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きれいに並んだコンテナの間を走る。工場内は薄暗く、位置の確認がしづらい。だが様々な形のコンテナが、進むべき場所への道しるべとなっている。どこに何があるのか。配置をしっかりと記憶していれば、現在のポイントを知るのは造作もない。色、ラベル、大きさなど細かな点を注視し、曲がりくねった通路をひたすら進む。
(中くらいのコンテナ、特徴的なラベル、端に赤く塗られた印がある。もうすぐだ)
目印のコンテナが見えてきた。あそこまでたどり着くことができれば、この一方的な状況を覆すことが出来る。相手はどう出てくるだろうか。
わき腹あたりに違和感を感じた。見ると、ジャケットの裾が弾丸に喰われていた。生地が破け、肌が露出している。ダメージはないようだが、このまま長引かせるわけにはいかない。こちらのスタミナが減り、Zoaとの距離も近づいてきていた。鉛弾が降り注ぐ間隔が短くなり、体にかするようにもなってきた。追いつかれれば、瞬く間に殺られる。
敗北が後ろから迫ってくる。プレッシャーとして重くのしかかる。まるで死神に肩をつかまれているかのように、冷たい何かが体を包み込んでいく。それを振り払うかのように駆けた。ここで膝をつくわけにはいかない。勝利が目前にまでせまっている。ならば全力疾走だ。
かすかな振動と物音がした。Zoaがコンテナから着地したのだ。これはまずい。目標からここまでは、あと10メートルほどある。障害物がない一直線だ。完全に無防備になる。反撃しようにも、見えない敵にはなす術はない。万事休すか。いや、まだ手はある。
腰にぶら下げていたハンドグレネード、手榴弾を握りこむ。安全ピンを引き抜き、一瞬おいてから真後ろに放り投げる。無骨な小さいパイナップルが宙を舞い、闇の中へと消えていく。これでいい。
数秒後、後方に爆発音が鳴り響いた。金属の果実が破裂し、衝撃をあたりに撒き散らす。爆風に煽られつつ、体勢をくずさないよう注意する。コンテナなどは崩せないが、まわりを囲まれた状況だ。隠れられるオブジェクトもないから、爆風によるダメージは免れない。振り返る余裕はないので、効果は確認できない。だが勝負が終わらないところをみると、まだ相手は死んでいないようだ。
問題はない。本来の目的は足止め、時間稼ぎだ。あれだけの爆風を浴びれば、こちらへの追撃は途絶える。それが狙いだった。
そしてそれは実を結ぶ。
(やったぞ。何とかたどり着いた)
最小限のダメージで目的地への到達を果たした。AngelAshと書かれたコンテナの正面へと回り込む。半開きになった扉を確認し、少し離れた別のコンテナに身を潜める。ここからが本当の勝負だ。一方的に攻撃された分、たっぷりとおもてなしをしてやろう。
バックパックから切り札を取り出す。電子顕微鏡のレンズのような筒がついたゴーグル。僕がかつて所属していたJ.T.Jを抜ける遠因となったシロモノだ。それを頭に装着し、脇にあるスイッチをオンにする。ふさがっていた視界に光が灯り、ゴーグルを通して見える景色が緑に染まる。
そっと耳を澄ます。音が聞こえる。規則正しく、静かな足音がかすかに響く。物陰から覗き込むと、そこには黄色に染まった人がいた。予想通りだ。思わず笑みが浮かぶ。
(やはりな。完全に消えられるわけがない。所詮はまやかしにすぎなかったのさ)
このゴーグルは複数のセンサーにより相手を察知することができる激レア装備だ。サーモセンサー、動体スキャナー、赤外線レーダーなど互いを補い合うように搭載されている。いかなる環境においても敵を察知し、捕捉することができる。視界が狭まることが欠点だが、確実に機能することが強みだ。これを通すことで、ターゲットが黄色の輪郭として現れる。
リスクを犯してでも手に入れた甲斐があった。
こうしてヤツの隠れ蓑を剥がすことが出来た。どういう原理で姿を消していたか、本当にステルス迷彩が存在しているかは分からない。事実なのは、この装備に死角は存在しない。それだけのことだ。
だが、これで終わりではない。Zoaを捕捉するだけなら、逃げている最中にもできたことだ。すでに成果は挙げたが、この魔法の眼鏡にはまだ使い道がある。
Zoaを観察する。輪郭しか分からないが、各所に角ばったものが見える。おそらくは全身をプロテクターで覆っているのだろう。あれなら素早い動きはとれまい。手に握られているのは、サプレッサー付きのサブマシンガンだ。あの形状からすると、ヴェクターあたりだろうか。独特の反動吸収システムを採用しているため、見た目がかなり奇抜だ。
これならやれそうだ。捕捉されることなく、先手をうって銃弾を浴びせる。鈍重な装甲ならば、咄嗟の反撃はしにくいはずだ。こちらの武器であるMp7ならば、強装弾10発程度で仕留められる。だがチャンスは一度きりだ。しくじりは許されない。
タイミングをはかる。黄色いゴーストがこちらに向かってくる。武器を構えてゆったりと、隙を見せずに索敵している。その機械的で感情を感じさせない動きは、美しさすら感じさせる。見惚れている場合ではない。気を引き締める。もう相手は半開きのコンテナ付近にまできていた。まだ駄目だ。ギリギリまでひきつける。
(もう少しだ。もう少し。よし、今だ)
Zoaがコンテナの前にでる直前、行動をおこす。二つ目の手榴弾のピンを抜く。爆発するギリギリまで握り締め、コンテナにむかって投擲した。突然飛んできた物体に相手が気づくがもう遅い。手榴弾は半開きの扉に吸い込まれ、盛大に爆発した。今回もダメージは期待していない。本当の目的は、廃工場のオブジェクトを利用することだ。
コンテナの扉から、大量の白い粉が噴出した。あたり一面を覆いつくし、闇を白く染め上げていく。僕とZoaもその中に飲み込まれる。これで相手の視界は完全にふさがった。
この魔法の粉は廃工場内にのみ存在する特殊なものだ。爆弾などで衝撃をくわえることによって、満載されたブツが撒き散らされる。その量はあたり一面を白く染め上げるほど多く、舞い上がった直後にプレイヤーの視界をシャットダウンする。羽ばたく天使が炎に焼かれ、真っ白な灰となっていく。
普通なら避けるべき状況だが、僕はこれを望んでいた。視界には相変わらず、ヤツの姿がうつっている。ゴ-グルは消えた相手を見つけただけではない。どのような状況でも相手を捕捉できる性能を持っている。大雪だろうが嵐だろうが関係ない。煙幕の中だって、どこに何があるのか見通すことができる。これで相手に気づかれることなく、攻撃できる状況ができ上がった。
手持ちの装備とオブジェクトによって戦況は変わった。Zoaにはこちらの姿が見えないが、僕は白い世界をわたり歩く手段を持っている。持つ者と持たざる者の差だ。これは覆しようがない。
今度はこちらのターンだ。一方的に攻撃を加えて勝利する。この距離ならばはずすことはまずない。ここにヤツの墓標をたててやる。
相手に狙いを定める。ゴーグルごしに映ったZoaは静かに佇んでいる。慌ててあたりを見渡すこともなければ、逃げたり伏せようともしない。こんな事など問題ではないかのように、その場を動いていなかった。
勝負を捨てたのか。それならそれで好都合だ。獲物に狙いがつけやすくなる。
だがはたしてそうなのだろうか? 相手はただ立っているだけだというのに、違和感が拭えない。むしろ、こちらが追い詰められているかのような錯覚に陥る。
何故そこまで平然としていられるのか? 確かにイノヴェーション内では、痛覚というものは存在しない。死ぬこともなく、ただ敗北という結果が残るだけだ。だがたとえ仮想空間といっても、銃弾が飛んでくると分かれば誰だって恐怖する。それは本来、人の命を奪うものだと認識しているからだ。
Zoaからはそういった感情が感じられない。恐怖も、怒りも、悲しみの色も見えない。透明な幽霊のように生気がなく、ただそこに存在しているだけだった。まるで人間ではない、別の何かを相手にしてるかのようだ。
もう終わらせよう。引き金をひけばケリはつく。僕が生き残り、他の無能とは違うことを証明する。僕はそのためにここにいるのだ。
照準をヤツの頭に合わせる。
(Nighty-night)
得物の引き金をひいた。フルオートで発射された弾丸が、一斉にZoaへと群がっていく。
勝った。
そう確信した。
僕の目の前から黄色い人影が消えた。左斜め上に何かがヌッと動いた。
銃弾は空を切り、はるか彼方へ飛んでいった。
(何っ!? バカな!?)
突然のことで対処が遅れた。左半身に何かが当たる。視線を向けると、左肩とわき腹が真っ赤に染まっていた。ダメージを食らったのだ。
何故相手の銃弾が当たった? どこから攻撃された? 考えることが多すぎる。それほどまでに度し難い、わけが分からない状態だ。今度は左手がぶち抜かれる。ダメージの蓄積によって、頭がふらついてくる。
気力を引き絞り、あたりを見渡す。正面、右、そして左と順に見渡す。光学処理された、緑に染まった廃工場が広がるのみだ。仰ぐように上を見る。照明がチカチカと点滅している。屋根の隙間から、わずかに光が差し込んでいる。それらは僕と、もうひとりの存在を照らしていた。
世界が白から黒へと戻っていく。積み重なったコンテナの二段目に、暗闇の中に鬼がいた。高さにして十数メートルの場所に張り付いていた。コンテナの端を右手でつかみ、左手のヴェクターで僕に狙いを定めている。
ようやく分かった。僕が相手にしているのは、イノヴェーションの常識外にいる化け物なのだ。ステルス迷彩など問題にならないほど規格外で、悪魔じみている。
ヤツは僕の銃撃を"見てから"避けた。視界がふさがった状態で、僕の動きを見極めた。魔法の粉など、はじめから存在しないかのようにやってのけた。
でなければ、なぜ攻撃の瞬間に僕のほうを向いていたのだろうか?
それだけではない。Zoaは瞬く間にコンテナの左上へと移動した。跳んだのだ。黄色い影が尾を引き、視界から消えていくのを認識していた。この目で見てしまった。これで、ヤツがコンテナから襲撃できた理由が分かった。バグでも何でもない。ジャンプして上に乗った。ただそれだけだ。おそろしく単純で、イカれてる。
何もかもがブッ飛んでいた。一介のプレイヤーでは真似できないマニュアル外の行動、反則じみた装備、全てを見極めて対応する能力を持っている。神か、それとも悪魔か?
Zoaは銃を向けたまま、行動を起こさない。物理的にも、精神的にも僕を高い位置から見下している。地べたのアリを観察するかのようにこちらに顔を向け、微動だにしない。
空のグラスに、ドス黒い何かが注ぎ込まれていった。