理に訊こうとは思わない。そのウジウジした態度にアレコレ言うのもお節介だと理解している。リンちゃんなら放っておいても自力で立ち直れることもちゃんと知っている。

 だけど、何かイライラするんだよ。無償にイラつくんだよ。いても立ってもいられなくなるんだよ。それは相手がリンちゃんだからなんだろうね。

 でも何にイラついてるのかがわからないんだ。煮え切らない態度を取るリンちゃんに怒っているのか、それともリンちゃんの助けになれない私自身に怒っているのか。……考えてもわからなかったから、私なりに動かさせてもらったよ」


 互いの呼吸を感じる距離、僅かな表情の変化も誤魔化せない距離まで二人の顔が近づく。

 リンの眼には、強い意志を宿した秋香の瞳が映っている。リンが秋香の中でもっとも好んでいる部位であり、羨ましいとさえ思わせる良い瞳だ。


「一つ訊かせて、どんな答えでも良いから本心で答えて、ヴァイくんに未練はある?」


 誤魔化しも中途半端も許さないように、胸倉を掴んだ手に込めた力を緩ませず、秋香は訊いた。そこまでされて、ようやくリンは気付く。秋香に心配されていたことに。


「あ……る、ある、でも……これはもう決めたことなんだ」


 嘘はつかなかった。つけなかった。秋香にそこまでさせて、誤魔化すことはリンにはできなかった。未練がないわけがない。だが、それはもうどうにもできないことだ。

 リンとヴァイの間には深い溝があり、お互いに取るべき道を決めている。そして、その道は重ならない。しかし、リンはその道を選択したことに後悔はない。

 自分のためにこうして怒ってくれる友人を護ることに、リンは後悔を覚えない。

 ただ未練が残ってしまった。後ろ髪を引かれ、ヴァイに対する想いを断ち切れない。

 そうなってしまったのだからしょうがないと、踏ん切りが付けられない。

 二年前、ヴァイと道を別った時から積もり続けている未練が気持ちを揺さぶり続ける。

 だから時間が欲しかった。一日あれば気持ちに整理は付けられる、感情を押し込められる。


「リンちゃんはメンタル弱いクセに、一度決めたら曲げないよね。……とにかく、その言葉が聞けて良かったよ、色々と無駄足にならずに済んだ」


 秋香が呆れるように呟き、胸倉から手を離す。それから慰めるようにコツリと額を合わせてきた。オレンジの瞳が、何かに怯えるように揺れている。


「あのね、気になったことが一つあるの。とは言っても私は人間付き合いがよくわからないからさ、リンちゃんの助けになるという確証はない。

 だけど私なりにヴァイくんと接触して気になったことがある。でもね、これを言うとリンちゃんは余計に傷つくかもしれない」


 囁くように秋香は言う。彼女は不安と緊張が同居する、強張った笑顔を浮かべていた。

 確証が無い自分の発言で、リンが傷つくのを恐れているのかもしれない。


「教えて、教えてほしい。秋香、私は後悔しないから。秋香の言うことが的外れだったことは一度も無いんだ。だから、どんな結果でもそれは私が向き合うべき真実なんだと思う」

「リンちゃんのそういう懐の広さ、見習いたいよ。……じゃあ、言うよ」


 秋香がリンの耳元に口を寄せ、そっと告げた。

 話を聞いた後、リンは顔を上げる。いつもの温かさと優しさを感じる表情に戻っていた。

 告げられた内容もそうだが、先程の秋香の行動にリンは強い決意を固めていた。

 自分のことを想ってくれる友人が、沢山の思い出と強さをくれた大切な人達が居る。だから今度こそは護る。それこそが二年前の未練を消す唯一の方法だと。

 そのような考え方こそが、未だに過去の呪縛から抜け出せていないことを示唆しているのだが、リンは気付いていない。


「本当だよ。昨日は寝不足だし、回線工事が何故か前倒しになって仕掛けがバレそうになったり、消臭剤スプレーはかけられるわ、お昼ごはん台無しにされるわで散々だったんだから。でも、今はこうして良かったと思えるよ。なんでかはよくわからないんだけど」


 リンの表情を視て、秋香は心の底から嬉しそうに笑った。








 翌日、放課後。ヴァイと秋香が情報交換をする日。

 ヴァイはドライと共に放送室で秋香を待っていた。


「あらま、お早い到着で。やっほー、ヴァイくんにドライちゃん」


 ほどなくしてニコヤカな笑顔を浮かべた秋香が放送室に入ってきたのだが、その姿を見てヴァイはコメントに窮した。

 秋香は何やら大量の荷物が入ったリュックを担ぎ、ハンマーを肩に置いていた。まるで鉱山に働きに行くか、金銀財宝を求める冒険家のような格好である。思わず二度見してしまった。


「この荷物重くてさ、歩くの遅くなっちゃったよ。待った?」

「時間の指定はしていなかった、待つも待たないもない」

「デートの時は待たなかったと言ったほうがいいよ。まぁ私はそう言われたら、それぐらいにしか私とのデートは楽しみじゃなかったのね! とかヒステリック気味に言い返すけど」

「めんどくさい女だなというか、そもそもデートじゃないというか、いらん忠告だ」


 言いながら、ヴァイは一瞬だけ秋香の背後を窺った。


「リンちゃんなら来てないよ。先生に呼ばれちゃってね、気が向いたら来るんじゃない?」


 ヴァイの視線の動きを目ざとく捉え、秋香は放送室の防音扉を閉めながら言う。


「この事件に関わっている間はなるべくアレから離れるな。オレも常時監視はしているが、タイムラグ無しで助けに行けるわけではない」

「サラッとストーカーっぽい発言が出たのは流すとして、リンちゃんを盾にするのは気が引けるなぁ~。一応護身用ナイフとか持ってるんだよ私」

「その肩に置いたハンマーは飾りか……」


 どこからともなく手の平に納まるナイフを抜き放った秋香に、ヴァイはツッコミを入れた。


「ハッキリ言うと威嚇もしくは牽制用だよ。これね、勝手に実体化したり消えたりして肝心な時に使えないの。私がソウルバディ使えないのは知ってたよね?」

「知ってる。そこまでだとは知らなかったが」


 せいぜい心能力が使えない程度だと思っていたが、それでは本当に使えない。

 ナイフをしまった秋香に、ヴァイは制服のポケットからあるモノを取り出して放り投げた。

 手の中に納まる大きさのチップ、草花についていた例のチップだ。


「いきなり投げないでよ、なにこれ? 」


 責めるような口調だが片手でしっかりと掴み、親指と人差し指で摘まんで秋香が尋ねる。


「草士朗のソウルバディにつけられていたチップだ。それが原因で暴走したと考えられる」

「私が持ってきた映像の中で、これを草士朗くんにつけたと思われる人物を探せばいいんだね」


 得心が言った様子で秋香はチップを舐めるように見つめ、躊躇いなくヴァイに投げ返した。


「うん、手始めの情報としては十分だね。映像観賞のためのチケット代、確かに受け取りました。それでは上映会と行きましょう、今夜は寝かせないぜベイビー」


 チップを掴んでポケットの中に戻すヴァイの前で秋香が背負っていたリュックを逆さまにして中身をぶちまける。容量限界まで詰め込まれたリュックの中身は数えきれない量のDVDだった。

 校内の至る所に設置された防犯カメラの映像が、たった一枚のDVDに納まるわけがない。

 少しは予想していたが、そのあまりの多さにヴァイは一瞬だけたじろいだ。


「同じ時間帯でも防犯カメラは一つじゃないからね。一回一人で全部見たけど、朝方までには見終わるから安心して。あ、コーヒー持ってきたけど飲む? バケツで用意するけど」


 百枚近く在るDVDの最初の一枚を摘まみ、秋香は口の端を引き攣らせながら言った。

 その顔を注意深く見れば、眼の下には濃いクマができている。

 化粧で上手く隠しているため今まで気付けなかったようだ。

 辛い夜の幕開けを予感し、ヴァイはカップで頼むと力無く言い返した。






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