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第二章 偽りの彼女

 奇怪な放送から数分後、ヴァイとドライは三心教高校の放送室前まで来ていた。

 会いに行かないという選択肢はない。行かなければ先程の放送以上の事をされかねない。


「次はマスターの手配書をバーゲンセールさながらに叩き売りするとドライは予想します」

「意味がわからん。いや、それぐらい意味がわからんことはしそうだ」


 万力でこじ開けられたかのごとく歪んだドアノブを掴み、防音処理がされた分厚い扉を押し開く。

 扉の隙間から洩れでる臭気、脂のにおい。硝煙と血の臭いで満ちた戦場を渡り歩いてきたヴァイが顔をしかめる。それほどまでのにおい。


「とんこつ?」


 ドライが言う。こってりとした脂のにおい。まさしくとんこつのにおいだ。


「やっほー、乙女の花園へようこそ~」


 放送室内に漂う濃厚なとんこつスープのにおい、その発生源『特濃とんこつラーメン・ブタ濃縮』という銘柄のカップラーメンを手にした少女が笑顔で二人を出迎える。秋香だ。

 初めて出会った時と違い、頭に大きなこぶを作り、『私は放送室を占拠した悪い子です』というプラカードを首からぶら下げている。

 当然ながらあの後、怒られたようだ。


「あー、呼び出しといてなんだけどちょっと待ってて。お腹空いたからお昼食べる」


 秋香がカップの蓋を開け、冷ますために息を吹きかけた。

 放送室にスープの臭いが充満する。防音処理が施してあるため密室であり、臭いは抜けることなくそのまま残っていく。


「そんな勝手な……マスター、どうします? マスター?」


 ヴァイはドライの呼びかけに反応せず、どこからか取り出したスプレー缶を振っていた。

 そして、一切のためらいなくスプレーの噴射口を秋香に向けた。


「あんぎゃああああああああああああああああああああああッ!」


 怪獣の断末魔のような絶叫と共に、噴射された白い煙の中に秋香が消える。

 ドライが茫然としている中、ヴァイは室内を念入りに、しつこいぐらいにスプレーを噴射していく。スプレー缶には『超強力脱臭あの頃のさわやか青春を取り戻せ』と銘打たれていた。

 室内に漂うとんこつスープの臭いが薄れる。消臭スプレーのようだ。


「なにすんじゃー! 花の乙女に向かって消臭スプレーとか正気ですかぁ!」


 秋香が窓を開けて煙を外に逃がし、腕をぶんぶん振りまわしながら怒鳴る。


「花の乙女は真昼間にとんこつ臭などさせん、密室に呼び出してとんこつラーメン食うとか嫌がらせか。あとラーメン以外にもサラダぐらいつけろ、身体に悪い」


 鼻を摘まみながらヴァイは言い返す。臭いはだいぶ薄れたが、まだ気になるようだ。


「アイツもそうだが、もう少し食生活がなんとかならんのかお前らは。お前はアイツと違って髪や肌の手入れはやっているようだが、やせ過ぎじゃないのか? 筋肉はあるようだが細過ぎるぞ、もっと脂肪をつけろ。まさかダイエットとかしているんじゃないだろうな」

「うざ……なんか教育番組に出てくる厳しいお母さんみたい」

「確かに、マスターからは一日の半分を寝て過ごす息子の世話をする母親の心意気を感じます」


 軽く咳き込む秋香と、若干呆れ顔のドライに指摘され、ヴァイは黙り込んだ。

 改善できるにも関わらず、自ら不摂生を行う者に対してあれこれ口出し手出しするのはヴァイの悪癖だ。先日リンの部屋を片付け、シャンプーについてあれこれ言ったのはアリバイ作り以外にもそういう理由があった。

 不衛生かつ不摂生な戦場暮らしから来る反動である。


「成程ね、ヴァイくんは不摂生な生活を送る人間を視ると色々したくなっちゃう病気なんだ」

「むしろ病気になるのはお前らだろう。ちゃんとしたモノを食べないと成長しないぞ」

「誰がやせ過ぎてちんちくりんの童子体型ですか。これ以上大きくしようとしてもどこも大きくならないんですよーだ。身体中の脂肪を動かして寄せて上げることすらできないし」

「誰もそこまで言っていないし、訊いていない、寄せなくていい上げなくていい」


 わざわざ胸を持ち上げるような動作をする秋香を止めて、ヴァイは本題に入った。


「それで何の用だ? 待ち合わせは明日だぞ四季秋香、いや、秋香は偽名だったな」


 秋香のペースを崩すために、ヴァイは挑発紛いの言葉を使う。

 秋香という名は偽名であり、本名は四季という。ヴァイにとってはそれが集めた情報の中で一番気がかりな部分だった。


「へー……誰に訊いたのかな?」


 挑発とも皮肉とも取れるヴァイの言葉に、秋香は笑みを崩さなかった。ただ凄味が出てきた。どうやら突いてはいけないところを突いてしまったようだ。

 言葉には険が出ており、イラついているのは間違いない。


「別に誰にも口止めしてないし、隠してもいないことだから良いんだけどね。一つだけ止めてほしいことがある。秋香と四季はくっつけないで。四季秋香という人物は存在しない。私は四季の人間であり、秋香ではあるけど、四季秋香ではない」

「わかった、二度とその呼称は使わない。それでいいな?」


 秋香が乱暴に頷く。よっぽど嫌なようだが、四季と呼ばれることに嫌悪しているという感じでもない。名前を別けることに意味があるのだろう。


「では、改めて訊こう。世界でも名の知れたソウルバディ関連の大手企業である『ソウルフレンズ』を取り仕切っている四季家の人間が、どうしてこんな事件に首を突っ込んでいる?」


 四季家、それはどこかで聞いたことがあるどころでは済まされない名だ。

 三心教高校と同格の知名度を誇っていると言っても過言ではないだろう。表裏両方の世界でその名を知らない者はいないはずだ。

 表では優秀なソウルバディ使いを各界に輩出し、世界各地に支部を有する大手企業。

 裏ではウィズダムブレインや独自に戦力を有した武装組織に資金提供を行い、その戦力を使って地域紛争を防ぎ、テロ活動を鎮圧、各国に恩を売って自社拡大を行っている一面も持つ。

 秋香はそんな四季家の人間なのだ。そんな彼女がどうして危険を冒すのか。


「金には不自由してないだろう? 名誉も勝手に与えられるだろう? 将来すらほとんど約束されたようなモノだ」


 誰にも知られていないがために、誰からも感謝されず、報酬も出ない事件、それを解決することに何の意味がある。

 それはわからなかったが、ヴァイなりに予想はつけていた。

 事件解決の功績を掲げて三心教高校に取り入り、何らかの謝礼もしくは将来の安泰を約束させる。そんな予想をしていた。

 つまりは金と名誉のためだ。やはりそれ以外には思いつかない。

 リンのような自己犠牲の精神や、度を超えた正義感を持つ者など、そうそう居ない。少なくとも秋香からは、そのどちらも感じ取ることはできなかった。

 だが秋香が四季家の人間だとすれば、ヴァイの予想は大外れだと言わざるを得ない。

 四季家の人間だとすれば、金も名誉も既に持っているのだ。

 ソウルバディを使えないにも関わらず、秋香が三心教高校に在籍しているのも、ひとえに一国家に匹敵する資産と発言権、そして地位を四季家が持っているからだろう。

 なのにどうして秋香が事件に首を突っ込むのか、ヴァイは予想すらできなくなった。


「お金に名誉、そして将来安泰と来たか。それじゃあまるでお嬢様だね」


 秋香はクスリと笑う。ただしそれは侮蔑の笑みだった。


「豪邸の広いお庭でイケメン執事に紅茶とスコーンを用意して貰って、一匹数十万円の犬が走りまわるのをウフフフフとか言いながら見守っているんでしょ? あはは、テレビの見過ぎじゃない? ばっかみたい、残念ながら私はそういうのじゃないよ」


 そもそもお嬢様がとんこつラーメンとか食べるわけないでしょうと、秋香はスプレーが入ったらしく食べられなくなったカップヌードルの容器をテーブルの端に置く。


「なら、お前は本当に四季の人間なのか?」

「さぁね、どうだと思う? 一応は日本に在る四季の本家で生まれたよ。だけど名前は貰えなかったからねぇ。だから私は自分で秋香と名乗ってるよ。自称、超絶美少女秋香ちゃん」


 名前を貰えなかった。秋香は何気ない口調で言うが、それは異常ではないだろうか。

 いや、他人のことは言えない。ヴァイという名も自分で勝手につけたのだから。ただそれはヴァイが特殊な環境で育ち、兵士としてその名を使うことが必要だったからだ。

 いくら世界的に有名な四季家とはいえ、一般家庭の範疇からそこまで逸脱しているようには思えない。

 なにより今思い出したが、確か四季家には娘はいなかったはずだ。


(本当に何者だ……この女? 何が目的だ?)


 ヴァイは考えるが、考える暇を与えないように秋香は話を続ける。


「私は私の意思でここに入学したんじゃないんだよ。四季家の人間が勝手に入学させたの、本人の意思なんて無視だよ無視。それだけならまだしも周りの人間の意思も無視してるから最悪。

 私のことを調べたなら、私がここでどういう扱いを受けているかは知ってるよね?」


 秋香が馬鹿にされているのはソウルバディを使えないからだけではない。

 金と権力で無理やり入学したのも大きいのだろう。必死に努力して三心教高校にしがみつく者達に眼の敵にされてもおかしくはない。

 だが、そうしたのは秋香の意思ではなかった。

 家の都合で勝手に入学させられた秋香もたまったものではないだろう。グレてもおかしくない。


「そうか、家に対する反抗としてアホな騒ぎを起こし、不摂生な生活をして心配をかけようと」

「秋香様、もし家族の皆様に心配をかけ、気を引くために事件に関わるのなら、ドライは身を退くことをお勧めします」


 ドライが真剣な表情で会話に割り込む。


「いやいや、そんなガキというかとんこつ臭いことしないから」

「本当ですか?」


 疑いの眼差しを受け、秋香は大きな動作で肩をすくめる。


「本当ですって、そんなに信用ないかな? これでも生まれた時から一切嘘言ったことないよ」

「その発言が嘘かと。秋香様の言動は正直に言いまして、狂言師の部類に近いので」

「そこまでバッサリ言われると、さすがに私でも傷つくなぁ……」


 ドライの即答に、秋香は肩を落とす。自業自得だとヴァイは内心思った。


「二人に疑われたら後々損するから細かい部分を話すけど。四季家が私をここに寄越した理由があるはずなんだよ。私はその理由を探しているの。

 このままされるがままってのは嫌だからね。それにもしかしたら、三心教高校関係者に私の事を私より知っている人が居るかもしれない。だからこうして、深い部分に首を突っ込もうとしているわけさ」


 三心教高校は開学の際、四季家から多大な資金援助を受けていたことをヴァイは思い出した。繋がりはヴァイが考える以上に太いのかもしれない。


「雑に言うと、私は私のことが知りたいの。四季家の中に居た時は誰も何も教えてくれなかったらさ。こうして外に出ている時がチャンスってわけなのさ」


 自分探し、それが秋香が事件に関わる裏の目的。自分自身のための目的。


「自分探しは建て前で、相手にしてくれない家族の気を引くため、自暴自棄のように身を危険に晒している。という可能性はないでしょうか?」

「そういうことしても、何の意味もないことぐらい私もわかってるからさ」


 達観しているように秋香は微笑み、わざとらしく一度咳払いする。


「逸れに逸れまくったけど、ヴァイくんからの話は今の答えで満足?」

「ああ、信用する。一応は」

「倒置法で言いますか……。まぁ信用されないのも自業自得ですかね」


 秋香は言う。寂しげでもなく、かと言って茶化す風でもなく。感情の読めない笑顔で言う。


「じゃあ次は私の用事。情報交換が明日なのは大丈夫なんだけど、ちょっと場所と時間を変えてほしい。と言っても場所はここで、時間は放課後にしてほしいだけなんだけどね。ここなら周囲に聞かれる心配もないし」


 秋香は制服のポケットからDVDケースを取り出す。中には何の変哲もないディスクが一枚。


「ここならこれも再生できるしね。私の用事はそれだけだよ」

「なんだそれは?」

「三心教高校敷地内の防犯カメラの記録映像。録画内容は二日前の深夜。たまたま偶然思いがけずに手に入れちゃってねぇ。中身は拝見させてもらったけど『私には』普通の映像だったよ」

「そんなモノどうやって手に入れたんだ……」


 間違っても女子高生が手にして良いモノではないだろう。


「もちろん脅し……げふんげふん、知り合いの警備員さんに事情を話してちょこちょこっと」


 経緯は気にしない方が良いとヴァイは直感する。なにより重要なのはそこではない。


「それで、何が言いたい?」

「思いがけずに手元に来たカードを見せびらかして、それに釣り合うカードを考えてほしいということだよ。いやー、私も甘いねー。手札を見せびらかすなんて」


 よく言う。用は出し惜しみせずに包み隠さずヴァイが知っている情報を全て吐けと言っているのだ。

 秋香にとっては何の変哲もない映像だったかもしれないが、ヴァイにとっては手掛かりになるかもしれない。

 そのことを含めての情報交換、いや、秋香が望むのは情報統合だ。

 それぐらいの価値があの映像にはある。犯人の顔さえわかっていない状況で二日前の深夜に草士朗に接触した人物、つまり犯人候補を絞り込めるのは大きい。

 例え何も映っていなかったとしてもヴァイには絶対に入手できないモノを入手した秋香の情報収集能力の高さの味を知ることになる。

 そうやって自分には利用できるうま味があることを見せ付け、関係を断ち切られないように布石を打つ。同時に相応の見返りを要求する。

 単なる女子高生がそこまで考えることに、ヴァイは畏怖を覚えた。


「一晩じっくり考えて話す内容を決めてほしい。話すことに関して許可とかいるだろうしね」


 手の中でDVDケースを弄びつつ、秋香はいやらしい笑みを浮かべた。


「考えておく、今夜はワクワクして眠れぬ夜を過ごせ」


 結局は手玉に取られていることに釈然としないものを感じ、ヴァイは呪詛を吐いた。







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