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プロローグ

 少女はハンマーを手にしていた。

 ピコピコハンマーのような可愛らしいモノではなく、大工が工場や土木現場で使用する道具でもない。中世によく使用された戦鎚とも呼ばれるウォーハンマーである。片方が円筒型の金属で、もう片方はツルハシ状の刃で構成された、道具とは呼べない代物だ。

 人間に振り下ろせば、頭が割れるどころか、跡形もなく吹き飛ばすだろう。

 そんな物騒なモノを肩に担ぎ、少女――秋香あきかは教壇の上に仁王立ちしていた。

 童顔で小柄、笑顔が絶えない少女である。肩まで伸びたキャラメル色の髪を揺らし、まばゆい太陽を思わせるオレンジの瞳を輝かせ、斜め上を指差していた。

 秋香は教壇の上でクラスメートを鼓舞していた。いや、扇動していた。


「来週の学期末審査で鬱まっしぐらなみんなにグッドニュースだよ! なーんと、希望していたブツの交渉に成功したわ! 学期末審査後、結果次第で食堂の割引券一週間分のプレゼント、寮のパソコン回線の有線化、図書室へのファッション雑誌およびマンガとライトノベルの導入、黒魔術同好会と天変地異同好会の部活への格上げが行われます」


 クラスメートがそれぞれ望んだ報酬物を、秋香は声高らかにアピールしていく。

 秋香が通う三心教さんしんきょう高校には、特殊な報酬制度が存在している。形を問わずクラスが一丸となって功績を残した場合、その功績に応じて報酬が与えられるというモノだ。

 お互いを助け合い、またクラス同士で競争させることで、よりよい結果を得るために切磋琢磨させることが目的だが。生徒達側は頑張っただけご褒美が貰えるという認識で終わっていた。

 今回の場合は、期末に行われる審査の結果によって報酬が与えられる。


「そして、学期末審査で上位に入れた者には、死ぬほどめんどくさくてだるくてゴリラとフォークダンス

する悪夢を見るほど億劫な授業、奇幾何学の授業を免除だぁ!」


 教室中で拍手喝采が巻き起こる。それほどまでに奇幾何学の授業は嫌なようだ。

 肩に担いでいる武器については誰もなにも言わない。それが『当たり前』だからだ。


「まだまだあるよぉ! 女子生徒諸君には、学校から徒歩五分の場所にあるスイーツパラダイスの招待券! 男子生徒諸君にはリンちゃんの生着替え写真をプレゼントだぁ!」


 間を置かず秋香が取り出したのは、無料という字が輝く招待券、クラスの中で絶大な人気を誇る美少女の着替え中を激写した写真の二つだ。もちろん(?)盗撮である。


「しかーし! 残念な結果に終わった場合、待っているのは絶望だ! 教員側に情けは無い、おバカな成績を残しても、頑張ったからしょうがないとか甘い展開も一切無い。むしろ補習とか掃除とか課題とか、無慈悲な鉄槌が容赦なく自由時間を根こそぎ奪っていくでしょう。そうならないために、立ち上がれ同胞達よ! 遊び時間を守るために、休日をだらだら過ごすために、より良いスクールライフを勝ち取るために、赤点抹殺! 問題解答! 百点満点! 獅子奮迅の心構えで励むように! 以上、放課後のHRにおけるクラス委員長からのお知らせでした。境容先生、あとはよろし……いったい!」


 力の限りクラスメートを煽りまくった後、秋香は教壇を降り、教室の隅で様子を見ていた担任の境容法子きょうようほうこに後を任そうとしたが、出席簿で脳天を強打された。


「アホ、煽り過ぎた。動物園みたいになってるじゃないか、どうするんだ?」


 妙齢の女性だ。黒髪をリボンで結び、背中に流している。

 法子が指差す先では、眼の前にぶら下げられた報酬に釣られ、秋香の言葉によって煽られたクラスメート達がすっかりお祭り気分で騒いでいた。


「おお、なんか明日お祭りみたいな勢いですね」

「ですねじゃない。お前らー、秋香が言ったことは好成績を残した場合だからな。前回みたいにしょぼい成績を残した場合、罰ゲームするからそのつもりでいろ」


 前回の学期末審査において、秋香のクラスが総合的に叩きだした成績は眼を覆いたくなるようなモノだった。それはもう学校中の生徒から『どん底クラス』と渾名で呼ばれるほどだ。

 法子の宣言にお祭り気分だったのが一転、お通やムードで教室は静かになる。


「今週はしっかり勉強するように。以上、HR終了」


 場の空気を引き締め、退室する法子。

 法子が出ていった後、一人で黙々と教科書を読みふける者、友達と席を繋げてノートを見せ合う者、鉛筆を削って数字を書き込む者、サッカーしようぜ―と青春しに行く者、心に問い掛ける者等々、それぞれが思い思いの行動を始める。


「いやー、みんな張り切ってるねー。ところでリンちゃんはさっきから黙ってどうしたの?」


 秋香はクラスを見渡した後、教室の最前列に座る友人に問い掛けた。

 その友人こそが先程の非常に際どい写真に写っていた人物、リンだ。

 自身の盗撮写真公開で絶句しているが、端正な顔立ちからにじみ出る温かい優しさが包容力を感じさせ、水に濡れたような長い黒髪が落ち着いた雰囲気を醸し出す大人っぽい少女だ。

 秋香が周囲を明るくする太陽なら、リンは見る者を陶酔させる月と言える。


「そんなに隙だらけだと、そのけしからん乳もんじゃうぞー、ぐへへへー」

「……は! 待ってくれ秋香……さっきの写真はいつ撮ったんだ? それとさっきの演説か洗脳かわからないお知らせはなん……あぁッ!」


 秋香がFカップの豊満な胸を揉みしだくと、可愛らしい嬌声が上がった。

 性格と雰囲気、背丈やスタイルも対照的な二人だが、仲は良かった。


「お知らせはお知らせだよ。みんなやる気になったから良いじゃん」


 たっぷりと感触を堪能し、手をニギニギさせながら、秋香はリンの隣の席に座る。ハンマーは壁に立てかけられた。


「うぅ……。だが、アレだけ煽っても厳しくはないか?」


 金の瞳を潤ませ、両手で胸を覆うようにしてリンが言った。いくらモノで釣っても、前回赤点をギリギリで免れたクラスが、今回報酬制度が適応されるぐらい好成績を残すのは難しいと。


「うん、無理だろうね。過半数は『一時的』にやる気になってるけど、一週間やそこらで成績がぐーんと上がるわけないし、良くて平均点より少し下ぐらいじゃない?」


 アッサリと秋香は認める。報酬制度が適応される点数には届かないと。


「……それなら、どうして戦利品を用意したんだ? 好成績を残せないとわかっているのに、やる気にさせるだけさせて、お預けは可哀想だ」

「別に好成績を残さなくても、私が言ったことは全部行われるけどね」


 リンの非難に、秋香は周囲に人が居ないことを確認してから言い返す。


「え?」

「実は放課後のカフェテラスで人手が足りないって話を聞いて、バイトを探している学生に紹介したの。そしたらカフェテラスの店員さんに食堂の割引券を貰ったんだ」


 ネタばらしが行われる。報酬制度に関係無く、食堂の割引券は配れると。


「まさかパソコンの回線や、図書室の増書と部活の格上げの話も?」

「正解。先週から来た新任の先生が仕事の関係上、有線でパソコンを使いたいみたいで、その工事ついでに寮の方も工事してもらえないかと法子先生に話を通してもらったらなんかいけた。

 図書室の増書も、要望書をたっぷり偽造……こほん、名前だけ借りて用意して、図書委員に頼んで先生に交渉してもらったの。そしたら大きな賞を受賞してるとか制限がつくけど、マンガとライトノベルの許可は出たよ」

「……それはサクラより悪質じゃないのか?」


 リンが表情を引き攣らせた。法に触れないとはいえ、あまり感心できない手段だからだ。


「気にしない方向で。きつかったのはファッション誌だね。ファッション関係の勉強のためということでかなり強引に押し通したし。

 部活の方は、人数少なくて活動しているようで全くしていない部活を告発して潰して、その開いた枠に入る形で同好会から格上げの感じだよん」

「授業の免除はどうしたんだ?」

「授業免除は、次の学期末審査でメインとなる問題が奇幾何学の授業だから、学年で100位以内に入れるぐらい好成績を残せるなら別に免除でも良いよって話になったの。

 スイーツパラダイスの招待券に至っては、境容先生があそこの経営者と知り合いでね。今度商品の入れ替えをするから試食を手伝ってくれないかと相談されて、ならうちのクラスの女子を連れてこうって話になっただけ。だから、タダだけど食べた後にアンケートを書くことになるね」

「疑問がある。どうして秋香はそこまでしたんだ? それに、境容先生と二人揃って報酬制度だなんて嘘を?」


 クラス委員長とはいえ、秋香がどうしてそこまで根回しをしたのか。彼女の根回しに一枚噛んでいた法子が『報酬制度によって与えられるので、好成績を残せ』などと嘘をついたのか。リンが言うように、クラスメート達をやる気にさせるだけにしては手が込み過ぎている。


「根回ししたのは嘘がバレた時の保険かな。それで嘘をついた理由だけど、他言無用の約束をしてもらうことになる」


 根回しの事は、秋香はリンを友達だと信用しているから話したことだ。だが、これからの話は違う。信用しているだけでは足りない。約束が必要になる。


「わかった、約束する。誰にも言わない、ここだけの話だ」

「ありがと。じゃあ話すけど、実はさ……このクラス、疑われているんだ」


 リンが身を固くする。いきなり疑われていると言ったのだから当然だ。秋香は声を潜め、詳しく事情を話し始める。


「学校宛てに爆破予告の手紙が送られてきたって噂、知ってる?」


 少し前から校内で噂になっていることだ。内容は噂のため千差万別だが『学校宛てに爆破予告が届いた』という部分だけは共通している。


「知っているが、まさか噂じゃないのか」

「悪いことに噂じゃないの。学校宛てに差し出し人不明の手紙が二通届いたんだ。一通目は『学期末審査を中止させなければ、学校を爆発させる』ってやつ」


 秋香の話に、リンの表情が険しくなる。察しのいい彼女はもうわかってしまったようだ。


「まさか、その差し出し人がうちのクラスにいると思われているのか?」

「決めつけられてないけど、疑われてる。前回の学期末審査で特に酷かったのは私達のクラスだし、なによりこのクラスは『色んな問題児』を集中的に集めてるからさ。疑われてもしょうがないと私は思ってるよ。だからって、根拠も無しに疑われてることは許せないけどね」


 確たる証拠がないにも関わらず、風評だけで疑われるのは心外だと秋香は思う。リンも同じ気持ちらしく、同意するように頷いている。


「だから少しでもうちのクラスは学期末審査に対して、やる気あるぞーってことにするために、境容先生が一計を講じたわけ。容疑者は校内の生徒全員、有力候補は私達のクラス。話をすることで犯人が雲隠れしないように、境容先生も表立って私達を擁護することができない。だから私を通してこんな騙すような手段になったってこと」


 前向きに学期末審査に挑んでいる姿勢を見せれば、多少は疑いを晴らせるのではないか。そんな思惑の下で行われたのが、先程の秋香の扇動だ。


「事情はわかったが、どうして校内で解決しようとしているんだ? それに、容疑者が生徒だけなのも疑問だ。教員や部外者の可能性は考えていないのか?」


 リンの指摘はもっともだ。秋香は指をピンと立て、話を続ける。


「その理由が二通目。一通目が届いてから学校側が何のリアクションもしなかったせいか、こんな手紙が来たの。『何の応答もせず、学期末審査で前回のような辱めを与える場合、三心教高校に眠る卵を用いて前回通達した以上の災いを起こす』」


 卵とはそのままの意味ではないだろう、何らかの符号であることは間違いない。


「学期末審査で辱めを受けるとすれば、それは生徒だけという考えか。それも前回と絞った場合、私達のクラスが疑われるのは仕方ないかもしれない」


 筋道は通っているが、リンは納得していない表情だ。


「部外者を立ち入れさせない理由だけど、境容先生は詳しく教えてくれなかったんだ。これは私の推測になるけど。二通目の『校舎に眠る卵』は、脅しとか冗談じゃなくて本当にあるのかもしれない。だから学校側は部外者を立ち入れさせずに独自で解決したいのかも」


 卵の事を知っている人物を、誰にも知られる事なく闇に葬り去るつもりかもしれない。ゾッとするような考えが脳裏を過ぎったが、秋香は口に出さなかった。


「これからどうする気だ? 境容先生はクラスを扇動させることしか頼んでいないのだろう?」


 それも根本的な解決には一切繋がらない頼みだ。周囲の疑いが深まるのを遅延させるための時間稼ぎとも言える。もしも犯人が見付からなければ、秋香達のクラスはこの先ずっと脅迫状を送りつけた者が居るのではないかと、学校中から不審な眼差しを受けることになるだろう。


「うーん、できれば誰が犯人なのか突き止めたいかな。色々と気になることもあるし」


 秋香が法子の頼みを無償で引き受けた理由はそこにある。


「気になること? 犯人が誰であるか以外にも気になることがあるのか?」

「そ、色々とね。リンちゃんはどうする? 私が喋った内容を黙っていてくれるなら、それ以上は何も強要しないよ」


 笑ってはぐらかした後、秋香は同じ質問をリンにした。


「私も付き合う。みんなの疑いを晴らしたい、なにより秋香一人だと危ない」

「それは『私』が危ないのか、『周り』が危ないのか、どっちの意味なのかな?」

「私を引き込むために写真をばらまこうとしたり、裏事情を聞かせた人が何を言う……」


 秋香がニコヤカに聞くと、リンに冷やかに返された。


(あらま、ばれてーら)


 内心、舌をペロリと出しつつ、秋香は間違いを一つ正す。


「ちなみに写真は『ばらまこうとしたり』じゃなくて、事と次第では本気でばらまくけどね。男子のハートをキャッチする手段を、これ以外思いつかなかったのだよ」

「! ちょっと待ってくれ! 手伝うからばらまくのだけはやめてくれないか?」

「大丈夫、肝心な部分は視えてないし。みんなも使う時は人目の無い所で使うと思うし」

「視えてなくても駄目だ! というか、使うって何に!」


 しばらく言い争った後、リンのコスプレ写真(シークレット一種入り全六種)をばらまくということで話は纏まった。少し遅れて事態が悪化していることに気付き、リンが涙眼になる。


「ダイジョーブ、友達だからそこまでエグイ写真は撮らないよん」

「友達なら普通しないというか、友達じゃなかったらどんな写真を撮る気だったんだ?」


 秋香は陽気に、リンはブツブツと文句を言いながら行動を始めた。

 この時、秋香は様々な真実に向き合うことになるとは知らず。ただただ、ばらまくだけでなく写真を売りさばき、儲けることについてのリスクとリターンを天秤にかけるだけであった。




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