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第二章 別れの言葉

 学生寮の廊下。リンは自室に向かっていた。足取りは重い。

 あの後も撮影は続き、心身ともに疲れ果てていた。撮影だけではない。ヴァイに関して、秋香に質問攻めされたことも原因の一つだ。

 どうやらあの撮影会、表の目的は秋香の趣味と実益のためだったが、裏の目的はヴァイとの情報交換を有利に進めるための情報収集だったようだ。

 昨夜の一件からリンとヴァイの関係が上手くいってないことは目に見えており、そこを取っ掛かりにヴァイを攻略していく腹積もりだったのだろう。

 ヴァイの素性はもちろん、弱点やクセなど根掘り葉掘り訊かれた。

 もちろんヴァイの所属する組織には厳しい情報規制が行われているため、秋香からの質問は全て曖昧に流した。話せばヴァイに迷惑がかかる以上、口を滑らすことは許されない。

 なので喋ることはしなかったが、表情には出ていただろう。顔芸ができないという自覚がリンにはある。ヴァイの事となると、余計に顔に出ていたはず。反省すべき点だ。

 そんなリンの弱点を知っていた上で、秋香はヴァイの話題を振ったのだ。容赦が無い。


「全く……秋香も普通に聞けばいいのに」


 改まって聞かれたところで答えられなかったけれども、撮影やコスプレで思考を混濁させるような計略を練られるよりはマシだ。

 普通はそこまでしないだろうが、秋香はするのだ。


(今に始まったことではないとはいえ……本当に慣れないな)


 リンと秋香の関係はかれこれ二年近く続いているが、二年前からこうだった。

 しかしそんな秋香だからこそ助かった場面や、助けられた場面がある。

 苦手であり怖いが、リンが秋香に惹かれ、好んでいる部分でもある。ただ、やはり疲れる。


(やっと着いた……今日はもうシャワーを浴びて寝よう)


 昨晩の不法侵入からずっと気を張っていた。ヴァイの登場に加え、先程の退学の話や撮影会と中々にハードだ。色々なことが一度に起こり過ぎであり、整理する時間が欲しかった。

 自室のドアを開け、中に入る。そして違和感に気付く。

 学生寮という割には広い部屋であり、綺麗に片付けられていた。私物らしい私物がない、女子高生らしくない簡素な部屋だ。

 私物がない、泥棒に入られた。というわけではない。私物がないのは元からだ、リンは飾るということをしない。できるのは散らかすことだけである。

 だから違和感は部屋が綺麗に片付いていることだ。今朝はこうではなかった。どうだったかというと、前に一度だけ遊びに来た秋香がリンの部屋を視て、こう言った。


「突撃友達の家―! 遊びに来たよ……って、なにこの豚ご……げふんげふん、ゴミ屋敷」


 言い直してゴミ屋敷である。それから秋香はリンの部屋を訪れていない。

 そんなのだったのが綺麗に片づけられている。

 誰かが部屋に入ったのは明らかだ。

 風呂場から物音。リンは鞄を手にしたまま早足で移動、洗面所に繋がるドアを開く。

 結果、視た。色々と視てしまった。まさかとは思ったが、予想通り洗面所には女性がいた。否、女性と見間違うほどに男っ気が皆無の男、ヴァイが居た。

 ちょうどお風呂から上がったのか、浴室に繋がる扉の前で髪を拭いていた。裸だった。身体を隠すべきタオルは髪を拭くのに使っている。

 ヴァイは驚いた表情でこちらを視ていた。リンも同じ表情をしているだろう。

 服を脱いだヴァイの身体は女性のそれであった。男らしさがまるでない、しなやかで柔らかみさえ感じてしまう白い肌をしている。

 それだけに全身の傷が痛々しかった。生傷から古傷まで、いまだ血が滲んでいるモノも含めて十数か所。左腕と左足に至っては、防水テープでぐるぐる巻きにされている。

 と、意識を反らしたところで眼の前に全裸の男が立っている事実に変わりはなく。いくら女っぽいとはいえ、性別は男だ。リンは視線を下に動かし、全身を真っ赤にして、


「きゃあああああああああああああッ!」


 絹を裂くような悲鳴を上げながら、手にした鞄を全力でぶん投げていた。

 鞄はヴァイの顔面に直撃する。そのままヴァイは後ろに倒れ、浴室へと姿を消した。鞄が顔面に直撃した音と、浴室の床に後頭部をぶつけたらしい音の計二回、痛そうな音が響いた。


「ご、ごめんなさい!」


 リンは謝りながら、しかし助けに行くこともできず、そのまま洗面所から飛び出した。








(アワワワワワワワワワワワワワワワ……!)


 青くなり、涙眼になり、全身をガタガタと小刻みに震わせながら、リンは椅子に腰を降ろしていた。正常な思考ができない、一種の恐慌状態である。

 目の前には部屋に持ち込んだ唯一の家具と言っていい丸テーブルがあり、その上にはバターロールが入ったバケット、コーンとプチトマトが彩り良く飾られた生サラダが置かれている。

 テーブルの中央には鍋敷きが置いてあり、そこに乗るべき鍋はキッチンで火にかけられている。鍋の中身はクリームシチュー、煮込んでいるのはヴァイだ。

 昨晩と同じ学生服の上にエプロンをしている。髪は邪魔になるのか編んでおり、露わになった白い首筋は風呂上りのためか僅かに赤みを帯びていた。

 ヴァイは鍋に向かっているため、リンからはその背中を窺うことしかできない。ただリンはその背中を視ることもできず、思考の渦に呑まれていた。


(どうしてここに? 秋香のことか? それとも私の様子を? というか視られた、あの部屋を……しかも片付けられた。服とかも散乱していたのに、うっ……視られただろうか? だが待て、私も色々と視てしまったからこれでイーブン? いやいやいや、そういう問題ではないだろう。思い出すな思い出すな私の記憶を消えろぉ! ……鞄投げつけちゃったドウシヨウ)


 くるくると思考は踊る。終わりは視えず、心を落ち着かせる要素も見付からない。


「……中々に見応えがある状況です。ドライは説明を要求します」


 部屋の隅に置いてあったドールハウスから、首に包帯を巻いたソウルバディ、ドライが顔を出す。今まで眠っていたのか、汚れのない銀髪が少し乱れていた。

 それを気にしながら、ドライはテーブルの上に移動する。リンにとって救いの女神となるかは不明だ。


「リン様、どうされたのです? 歯医者に行く子供よりもお顔が真っ青ですが」

「放課後撮影会して帰って来たら部屋が綺麗に片づけられていてヴァイに下着を視られたかもしれなくてでも私もヴァイの裸視ちゃって鞄投げちゃってドウシヨウ」


 いまだ混乱中である。ほぼ初対面であるドライに泣きつく様はみっともない。


「説明が不足していて状況は掴めませんが、確かにマスターがゴミ処理施設も真っ青な足の踏み場もない前人未到のあの部屋を片付けました。ですが下着類の洗濯と収納はドライが行いました。さすがにマスターも抵抗があったようなので、ドライが立候補した次第です」

「そ、そうか良かった。片づけたのは君だったのか……安心した」


 ドライの正当ではあるが酷過ぎる部屋の評価と、ヴァイが下着を視ていないとは言っていないことにリンは気付いていない。

 敢えてそれを指摘する意味もないのでドライも言わない。


「ご挨拶が遅れました。ドライです。今後ともよろしくお願いします、リン様」


 リンが落ち着いたと判断したか、ドライは姿勢良く正座後、深々と頭を下げた。


「ああ、よろしく。だけど、リン様はちょっと固いな」


 今までされたことのない呼称にリンが困惑していると、ドライが顔を上げた。


「では、お姉様とお呼びします」

(様付けが固いんだが……)


 あまり断り続けるのも悪いと思い、また少しだけ妹ができたみたいで嬉しかったので、まぁいいかとリンは微笑んだ。

 だがそれはそれとして、ハッキリさせたい部分があった。


「ドライ、君はいったいヴァイの何なんだ?」


 いや、答えは出ている。ソウルバディだ。だがあり得ない。ヴァイにソウルバディはいない。だからこそ、リンはヴァイに恨まれているはずなのだ。


「従者です。にゃんにゃん口調からツンデレ風味、年上のお姉さんからロリババアまで完備し」

「ただのソウルバディだ。命令だ、黙れ」


 ゴトン。乱暴に鍋が鍋敷きに置かれ、リンとドライはビクリと肩を震わせ、口を閉じた。


「お前は黙らなくていい。いや待て、黙っていた方が話しやすいか。しばらく黙っていろ」


 リンの顔色が青色を通り越し、蒼白になる。肩はガクガクと震えだし、胃が痛みだす。


(何を言われるだろうか? いや、何を言われても仕方がないことをしてきたんだ)


 昨日の一件だけでも、リンを責めるには十分な理由となる。


「本当は口にするべきことではないだろう。お前のことなど、オレにとってはどうでもいいことだからな。しかしだ、これだけは言わせてもらう。百円均一のシャンプーを使うのはやめろ」


 拍子抜けである。思わずテーブルに突っ伏しそうになったのをリンは堪える。一気に思考が正常に戻り、そう言えば秋香にも同じことを言われたなと呑気に思い出す。


「シャンプーの種類についてはあれこれ言われたくないだろうが、百円均一だけはやめろ。それだけだ。冷蔵庫に杏仁豆腐とアイスだけしか入っていないことや、ゴミ袋の中身がほぼ菓子パンの袋だったことについてはオレの気のせいにする。というか、そうせんと眩暈がする」


 ヴァイが眉間を親指と人差し指で揉みほぐす。どうやら疲れているようだ。やはり昨晩の協力関係は大きな負担を強いているのかもしれない。


「本当は小一時間ほど私生活に付いて話し合いたいが、シチューが冷める」


 ヴァイが手にしたレ―ドルを鍋に差し込む。


「まずは食事だ。状況報告は食後にする」


 スープボウルを手渡され、リンはスプーンを手にする。その様子をヴァイはジッと視ていた。


(み、視られてる……やっぱりさっきのこと怒ってる!)


 再び震え出しながら、リンはスプーンでシチューをすくい、口に運んだ。

 一瞬、怯えで味がわからないかもしれないと心配したが、大丈夫だった。


「……美味しい」


 リンが言うと、ヴァイはバケットからバターロールを取り、手で千切って口に運んだ。


「お母さんの味を思い出した。シャンプーの話といい、まるでヴァイはお母さんみたいだ」


 リンは感じたことをそのまま言う。瞬間、ヴァイが睨みつけてきた。リンはビクンと震える。


「す……すまない、今の言葉は忘れてくれ」


 つい懐かしくなって馴れ馴れしく話しかけてしまったが、今はもう昔とは違う。昔と同じ距離感で話すことは、もうできないのだ。

 そうしてしまったのは他ならぬリンだ。

 そのことを思い返しながら、再びシチューを口に運ぶ。今度こそ、味はわからなかった。

 食事は和やかとは程遠い静けさで進み、しばらくして食後となった。


「学生証と共に届けられた寮の鍵がこの部屋の鍵だった」


 食器を片づけながら、ヴァイはリンの部屋に居た経緯を話し始めた。どうやら不法侵入ではなく、三心教高校におけるヴァイの部屋はここらしい。


「一応ここ……一人部屋のうえに女子寮なんだが」


 男子禁制である。見付かっても厳重注意で済むが、女子学生に処刑されるのが慣わしだ。


「ですが、マスターは外見上ほぼ女性なので、問題はないかと」

「確かに、警備員の前を素通りできたからな。……ドライ、刺すぞ」


 言葉を途中で区切り、ヴァイが包丁片手に振り向く。ちょうど包丁を洗っていたようだ。


「失言でした、以後気をつけます」


 ドライは平然とした表情で謝罪したが、リンは心臓が止まるかと思った。


「寝床は別に用意した、あの女への伝言を伝えたら即刻出ていく。見付かっても親戚が遊びに来たというシナリオで誤魔化す。そのためのアリバイ工作は済ませた」


 シチューを作ったのも、部屋を片付けたのも、アリバイを作るために必要だったからだ。アリバイの部分を強調して、ヴァイは話を続ける。


「今日の接触は特例だ。本音を言えば……お前とは関わらずに任務をこなしたかった。だがあの女のせいでそうもいかなくなった。全く以って忌々しい」


 ヴァイの言葉は、無視された時よりもリンの心を深く抉った。

 任務でなければ顔も合わせたくない。そう言っているのと同義である。

 だがわかっていたはずだ。それほどまでに恨まれていると。

 ヴァイが直接的に恨み言を言わないのは、彼が軍属で兵士だからだ。私情と任務を別勘定で考えられることが前提の仕事をしているからだ。

 だから、この部屋に居る間の振る舞いは、リンに懐かしささえ感じさせた振る舞いは、その方が任務をこなす際に支障が出ないからそう振る舞っているに過ぎない。

 そこにヴァイ個人の感情は無い。そうでなければ、誰が眼を奪い、手足を奪い、心を奪い、戦う力さえも奪った者の前に姿を現せられるだろうか。平然とした表情で振る舞えるだろうか。

 ヴァイはただ、私情と任務を別離しているに過ぎない。


「もう会わないということは無理だろうが、これ以上の接触はお互いに支障が出る」


 リンは知っていたはずだ、自覚していたはずだ。なのに、なのに、苦しかった。


「お前はあの女の味方をすると言ったな。都合が良い。お前もあの女のようにオレを利用しろ」


 リンは選択していた。昨晩の段階で秋香の味方をすると、彼女を護ると決めていた。それは決してヴァイの味方ではない。立場が違う二人の人間の味方に同時になることなど、そんな自分勝手なことはできない。

 そんな甘い選択は現実が許さない。


「オレもお前に対しては、あの女と対するように接する。それをお互いの妥協点としよう」


 リンは秋香の味方をすると確かに言った。だが心の奥底では、その行動はヴァイの助けにもなるのではないかと考えていた。

 だが、それはリンの都合であって、ヴァイの都合ではない。ヴァイが秋香のことを邪魔だと思っているのなら、両方の助けになることなど、できるわけがない。


「いや、今更だな。妥協点もなにも、オレ達はもう違う場所に立っているんだ。三年前から道を別っている。お互いの立場に準じて行動すればいい」


 知っていたはずなのに、自覚していたはずなのに、理解できていなかった。こうして現実と直面するまで、決別の言葉を言われるまで、リンは自分に都合の良い解釈しかしていなかった。


「ああ……そうだな、その方がいい。その方が、お互いのためだろう」


 感情はおくびにも出さなかった。いや、出そうとしても出なかった。

 本当は嫌だと叫びたい。だが、これ以上ヴァイに迷惑をかけたくない気持ちが自制をかけた。なにより秋香やクラスメートの助けになることを撤回する気もなかった。


「伝言は一つ。顔を合わせるのは明後日の午前十一時、中央通路で待つ。それだけだ」

「わかった、伝えておく」


 リンが頷くと、ヴァイは早々に立ち上がり、ドールハウスを小脇に抱えて部屋を出て行く。

 リンは立ち上がることさえできなかった。今は視線を上げることさえ辛い。

 ヴァイが出て行ってなお、リンを気遣うようにドライはその場に留まっていた。


「ドライ……勝手な願いだが、ヴァイの眼に、手足に、そして力になってやってくれ」


 今、ヴァイの味方はリンではない、ドライだ。そうしたのもリンだ。


「拝命しました」


 ドライが一度、礼儀正しく頭を下げて退出する。

 部屋に残ったのはリン、一人だけだ。






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