第二章 彼女と卵と黒幕の謎
翌日、ヴァイは朝からドライを引き連れて三心教高校の敷地内を歩きまわっていた。情報収集である。
暇そうな人間を見付けては、最近校内で起きていること、または流行っている噂、ついでに秋香のことを聞きまわっていた。
三時間後、一通りの情報が揃ったところで校舎エリア付近の通路に設置されたベンチに腰掛け、情報を纏めながら遅めの昼食を取る。
昨晩、夕食を作る片手間にバターロールの合間にサラダとハムを挟んだサンドイッチと、サラダの飾り付けに使ったコーンの余りで作ったコーンスープを保温ポッドに用意していた。
「情報を纏めた結果、お姉様達が置かれている状況がわかっただけだとドライは判断します」
集めた情報を統合し、何がわかったかをドライが簡潔に一言で表した。
校内では何も起きていない。爆破予告の噂が広がっているだけだ。
そしていつも通り成績が悪い誰かが転校という名の退学になったことが囁かれているだけだった。
それがリンと秋香が置かれている状況だ。彼女達が個人的に、誰の助けも借りず独力であそこまで事件に食い付いていることを意味している。
表立っていない事件、解決しても誰からも感謝されず、報酬も出ない。そんな事件を解決するということは、何らかの目的のために、自分のために動いているということになる。
興味本位ではないだろう。その程度の理由なら昨晩草士朗に襲われた段階で首を引っ込めている。そうしなかったということは、本気で、相応のリスクを覚悟しているということ。
ヴァイにとってはあまり好ましくない情報である。
「アレはこういう事を知れば止める性質だから放置するとして、問題はあの女だな」
アレとはリンであり、あの女とは秋香である。
ヴァイは知っていた。リンという少女は自分のためだとか言いながら、誰かのために身体どころか命まで張る。常人からネジが一つ二つ飛んだ善人だということを。
だが秋香はわからない。彼女はどうして自分が危険な眼に遭っても怯えず、軍人が追っている事件に自ら首を突っ込み、銃を向けられながら警告されても退かなかったのか。
危険な眼に遭えば怯える。軍人が追う事件など首を突っ込まない。銃を向けられれば逃げる。それが当たり前の反応だ。だが、秋香はそうしなかった。
普通じゃない。リンとは違う意味で頭のネジが飛んでいる。
だから危険だとヴァイは判断した。善人だろうが悪人だろうが、思考が飛んでいる奴は総じて危ない。なので秋香という少女の情報を集めた。
結果は芳しくなかった。
「正直に言いまして、ドライは余計にわからなくなりました」
いわく、秋香という少女は三心教高校における異端中の異端、例外中の例外である。
三心教高校において異端であり例外であるクラス、リンも所属するそのクラスの中でもっとも異端であり、例外である存在。
それが、秋香がどういう人物だと質問した時に帰ってきた返答の中で、もっとも多い答えだった。
その理由は『ソウルバディを使えない』からである。『ソウルバディをまともに使えない落ちこぼれ』『底辺中の底辺』と馬鹿にした返答も少なからずあった。
昨晩、草士朗に襲われながらも抵抗しなかったのは、ソウルバディを使えなかったからのようだ。物質化はできるが、話すことも心能力を使うこともできない。そういうわけだ。
ソウルバディを使えない。ということについては珍しくない。能力の未発達、発動条件が揃わない、などなど様々な理由でソウルバディを使えない事例は多々有る。
だが三心教高校という枠組みの中では異端であり例外だ。ここはソウルバディの使い方を『教える』場所であり、ソウルバディを『発現』させる場所ではない。彼女は低能力云々以前の問題として、そもそもここにいる資格が無いのだ。
しかし秋香は三心教高校に在籍している。無能力なのに。その理由もまたわからない。
ソウルバディも使えない、自分の身すら満足に護ることさえできない彼女が事件に関わり、『何か』をしようとしている。その『何か』もわからない。
なにより気がかりなのは、情報を集める際に知った秋香の本当の――。
「……まぁ、あの女個人に事態を動かす力は無い。せいぜい場を引っ掻きまわすことが限度だろう。そこまで深く探る必要もない」
思考が飛んでいようが、わからないことだらけだろうが、彼女はソウルバディを使えないただの女子高生なのだ。いくら奇抜な行動を取ろうとしても能力的に限界がある。
「あの女はついでだ。わからなくても問題ない。本命のことがわからない方が遥かに問題だ」
警戒はするが、ヴァイの本命は別だ。必要以上に気を払うことはできない。
サンドイッチを咀嚼して呑み込んだ後、ヴァイは制服のポケットからある物を取り出す。それは草士朗のソウルバディに取り付けられていたチップだ。
「二度目となれば疑いようもない。あの研究所で行っていたのは人工ソウルバディの改良ではなく、これの発明だな」
ソウルバディの能力を増大させる。それがこのチップに備わっている機能。
ソウルバディは一人に一体という常識を覆す、人工ソウルバディとはまた違ったアプローチの仕方だ。数を増やすのではなく、個の能力を強化する思想の下で造られたのだろう。
感情を無理やりに引き出し、ソウルバディを強化する。だが自分の意思とは無関係に引き出された感情を制御できず、紅葉や草士朗のように感情に振りまわされて暴走してしまう。
当初の予想とは別物、完全新規の作品だ。ある意味サラードの予想通りだったとも言える。
「紅葉は見境無しに暴れていたが、草士朗にはある程度の自我があった。だんだんとバージョンアップしていることに加え、使い捨てにしていることを考えると、まだ手元にあるだろうな」
「逃亡中にも関わらず研究を続けるとは太い神経です。ドライは軽蔑します」
威圧感のある冷たい口調でドライは言い切った。辛辣なのは自らが研究に関わっていたということもあるだろう。それも無理やりにだ。恨みや怒りを抱いて当然と言える。
表情こそ乱れていないが、内心は荒れているに違いない。
「根っからの研究員ということだ。三度の飯より命より実験が好きなんだろう。下手に隠れられるよりはいい。とはいえ、これだけでは尻尾は掴めんな」
「提案します。三心教高校関係者を捕縛して拷問にかけ、居場所を吐かせるのはどうでしょう?」
「却下だ。捕縛して拷問した相手が潜伏先を知っていなければ目も当てられんし、そんなことをして敵を増やすことも得策ではない。少し落ち着け」
強引なドライの提案にヴァイは若干引きながら、どうどうと落ち着ける。
「すいません。マスターが必死に捜索しているにも関わらず。憎いアンチクショウが悠然と裏で研究を続けていると思うとはらわたが煮えてしまいました。自重します」
表情を乱さず、あくまで淡々とドライは言う。真顔なだけに余計に怖い。
「悠然とではないかもしれんがな。手詰まりなのはむしろ向こう側かもしれないぞ」
ドライを落ち着けようとして言ったのではなく、ヴァイはそう考えていた。
「校内に手引きしたのは三心教高校で間違いないが、良い関係を構築していないようだ。良好な関係なら爆破予告は出さないだろうし、三心教高校がオレをここに呼ぶ理由もない」
保護下に入れるというには、お互いに敵対行動を取っている。双方が仲良く協力して何かをしようとしているようには見えない。
逃亡者の方はわからないが、三心教高校はまず間違いなく利用する気だろう。何かをやらせるための装置として使うつもりのはずだ。
つまり保護したのではなく、
「逃亡者も役割を与えられて、ただここに呼ばれただけなのかもしれない」
昨晩の男の会話と現状を鑑みて、ヴァイはそのように結論付けていた。
「役割ですか?」
「このチップを完成させるという役割だ」
現状の問題点を排除し、このチップを完成させれば世紀の発明となるだろう。その功績と技術を我がものとするために画策している。
ヴァイが関わる仕事ではよくある話だ。違法な科学者を匿い、彼らの研究を援助することで他より優れた技術を手に入れようとする。
そういう野望を潰すのもウィズダムブレインの仕事だ。先日の違法研究所を襲撃する作戦もそういう裏があった。
「要望に答えられなければ、オレ達が生徒を護れなかった時と同じように、用済みとして処理されるのは間違いない。そのためにオレを間近で行動させていると考えるのが妥当だろう」
期限が間近に迫っていると焚きつけている。モタモタしていたら首を渡すぞという脅しだ。
それは逃亡者はもちろん、ヴァイとしても迷惑な話である。
追い詰められた人間がしでかす行動はロクでもない。自爆覚悟の特攻ならまだしも、あのチップを見境なく生徒達につけて暴走させるなどされたら、全く笑えない状況になる。
「マスターの読み通りだとすれば、全ては三心教高校の手の内というわけですか。不愉快です」
逃亡者もヴァイ達も利用されている。三心教高校にいいように使われている。
「……」
ヴァイは応じなかった。ドライと同じ気持ちなので言うまでもない。というわけではない。自分で言っておいて、先程の見解が外れているのではないかと疑っていたからだ。
先程のヴァイの見解は、ヴァイの視点からのみで考えたモノだ。逃走者や三心教高校の思惑などは一切考慮していない。現状が物語っていることをそのまま言葉にしたに過ぎない。
あくまで表面の部分しか捉えていないということだ。
それでも、おおよその部分は当たっているだろう。だが外してはならない肝心な部分を外している気がする。そんな腑に落ちない感覚をヴァイは感じた。なぜそう思うのか。
(卵……か)
センカから、そして昨晩の二人組からも『卵』という発言が出ていた。
それはヴァイが追う事件と、リン達が追う事件が高確率で関係していることを意味している。
二つの事件に関わる重要な要素として警戒すべきだろう。
しかし、『卵』が何を差しているかはまるでわからない。だから肝心な部分を外しているのではないかと疑ってしまう。
パズルのピースが残っているのに、パズルを完成させたと言い張っているような感覚だ。
「ドライ、午後からは卵について調べる」
「了解し――」
ドライの応答が校内放送のチャイムに掻き消される。
『ピンポンパンドゴーン! いえーい、みんなぁ! お昼食べてるかい。弁当つつき合ってもぐもぐしてるかな、ご飯はちゃんと百回噛んでごっくんしてるかな。こちら放送部を占拠した秋香ちゃんでーす、みなさんの楽しい美味しい嬉しいランチタイムを彩る放送をジャックしましたー、軽快愉快爽快なミュージックを期待している人達ごめんちゃい』
華やかさと騒々しさが同居した声が響く。聞き覚えのある声だ。というか秋香だった。
『代わりに落語とか季節先取りの心霊話とかしてもいいんだけども、台本無いのでさっさと用事を済ませまーす。呼び出しデース、秋香ちゃんと明日デートの約束をしている方~、放送室までいらっしゃ~い』
秋香の背後で扉を殴りつけているような音が響きだす。なにやら怒声も聞こえている。
『うわッ! もう来ちゃったの? 予想より早ッ! って、ギャー! 法子先生! うわ、やっべぇ逃げ場ない。どうやら私の命運もここまでのようです、ますます扉を叩く音が激しくなってまいりました。いよいよ終わりです! 施錠してあるはずの扉が開きました! 物凄い力です、馬鹿力です。いよいよ終焉、アディオスみなさん、アディオ~ス』
その後、何やら騒がしいモノ音と怒声と悲鳴を最後に、放送はブツンと途切れた。
「……」
まるでゲリラ豪雨のように瞬く間に過ぎ去った一連の騒動にヴァイの思考は停止する。
呼んでいる。間違いなくヴァイを呼んでいる。どうして校内放送を選んだのかが理解できない。校内に居ることはわかっているから、校内全域に聞こえる手段を選んだのかもしれないが、普通は実行しないだろう。馬鹿じゃないのか? ヴァイは無意味に空を仰いだ。