思い出の神殿
ある所に、小さな森が有りました。
その小さな森には、小さな神殿が一つ、ひっそりと建っていました。
かつては白かったであろう、所々剥がれ落ちた外壁に、あちこち欠けて、ヒビの入った柱。
すっかり人々に忘れ去られて、寂れた神殿。
でも、何か神秘的な、荘厳な雰囲気に満ちた神殿でした。
その神殿の入り口に、小さな少女が、身体に合わない大きな杖を持って、ちょこんと座っていました。
夕日色の長い髪を丁寧に三つ編みにして、赤いはんてんのような服に、白い半ズボンをはいた、可愛らしい少女でした。
ある日のこと、いつものように少女が入り口にちょこんと座っていると、小さな男の子が、トコトコ歩いて神殿にやって来ました。
茶色い、少しクセのある、フワフワとした髪の毛に、つぶらな黒い瞳の、可愛らしい男の子でした。
少女はぴょこんと立ち上がると、その男の子の元へ歩いて行きました。
こんにちは。そう少女が声をかけると、男の子は、少し不思議がりながらも、同じように、こんにちは、と言いました。
―― 此処は思い出の神殿です。何か思い出したい事がありますか?
少女がそう言うと、男の子は、
―― 思い出したい事?そんなの無いよ?
でも、少女は首を横に振ると、ニコッと笑いました。
―― ううん、絶対あるはずだよ。だって、そうじゃなきゃ、此処には来られない筈だもん。
少女がそう言うと、男の子はちょっぴり泣きそうな顔をして、
―― 解んないよ。何を忘れてるのか。何を思い出したいのか。
―― そっか。じゃあ、私と一緒にこの森を回ろう。そうしたらきっと思い出す筈だから。
少女はそう言って、優しく男の子の頭を撫でると、男の子の手を取り、神殿の奥の森へ歩きだしました。
森の中は、とても涼しくて、とても爽やかな空気が満ちていました。
木々の隙間からは、暖かい、太陽の光が差し込んでいました。
二人は手を繋いで、ゆっくり森の中を歩いて行きました。
暫く歩いていくと、急に男の子が立ち止まりました。
―― どうしたの?
少女がそう聞くと、男の子は少女の手を離して、ある木の根元に駆けていきました。
戻って来た男の子は、小さな金色の鈴を手に持っていました。
所々塗料が剥げて、黒くなっている、とても古そうな、それでも、どこか暖かい雰囲気がする鈴でした。
―― それは、何の鈴なの?
―― 解んない。でも、何かとても大事なもののような気がする。
―― そっか。
男の子は、その鈴を大事そうにポケットにしまうと、また少女と手を繋いで歩きだしました。
また暫く行くと、今度は少女が何かを見つけました。
―― ねぇ、あれは何だろう。
少女が指さした先には、小さなぬいぐるみが、木の枝に引っ掛かっていました。
男の子は一生懸命、木の枝に手を伸ばしますが、全然届きません。すると少女が、持っていた杖で、枝を揺すってくれました。
ぽとりと落ちてきたそれは、所々破けて、綿が飛び出た、薄汚れたクマのぬいぐるみでした。
目に使われているのも、左右不揃いのボタンでした。そのボタンも、割れていたりして、ボロボロでした。
―― それは、何のぬいぐるみなの?
―― これは…、大切なぬいぐるみのような気がする。でも、やっぱり、解んない。
―― そっか。
男の子は、ぬいぐるみを左手でしっかり抱き締めると、再び少女と一緒に歩きだしました。
また暫く行くと、今度は小さな家がありました。
赤い屋根に、白い壁、小さな窓が二つ。周りには綺麗なお花が沢山咲いていました。
二人はその家の玄関に歩いて行きました。
―― 入ってみようか。
そう言って、少女がドアノブに手をかけようとすると、男の子が止めました。
―― 駄目だよ。僕たちは鍵を持ってないから、入れないよ。
でも、少女はニコッと笑うと、
―― 大丈夫。鍵なら開いてるよ。
少女はそう言って、ドアノブに手をかけました。
かちゃり、と音がして、ゆっくりと扉が開きました。
中に入ると、甘いような、いい匂いがしました。
―― 此処は、誰の家かな?
―― 此処は…、此処は、僕の家。
―― そっか。
男の子は、玄関を上がって、家の中に入っていきました。
しっかりと、ぬいぐるみを抱えています。男の子が歩く度に、ポケットに入れた鈴が、りん、りん、と、綺麗な澄んだ音をたてました。
男の子がリビングに入っていくと、そこには髪の短い、切れ長の目をした男の人と、ポニーテールで、優しそうな目をした女の人が、ソファに座っていました。
二人とも、とても若そうでした。
そして、男の子の姿を見ると、二人は、ニッコリと笑って、男の子を呼びました。
―― 太郎、おいで。
男の子は、嬉しそうに駆け出しました。
りん、りん、と鈴が、綺麗ないい音をたてます。
ぬいぐるみも、しっかり“くわえて”いきました。
あんまり急ぎすぎたので、絨毯で滑って転びそうになりました。
二人は、そんな男の子の様子を見て、幸せそうに笑いました。
―― もう、太郎は元気だけど落ち着きが無いんだから。
―― よしよし、お気に入りのくまさんも持ってきたのか。お、また破けてるな。また今度ママに直してもらえ。
男の子は、ソファに飛び乗り、二人の間に寝転ぶと、嬉しそうに笑いました。
―― 思い出した?
男の子は、少女の方に走って戻って来ると、
―― うん!此処は、僕の大事なおうち!大事なパパとママ!
すると、男の子は金の鈴を指さして言いました。
―― この鈴は、初めてパパがくれたの!
男の子は、嬉しそうに、そして、楽しそうに言いました。
―― このくまさんは、ママが作ってくれたの!壊れてもすぐに直してくれるんだよ!
楽しそうに話す男の子を見て、少女はニッコリと笑って、男の子の頭を優しく撫でました。
―― そっか。大切な家族なんだね。もう、忘れちゃ駄目だよ?
―― うん!おねえちゃんありがとう!
そう言って、男の子は男の人と女の人の方を振り向き、でも、また少女の方を振り返りました。
―― ……ねぇ、僕はもう遠くに行かなきゃ行けないけど、もしも、また忘れちゃったら、どうしよう…。
少女はニコッと笑うと、
―― その時は、またおいで。いつでも待ってるよ。
―― うんっ!
男の子は再び、男の人と女の人の元へ、走っていきました。
―― 私はもう神殿に帰るね。
少女は男の子に手を振りました。
―― じゃあ、元気でね。
男の子は、元気な声で返事をしました。
―― わんっ
家を出た少女は、うーん、と伸びをすると、
―― 今日も良い思い出に出会えたなぁ。
と言って、幸せそうに笑いました。
少女が後ろを振り返ると、あの、男の子の記憶の、小さな家は、太陽の光と同じ色に輝き、ゆっくりと、まるで、木々の隙間から差し込む光が、だんだんと細くなっていくかのように、消えてなくなってしまいました。
少女は、ニッコリと微笑むと、身体に合わない、大きな杖をふりふり、楽しそうに神殿へ帰っていきました。
ある所に、小さな森が有りました。
その小さな森には、小さな神殿が、ひっそりと建っていました。
その神殿は、今ではすっかり人々に忘れ去られて、寂れています。
でも、かつてその神殿は、人々によって、こう、呼ばれていました。
“思い出の神殿”と。
貴方は、何か思い出したい事、忘れている事は、ありますか?
もしも、あるのであれば、いつか訪れることが出来るかもしれません。
きっと、小さな可愛らしい少女が、貴方を、忘れ去られた貴方の記憶へと、導く為に、入り口にちょこんと座って、待っていますよ。
そして、きっと思い出へと導いてくれるはずです。
―― 此処は、思い出の神殿です。何か思い出したい事はありますか?