第一章 凍れ
ヴァイが盾を構えるのと同時に、草士朗が腕を振るった。
四十以上の根が雨のようにヴァイに向かって殺到するが、その全ての動きが止まった。
凍結され、動きを止められたのだ。
ドライと呼ばれたソウルバディの心能力は『対象の凍結』で間違いない。それも四十以上の根を瞬時に凍結させてしまう人知を超えたモノだ。
しかもただ凍結させている訳ではない。根に拘束、つまり密着されていたリン達に一切の被害を出さずに凍結してみせたのだ。真に恐ろしいのは対象のみを瞬間的に凍結させる精密性と速攻性と言える。
凍結された根には視線を向けず、ヴァイは後ろに向かって跳んだ。
直後、地面を割って根が飛び出してきた。
リンが拘束されているのを視て、地面からの強襲は予測済みのはずだ。
「ぐっ!」
予測できていたが、ヴァイは避け切れずに盾を根で叩かれ、壁際まで大きく弾き飛ばされた。
予測さえできていればリンは根をかわせていた。
それなら同じ体系のヴァイがかわせないはずがない。
だが、かわせなかった。二人の違いは手にしている武器の有無だ。
人を一人覆い隠せる盾であるため、見た目相応に重いようだ。また巨大であるため取り回しが悪い。
今の一撃、もし盾を持っていなければかわすことができていたはずだ。
空中で体勢を崩されたが、ヴァイはなんとか両足で着地する。
その間に追撃してきた根は凍結させ、動きを停止させていた。
しかし、軽い息切れを起こしている。
燃費が悪いのかもしれない。三度能力を使用しただけで軽い息切れが起こるのは問題だ。草士朗はこれだけ能力を使っておきながら、倒れるどころか息切れの気配さえない。
対象を問答無用で凍結させることを考えれば、つり合っていると言えなくもないが、継戦能力に乏しいと言える。
今の攻防を見てリンの頭に嫌な可能性が浮かぶ。
(まさか、慣れていないのか?)
言葉を選ばないなら、ドライを使い慣れていないと言える。
攻撃を避け切れなかったのは仕方ないが、消費と代償が大きいにも関わらず、三度も軽々と心能力を使用したのは問題だ。それはドライを使っての実戦に慣れていないことを示している。
後にリンは知ったが、ヴァイは昨晩ドライと出会い、今日実戦に挑むことになったという。慣れる慣れない以前に訓練どころか試す時間も無い、ぶっつけ本番の状態だった。
そんな状態に加え、秋香達の安全を確保しつつ、草士朗を止めなければならないのは厳しい縛り以外の何物でもない。
ドライの凍結能力で根を凍結させようとも、地下で新たに生え出てくる根までは凍結できないようだ。視界に納まった対象物しか凍結できないのかもしれない。
「キリがないな。それに持久戦はこちらが不利か」
『状況視認。提案します。また生えてくるのなら、生えないようにするのが良いかと』
透き通る少女の声が盾から響く。形が変わってもソウルバディの意識はそのままだ。意思のある武器として、また第三の眼として共に戦ってくれる。
「乗った」
ヴァイが応じて盾を振り上げる。その瞬間、床の表面が凍結する。
まるでアイススケート場のように広間の床が氷で覆われた。
しかし氷が砕けて新たな根が地中から飛び出す。
迫りくる根を凍結させ、呼吸を乱しながらヴァイは舌打ちする。
「ちっ、厚さが足りんか」
ここで精密性があだになる。精密に対象物を凍結させるがゆえに、床の表面に薄い氷を張ることしかできない。
回数を重ねれば氷の上に氷を張ることで層を作り、厚さを増すことができるだろうが、その頃にはヴァイは心能力の使用過多で力尽きているだろう。
「ヴァイ……」
不安を抑えきれず、思わず名を口にしてしまう。
そうして焦りや不安を抱いているのはリンだけだった。
恐怖で固まっている野球部二人を除き、ヴァイ、そして秋香は冷静だった。
「男リンちゃん、アレ使えない?」
盾を構えたまま、次撃のためにうごめく根を見つめるヴァイに、秋香が声をかけた。
時を同じく根が動きだす。鈍い切っ先がヴァイを穿つためにしなり、薙がれ、突き出される。
迫る根には眼を向けず、ヴァイは秋香の視線を追う。そして、正面に立つ草士朗に向かって走り出す。突然の行動に驚きながら、リンも秋香の視線を追う。
秋香の視線の先には、ヴァイと草士朗の間には、水が止められた噴水が在った。
正面から飛来する根、地面を割って突き出てくる根、その全てをヴァイは右へ左へ動いてかわし、かわしきれないモノは盾で受け流し、足を止めることなく噴水まで辿りつく。
そのまま止まることなく噴水のふちを足場に跳躍、盾を振りかぶる。
ヴァイの動作に合わせ、人を一人覆うことができる盾が、相応の質量を持ったが鈍器が、上段から振り下ろされる。
狙いは草士朗ではない。重い盾を背負ったままでは噴水を跨ぐことすらできないからだ。
したがって、盾が向かう先は噴水の中心部となる。
鈍い音が響き、女神の銅像が設置されていた噴水の表面部分が砕かれる。 砕いた衝撃で内部に走っているパイプも傷つけたか、半壊した噴水から水圧によって加速された大量の水が噴き出す。
ヴァイは追い打ちをかけるように、露出したパイプにサブマシンガンで銃撃を加えた。渇いた音が響く度に流れ出る水の量が増え、勢いも増していく。
ようやく追いついた根も噴き出す水に威力を減衰され、ヴァイが背負うように掲げた盾に弾かれる。
広間の入口は既に凍結されており、多少は外に流れ出るが、広間に水がたまっていく。
数分経たずに、高さ五センチほどまで水が溜まる。床に水が張った状態になった。ヴァイはそれを氷が張った状態にできる。
恐怖で拘束するために秋香達が吊り上げられたことが、ここで良い方向に作用した。現状、四人に水はかかっておらず、被害が出る心配はない。
「凍れ!」
ソウルバディの心能力が行使され、瞬間的に水が氷になる。床全体を根の攻撃では砕くことが難しい分厚い氷が張ることになり、僅かな時間だが新たな根が出てこれなくなる。既に地表に出てきている根も水を浴びていたために、凍結して動けなくなった。
これで草士朗は攻めと守りの手段を同時に失った。
驚嘆すべきはドライの凍結能力であり、即座に使いこなしたヴァイの即応力、そしてなにより冷静に策を練っていた秋香である。
(私は……なにもできなかった……)
リンは驚くより先に、胸の奥に痛みを覚えていた。鈍く重く、引くことを知らない痛みだ。
「オレのではないが、一発分返すぞ」
ヴァイが何もできなくなった草士朗に近づき、みぞおちに膝蹴りを入れる。
崩れ落ちる草士朗の背後に、ドライと同じ大きさの少年が現れる。緑を基調とした作業服、頭にはトンガリ帽子をかぶっている。草士朗のソウルバディだ。名前は草花。
「やはり」
左手で草花を掴み、忌々しげにヴァイが言う。小人のような草花のイメージにはそぐわない、機械のチップが首の後ろに取り取り付けられていた。
「潜伏先であることは間違いないか。……さて、どうやって降ろすか」
首のチップを取り、制服のポケットに入れながら、ヴァイがリン達を見上げる。
『根をサブマシンガンで撃ち砕くことをドライは提案します』
「落下死させる気か、却下……いや待てよ、落ちたのを受け止めれば良いか。許可だ」
★
「ヴァイ、どうしてここに?」
色々有りつつ全員を降ろした後、呼吸を整えるように深呼吸するヴァイにリンは近づく。
「知らなくていい、関係無いことだ」
「っ……そうか、すまない」
遠ざけるような言葉に、リンは痛みが走る胸元を抑え、崩れた表情を見せないように俯いた。
「男リンちゃん、助けてくれてありがとう。というわけで、私と取り引きしない?」
秋香がリンの肩に手を置き、ヴァイに向かってニコヤカに告げた。
「どういうわけでそうなるんだ?」
「そういうわけでこうなるんだよ。怪しまなくて大丈夫、全く全然悪い話じゃないからさ」
「古今東西、その言葉から始まる話が良かったことはない」
「マスター、情報収集は必要だとドライは愚考します。夏祭りにカラーヒヨコを珍種だと言って売りさばく露天商並に怪しいですが、聞くだけタダかと」
盾の状態から少女の姿に戻ったドライが提案する。
「一理ある。話を聞こう。用件だけ簡潔に話せよ。お前からはアレだ、詐欺師の臭いがする」
「リンちゃんも似たようなこと言ってたなー。三人揃って第一印象が酷いよん」
めそめそと泣く真似をする秋香、それが怪しいんだという表情をするヴァイとドライ。
「なにが害虫だ! ふざけんじゃねぇぞ!」
三人のやりとりを遮る声、怒声だ。振り向いてみれば、野球部の二人が気を失っている草士朗を蹴りつけていた。次々に叫ばれる声に顔をしかめた後、ヴァイが秋香に訊いた。
「アレは友達じゃないのか?」
「違うよ。ただの不法侵入者CとD。草士朗くんが危ないから、できれば止めて」
「AとBは君達か。おいお前ら、やめろ」
秋香の願いを聞き入れ、ヴァイは二人に向かって声をかけた。
「止めんなよ、正当防衛ってやつなんだからさ」
「こいつを捕まえに来たんだろ、そのお手伝いしてるだけさ」
聞く耳はあるが、内容は理解していないらしい。再び草士朗に蹴りが入れられる。
我慢できずにリンは身を乗り出そうとするが、秋香に肩を掴まれて止められる。
「それ以上はやめろとオレは言ったぞ」
ヴァイがサブマシンガンを二人に向けた。これには、さすがに二人も乱暴を止めた。
「なんだよ、不法侵入にソウルバディを使った殺人未遂、こいつはもう立派な犯罪者だろ」
「これぐらいして反省させねぇと落ちこぼれの頭には理解できねぇんだよ」
「不法侵入については全員同罪だがな。殺人未遂については知らんが、立証はさせんだろ?」
「はーい、全力で擁護しまーす。私達が暴漢に襲われているところを草士朗くんが助けてくれたストーリー展開で。ね、リンちゃん」
「え、あ、うん」
ヴァイに話を振られ、秋香が挙手しながら元気良くでっちあげ話を構築する。
「こいつ庇うのかよ。だったらもう一つ教えてやる。こいつ爆破予告送りつけたんだぜ」
「しかも二通、災いの卵だが何だか頭の悪いこと言って騒動起こしてるんだよ。狂ってやがる」
「卵……か。そうなのか?」
「さぁ、私は噂話しか知らないので。証拠は何処に?」
再びヴァイに話を振られ、秋香がわざとらしく周囲をキョロキョロと見渡す。
「ここに侵入したのが証拠だ。ここに何かが有るかもしれないって考えたんだろ」
「だから侵入したのは全員だろうが、話を聞かん奴らだな」
「それに、たかだか不法侵入しただけで爆破予告の犯人扱いはでっちあげ過ぎじゃないかな?」
そこまで言って、秋香は初めて野球部の二人を視た。
視る価値を見出したように。
「そっちより、私はどうして爆破予告が二通しか届いていないことと、その内容を知っているかが気になるよん。その情報、一応秘密になってるんだけどねぇ」
秋香は法子に話を聞いているので、爆破予告が届いた数とその内容を正確に知っている。しかし校内では爆破予告が来ているという曖昧な噂しか広がっていないにも関わらず、野球部の二人は爆破予告の数と、その内容を知っている。それはおかしい。
「もしかして爆破予告を送りつけたのはあなた達じゃないのかな? その罪を草士朗くんになすりつけようとしている。私のでっちあげ話よりはよっぽど筋が通ってるよねぇ」
秋香は憶測だけで言っている。今の言葉に確証は無い。言葉騙し、出まかせに過ぎない。
突けば崩れる穴だらけの物言いだ。鼻で笑えばそれで済む。しかし野球部の二人は黙った。
「……そ、そんなわけねぇだろ、言いがかりも大概にしろ!」
しばし空いた間が真実を物語っている。
「怪しいんだー。じゃあ、どうして爆破予告の数とかその内容を知っているのかなー?」
その答えは二つある。一つは秋香の言うように爆破予告を送った本人の場合、もう一つは秋香のように誰かから話を聞いた場合だ。
「い、いい加減黙らないと許さないぞ。そうか、お前もこいつと共犯なんだな」
「違いない。そこのお前、そいつも一緒に捕まえろよ! 早く!」
分が悪いと判断したか、二人は他人任せの強硬姿勢を取る。
「オレは警察じゃない。そもそも今の話を聞く限り、捕まる対象は全員だ」
ヴァイが正論を口にする。情報が少ない以上、ヴァイはあくまで中立だろう。
「お前も共犯か! それなら俺達が全員捕まえてやる!」
全員を捕まえ、口封じをする気だ。策も何もない強引な力押し、後先を全く考えていない。それぐらい追い詰められているとも言える。理性が振り切れている状態、危険だ。
「話が通じないな……。一応警告するが、これ以上騒ぎを起こすなら撃つぞ」
サブマシンガンをわざと構えなおし、ヴァイが脅す。
「そんなん効かねぇんだよ!」
そう言って二人は唐突に姿を消した。草士朗が捕えた直後のように、姿が視えなくなる。これもソウルバディの心能力だろう。
確かにこれでは撃てない。二人は視えなければ当てられないと思っているだろうが、理由は別だ。下手をすれば殺してしまうから撃てない。
「透明になる能力と言ったところか、陰湿だな」
銃を降ろし、ヴァイが面倒そうに挑発する。消えた相手に対して驚きは無い。
「ふざけんな! 負け惜しみ言ってんじゃ……ぐげぇ!」
一日で二回も同じことを言われたら誰でも言い返すだろうが、その言葉は途中で遮られた。
虚空から声が聞こえた瞬間、ヴァイが数歩走って跳躍、声がした場所に向かって跳び蹴りを放っていた。
虚空が歪み、顔面に蹴りを食らった状態で野球部の一人が姿を現す。
「む、当たったか? 姿を消しても喋ったら意味がないだろ」
吹っ飛んだ相手に向け、ヴァイは事も無げに告げる。
姿を消せる心能力を持った方が倒れたため、もう一人の姿も浮かび上がる。運が悪いことに、位置はヴァイの背後だ。
「よくもやりやがったな! だが! ここはオレ向きの距離なんだよ! 喰らえ!」
表情は恐怖で引き攣っているが、両手をヴァイに向けた。
それより早く。姿がだいたい浮かび上がった段階でヴァイは振り向きざまにサブマシンガンの銃床を顎下に突き出していた。
何かしようとしていたが、何もすることができず。顎を叩かれ、脳を揺さぶられたのかもう一人の野球部も仰向けに倒れる。
「すまん、いきなり後ろに現れたから反射で殴った。顎の骨折れてなければいいんだが……」
やはりと言うべきか、これが戦闘を経験したことがある人間とそうでない人間の差である。
「お見事、男リンちゃんの実力も垣間見えて秋香ちゃんは満足だよん」
戦闘というにはあまりに一方的な立ち会いに、秋香が渇いた拍手を送った。