第一章 取り引き
「こいつらの話で事情はわかった。お前達は爆破予告を出した人間を探しているんだな?」
白けた視線で拍手に応じながら、ヴァイは足元で気を失う二人を指差す。
「で、ここに不法侵入したところをこいつらと、あとは……草士朗に見られていた」
「うーん、そこで気を失う二人は部活の帰りにでも私達を見たんだろうけど……」
草士朗はどうだ? 彼は放課後の件の後、学生寮に帰っていたはずだ。
たまたま深夜に寮を出て、たまたまリンと秋香の姿を見付けて追ってきただなんて、いくらなんでも偶然が重なり過ぎではないだろうか? あまりにも都合が良過ぎる。
「その辺の経緯については心当たりがあるが……それ以上詮索するな。引き返せなくなる」
心当たり。草花についていたチップが関係しているのは間違いない。
「もう一つ気になること。爆破予告を出したのはそこの二人で間違いないだろうけど、二通目は違うっぽいんだよね。
この人達、他人を馬鹿にする言葉は平気で使うけど。自分を貶める言葉は言わない感じだし。二通目も自分達で出したなら『頭の悪いこと』とか『狂ってやがる』なんて言葉は使わない。けど、二通目の爆破予告が出されたこととその内容を知っていた。偶然知ったってわけじゃないだろうし、多分誰かから聞いたんじゃないかな?」
警告、そして脅しの意味合いもある強い口調だったが、秋香は動じずに話を続けた。
「その聞かせた人物とさ、爆破予告の二通目を出した人物、そして草士朗くんをここに呼び寄せて暴れさせた人物、この三人の関係性ってあると思う?」
「それ以上詮索するなとオレは言ったぞ」
サブマシンガンが秋香に向けられる。思わずリンは声を上げそうになったが、すんでのところで口を閉ざした。
ここで会話を遮った場合、ヴァイの仕事、そして秋香の目的を邪魔することになるからだ。お互いの立場と事情を知っているだけに、リンは黙ることしかできない。
(なにより、どちらに味方することさえも決めていなかった……)
それでは本当に会話の邪魔をするだけだ。ヴァイの登場で、リンの心は大きく揺れていた。
「その言い方、リンちゃんそっくりだよ。やっぱり似てるよね」
秋香は笑ったままだ。二人の距離は数メートルも開いていない。撃てば確実に当たる距離だ。
「爆破予告については詮索するな。忘れろ。これ以上は安全を保障できない。次は死ぬぞ」
「それぐらい大事になってるんだね。ありがとう、その言葉で退けなくなった」
仮に撃たれないとタカをくくっていようが、銃口を向けられれば誰でも慄く。
「忘れろ」
「忘れない」
秋香は笑顔を解かず。むしろ、一歩進んだ。退くどころか前進した。
「忘れろだって? 無理だよ、こっちにもこっちの事情がある。だから取り引きをしよう」
数メートルの距離が数歩の距離になった。心臓の真上に銃口が位置する距離。もしヴァイの手元が狂えば、もし銃が暴発すれば、間違いようもなく秋香は心臓を貫かれて死ぬ。
「私と手を組まない? 力になれるよ、きっと」
死を間近にしておいてなお、いや、死を間近にしているからこそ、今の秋香の言葉には覚悟を感じられる。人を動かすことにおいてもっとも必要な力強さと真実味が宿っている。
「お前の力など必要無い」
「それはどうかな? お互いの情報を交換すれば新しい道が拓けるかもよ? 私の知恵とあなたの武力があれば、案外アッサリ真相に辿りつけるかもよ? よく考えてみて、別に私が道半ばでくたばってもあなたに全く害は無いでしょう? どうせなら使い捨てるつもりで手を組むのもありだよね。使える物は何でも使わないと」
そこで秋香の瞳が真っ直ぐヴァイの瞳を捉える。僅かな動揺も逃さないように。
「それとも『私』がこの件に関わると駄目な事情でもあるのかな? それとも『私達』?」
私達と言ったためか、ヴァイがリンに視線を向ける。
「彼女を止めろ。これ以上は危険だということぐらい、わかっているはずだ」
リンは首を左右に振った。秋香の行動を視て、揺れていた心がようやく決まった。
「私は秋香を止めない。秋香と共に行く。クラスメートの疑いを晴らしたい、彼らには返しきれない恩があるんだ、いや、それ以前に友達なんだ。みんな、大切な友達なんだ」
決めた、決心した。それがリンの願いであり本心だ。
ヴァイは数秒、眼を閉じて考え込むように沈黙した後、苦々しい表情で銃を降ろした。
「……わかった、取り引き成立だ。こちらとしても情報が欲しい。後日、待ち合わせ場所を伝える。そこで情報の交換だ。ここはどこに耳があるかわからん」
辺りを見渡しながらヴァイが提案する。未だに警報装置の一つも鳴っていない。
「同感。私は秋香、ただの秋香でよろしく、男リンちゃん」
「ヴァイだ。最後に一つ聞かせろ、お前の目的はなんだ?」
「私達の目的は爆破予告を止めることだよん」
当然のように秋香は答える。それこそが二人の目的だと。
「……まぁいい、どうせここでは聞けん。今日はもう帰れ、後始末はやっておく」
出口を指差し、早々に立ち去るよう促される。
「ヴァイ、私ものこ」
「帰れとオレは言ったぞ。彼女を送り届けろ、これ以上手間をかけさせるな」
「……わかった」
言葉の途中で拒絶され、リンは肩を落としながら出口に向かう。
「素っ気ないねぇ、私が煽ったせいだけど。ごめんねリンちゃん」
秋香が隣に並び、小声で謝りながらリンの手を握る。
「いや、大丈夫だ。すまない、気を遣わせて……秋香?」
気付く。リンの手を握る秋香の力が強く、僅かに震えていることを。
「やっぱりびびっちゃった。銃向けられるのって結構怖いね、アレは慣れないだろうなぁ」
力無く秋香は笑う。表情が引き攣っているように視えるのは、気のせいではないだろう。
「帰ろう。大丈夫、ヴァイはちゃんと護ってくれる、私も秋香を護るから」
リンは穏やかな笑顔を浮かべるよう心がけながら、秋香の手を引いて歩きだした。
★
「マスター、よろしいのですか?」
ドライがリンと秋香が去っていった方向を見つめながら問う。
「問題ない。アレと一緒なら学園内で一番安全なはずだ」
「いえ、彼女達と共同作戦を取ることです。彼女……秋香様の言うように状況は良くも悪くも動くと思いますが、マスターにとっては重荷になる可能性が高いとドライは判断します」
ドライは心配そうな表情だ。ヴァイはなんだそんなことかと軽く返答する。
「背負うだけで済むなら軽いモノだ。問題は引き摺られるかどうかだが、まだ判断はできないな。どの道、情報収集は必要だ。本当の判断はそれからでもいい」
ドライが言うように不確定要素は多い。良い方向に転ぶか、悪い方向に転ぶかは予想もできない。わかっているのは良くも悪くも状況が動くということ。だが状況さえ動いてしまえば、良かろうが悪かろうが力づくで好転させてしまえばいい。
秋香の思惑通りに動く気は、ヴァイには全くなかった。
「了解しました。……マスター、そろそろ頃会いかと」
「わかっている。そろそろ姿を見せればどうだ?」
リンと秋香が資料館から離れた頃を見計らい、ヴァイは声を張った。
ヴァイを資料館に連れて来てからずっと隠れていた人物を呼び付ける。
「舞台の出だしは好調と言った感じかな。お勤めご苦労さま、警備員くん」
暗闇の中から一人の男が姿を現した。三心教高校の校章が入ったスーツを着た黒髪の優男だ。吹けば倒れ、押せば折れそうな体系をしている。戦う人間には視えない。
到着時刻どころか、いつ向かうかさえ告げずにやってきたヴァイをまるで約束していたかのように出迎え、三心教高校の敷地内に通した後、戦闘の鎮静化を依頼してここまで道案内をしたのがこの男だった。名前は教えられていない。
「勝手な役割を与えないでもらおうか」
「そうです、そんな名前の無い端役以下の配置では不満です。主役を寄越しなさい」
「ドライ、命令だ、黙れ」
「残念だけど、ボク達は脚本家じゃなくてスポンサーだ。配置変更は別の人間の仕事だよ」
言葉通りに受け取るならば、先程の一連の騒動はこの男の仕業、ひいては三心教高校が直接関与したわけではない。ということになる。
もちろんそのまま受け取る訳がない。
「警報装置すら鳴らさなかったくせによく言う。お前達が色々と手を回しているんだろう?」
この男個人の行動ではなく、三心教高校全体が今回の件に噛んでいるとカマをかける。
「確かに舞台を用意したのはボク達だけど、それだけさ。何がどうなるかはキミ達任せだよ。どうなろうと、おもしろい見せモノになることは決まっているしね」
予想通りだが、最悪の答えだ。そもそもカマをかける必要はなかったかもしれない。もし独断ならば、簡単に姿は見せないだろう。つまり彼はメッセンジャーであり、代えが利くのだ。
男は伝える。三心教高校は場所を用意し、役者となる人間を揃え、何かをやらせ、見せモノとして視るのだと。
場所は三心教高校、役者はヴァイが追う犯罪者、そして秋香のような飛び入りの乱入者で間違いないだろう。彼らにいったい何をやらせるのか。
「舞台という表現は上品過ぎだな。これでは虫籠だ」
徹底された情報管理、警備員の役割を担う軍人、高みの見物を決め込むスポンサー。野放しになっているようでなっておらず、全てを視られており、最低限の保険がかけられている。
そこまでして三心教高校は何を求めるのか。できれば世界平和とか求めていてほしいとヴァイは思うが、まぁないだろう。
「演目が虫籠というのはちょっとねぇ。せめて蠱毒とかどうかな?」
不吉な単語だ。蠱毒とは壺の中に複数の生物を入れ、互いを食わせ、殺し合わせ、最後に残って物を呪いの媒介にするという呪術の一種だ。決して良い連想は思い浮かばない。
「知らん。言っておくが、オレ達の目的はあくまで逃走者の捕縛ないし殺害だ。生徒達の安全は二の次だからな。潰し合わせる大いに結構、逃走者が死ねばそれでよし、仮に生き残っても弱っているならやりやすい。お前達ほど高みではないが、オレも見物させてもらう」
これもヴァイはカマをかけた。三心教高校がどこまでやる気なのかを確認したかった。被害はどこまでを想定しているか、生徒が死ぬことも想定の内なのか。
「いいや、キミ達ウィズダムブレインは生徒を見殺しにしない。それではこちら側との接点が無くなってしまうからね。生徒達を生かすことは、そのままボク達との繋がりが生きていることを指す。なによりキミは、そんなことはしないはずだよ」
生徒達が死んだ場合、警備員としての役割を果たせないヴァイ、すなわちウィズダムブレインは無能ということで用済みになる。そうなってしまうと逃走者を捕えることができなくなる。それを避けるためには、生徒を護らなければならない。
つまるところ被害の規模が大きくなるかどうかはヴァイの頑張り次第ということだ。
「……まるでオレ個人を知っているような口ぶりだな。日本支部にオレ用の学生証を送りつけたことといい。気味が悪いな。お前達はどこまで知っているんだ?」
センカがヴァイを三心教高校に潜入させた理由は、実はもう一つある。
ウィズダムブレインの日本支部にヴァイ宛で三心教高校から学生証が届いたのだ。戸籍どころか公的機関に名前さえ登録されていないヴァイの個人情報が表記された状態で。
三心教高校の意図は不明だが、無駄な手続きを踏む必要がなくなり、周辺に潜む諜報員の眼を気にせず正面から堂々と校内に潜入できる運びとなった。
「キミを指名したのは偶然だと思ってくれて構わない。事故のようなモノだ」
「答えになってない」
「答える気が無いからね。ボク達は観客だ。自ら舞台には上がらない、手も出さない。
でも、キミは違う。彼女達に引き摺られて幕に上がってしまった。予定とは違うけど、予想通りであり、だけどやっぱり事故のようなモノだね。
だから僕がメッセンジャーを引き受けることになった。キミは警備員であり、同時に乱入者になったことを伝えよう。キミも彼女達と同様に好き勝手に動けばいい、ボク達はそれを見物させてもらうよ」
男が指をパチンと鳴らす。待ってましたと言わんばかりに、男の関係者と思われる複数の人間が現れ、草士朗と野球部の二人を担架に乗せて運び去っていく。資料館の警備員だろう。
「もしもの時の保険はかけていたようだな。彼らをどこに連れていく気だ?」
リンと秋香に後始末は任せろと言った手前、そのまま見過ごすことはできない。
「治療と処置の後、それぞれの部屋に戻ってもらうだけだよ。キミに任せるのも良いんだけど、適当に治療して、これまた適当にそこら辺に放置されたら困るからね」
実際その通りにしようとしていたので、ヴァイは反論せずに黙った。
「では役目が終わったので、ボクは帰ります」
「無駄かと思うが一応聞いておく、オレが追う人間はどこにいる?」
「存じません。これは嘘でもはぐらかしているわけでもなく。ボクは知りません。それでは」
芝居がかった動作でお辞儀した後、男は立ち去っていった。
その背中が視えなくなるまで睨みつけ、ヴァイは大きく一息吐いた。肉体的ではなく、精神的に疲れている。
「全く……潜入して二時間でこれか。ああ、ドライ、喋っていいぞ」
「先程の男、総合的に視て不愉快です。世の中金だと真顔で言うような人種だと判断します」
「前半だけ同意だ。それにしても秋香だったか、アレの言う通りになったな」
リンと秋香に関わった結果、状況は動いた。秋香の言うように二つの道が重なった結果、次の道が拓かれたというわけだ。それが偶然なのか、それとも思惑通りなのか。
「三心教高校もそうだが、あの女も探りを入れるか。ドライ、行くぞ」
「了解しました、マスター」
二人が闇夜に姿を眩ませ、その場には誰も居なくなった。