46Memory:0101-2
ナノマシンのアンプルと、パソコンを接続する。もうすぐだ。もうすぐ、奴に借りを返すことができる。二度とイノヴェーションに現れることがないよう、徹底的に叩きのめしてやる。
いざプログラムを立ち上げようとしたとき、BGMの音源にしていたテレビから、気になるニュースが聞こえてきた。
《次のニュースです。一昨日からトーキョーのハネダ空港を占拠していた謎の武装集団でしたが、先ほど花巻専属の傭兵が鎮圧に成功したとのことです。まだ未確認ですが、投入された戦力はたった一人であったとの情報もあり、ただいま情報の真偽を調査中です》
これはおそらく、あのテロのことだろう。他に例のない、驚天動地の大規模テロ事件だ。
一昨日の昼間、突如として武装集団がハネダ空港に押しかけ、あっという間に占拠してしまった。配置された警備員を全て射殺、セキュリティシステムも物理的に破壊した。鎮圧のために自衛隊が派遣されたが、それすらも返り討ちにしていたらしい。
当然、その間に空港の機能は完全に麻痺していた。何億人もの人間に影響が出た。輸送路が断たれたことにより、経済にも多少の損害が出ている。その影響の大きさから、一時は爆弾投下による焦土作戦まで検討されていた。
だがそれも長くは続かなかったようだ。いくらテロリストの腕がたつとしても、継戦能力がなければいずれ淘汰される運命にある。
テロ自体は、それほど珍しいことではない。世界が経済至上主義にシフトし始めてから、戦争はますます増えていった。中東でのテロ活動が活発化し、外国企業が建造していた石油プラントや、原発などが相次いで狙われるようになったのだ。全ては事業拡大を目論見、神聖な土地を踏み荒らす企業への報復だ。
これに乗じる形で、貧困層による武力行為も横行し始めた。国によっては、彼らを人間として見ていない場所がある。奴隷以下のゴミ扱いされれば、当然反発は大きくなる。ついには軍隊から武器を横領し、テロリストに横流ししたり、企業の施設に攻撃を加えるなどの行為に及ぶようになった。
この行いはあっという間に燃え広がり、企業そのものを標的としたテロが頻発するようになる。はじめはタカをくくっていた企業だったが、その損害は無視できないレベルにまで達していった。世界の持たざる者たちの憎悪は、何よりも深く、ドス黒い。それは中東ばかりでなく、欧州や米州をも飲み込むほど膨大だった。
全ては、今の格差社会が生み出した結果だ。誕生した瞬間に人生が決定する。貧困層はくつがえしようのない身分差に苦しめられ、奴隷として一生をすごす。働きアリのように使い潰される。欲望を糧に生きている人間には、つらすぎる所業だ。だから彼らは考えた。これを打開するためには、もはや武力行為しかあり得ないと。
いまや世界の五割近くが、紛争地域となっている。あちこちの施設が破壊されたり、虐殺、略奪、陵辱が行われている。欲望によって理性が潰された人間には、もはや罪を犯すという概念は存在しない。使命なき者には、もはや欲を満たすために生きるという選択肢しか残っていないのだ。
これらの蛮行に対し、企業もただ見ているだけというわけではない。奴隷階級の塵芥から利益を守るために、民間警備会社、またはPMCと呼ばれる集団を雇い入れた。テロリストの脅威から、要人の命、施設、物資などを守るためだ。
主に退役軍人や、傭兵で組織されたこの集団は、戦闘のプロフェッショナルだ。あらゆる戦いに精通し、ミッションを確実にこなしていく。金と引き換えに自らの命を差し出し、雇い主に代わって銃の引き金をひく。
企業の安全を保障する。これは一種のビジネスだ。彼らの職場は、いたるところに存在している。テロはいまや全世界に広がっていて、守る力を持たない企業ではそれに太刀打ちできない。金さえ払えば、武力が手に入る。PMCの需要はうなぎのぼりだ。莫大な金が動き、屍の上に財産が積み上げられていく。
今では、富裕層が自らの財を守るためだけに警備会社を立ち上げる。企業が独自の軍隊をつくり上げている。それほどまでに武力が求められる時代になった。
やろうと思えば、労力はそれほどかからない。指揮系統、装備などの確保は別として、捨て駒たる警備員は貧困層にいくらでもいる。はした金を握らせ、訓練を施して投入する。雇用は生まれるし、死んでも困らない。リスクよりリターンのほうがはるかに多い。
こうした戦力は、何も自分たちのためだけに投入するわけではない。他所へ派遣することで自社の障害の排除、安全の確保を行うこともある。今回の事件にもそれが当てはまる。国のチカラたる自衛隊にはまかせておけず、自分たちが雇った傭兵にカタをつけさせたのだ。
空港の占拠によって一番損害を被ったのは、他ならぬ花巻だ。勢力を拡大するために、世界のあちこちへ影響を及ぼしている。そのためには空路の活用が不可欠だ。人員を派遣するのにも、商品を輸送するのにも、飛行機で飛んでいくのが一番速い。情勢が絶え間なく変動している今だからこそ、スピーディーな対応が求められる。
他企業との交渉、絶え間の無い商品の納入、協力会社への人材の派遣、etc――。
その要となる空港が乗っ取られたのだ。空港は他にいくらでもあるが、ひとつ使えなくなっただけでも、かなりのロスが生まれる。時間は金には換算できない。失った時間だけ利益が消え、損害が増えていく。一般市民のように、通勤するのに使う電車が遅れるのとはワケが違う。小市民の失う時間と、企業の失うモノとでは比べようも無い差が存在するのだ。
だからこそ、花巻は独自の戦力を展開した。三日もたてば、損失はどんどん膨れ上がっていく。シビレを切らせて事件の収集に当たったのもうなずける。事実、花巻の傭兵は一日もたたないうちに空港を解放してしまった。国の管轄である案件にどうして花巻が割り込めたのか? 正確な理由は分からないが、花巻の影響力がすさまじいということだけは察した。
もしかしたら、僕以外の人間にもこう思わせるために、傭兵を投じたかもしれない。花巻に手を出すとどうなるか? 経済力だけでなく、絶大な武力を保持していることを知らしめる。テロリストだけでなく、他の企業に対する示威行為になる。そうすれば、余計ないさかいを生むことなく、利益を守ることができるようになるのではないか。
だとしたら、その目論見は成功したと言えるだろう。何しろ今回の空港占拠には、妙なところが多かったのだ。
まずテロリストの戦力だ。報道によると、テロリストは総勢32名。驚くべきことに、その全てが大学生だった。彼らはサバゲーサークルのメンバーだったらしく、素性は割れている。全員が貧困層ではなく、中間層あるいは富裕層の人間だ。とても社会に不満を持つような家庭ではなく、大学生活をエンジョイしていた。
彼らの武装は、ガスガンやエアガンではなく、本物の銃火器だった。AK-47を主武装とし、スコーピオンや重機関銃、さらにはRPGの存在まで確認されていた。どれも国内で手に入るようなものではなく、一世代古いものを使用している。
そして一番疑問は、彼らの戦闘力の高さにある。社会構造の変化によって警察が縮小した今、テロ事件の解決に当たるのは自衛隊だ。国の安全を守る彼らのチカラは、他国と比べても高い水準にある。そんな連中を相手に、大学生のテロリストは対等以上に渡り合った。戦いの全容は分からないが、事実として自衛隊側には数多くの負傷者が出ている。
彼らはどこで装備を手に入れ、訓練を受け、このような事件を引き起こしたのか? 真実はどうあれ、非常に危険な状況だったのは確かだ。この手のテロには珍しく、犯人側からの要求は何一つなかった。これから何をしようとしていたのか、まったく予想ができなかったのだ。
ずっと空港に立てこもっていたかもしれないし、飛行機を奪って9・11の悲劇を再び起こすつもりだったのかもしれない。いずれにせよ、それはこれからの調査で明らかになるだろう。犯人が生きていればの話だが。
この事件を迅速に解決できたのならば、世間から注目されるのは必然だ。花巻がどれほどのチカラを持っているか。大衆によく理解させることができただろう。
(それにしても、あの事件を一人で鎮圧するなんて。凄いというか、無謀というか。まるでイノヴェーションみたいだな)
僕の興味は、花巻の傭兵へと移った。自衛隊でも苦戦した相手をたった一人で打ち倒し、事件を解決した。一体どれほどのチカラを秘めているのか計り知れない。現実でこれほどの偉業を成し遂げるとは驚きだ。仮想世界ならば僕と同じくらい、いやそれ以上の実力を発揮しそうだ。
シチュエーションからしても、じゅうぶんイノヴェーションに適応できるだろう。複数人による施設の占拠。それをひとり、あるいは仲間を引き連れて奪還する。単純な能力だけでなく、戦術やとっさの判断力が求められる。現実でそれができるならば、仮想世界でも同じようにチカラを発揮するのは自明の理だ。
そういえばJ.T.Jを抜ける直前、リーダーたちと似たようなことをやっていたような気がする。あの時は確か、敵から空港を死守するミッションだったか。僕たちは防衛のプロフェッショナルだったが、花巻の傭兵が相手なら敗北していたかもしれない。
そんな彼、あるいは彼女がイノヴェーションに参戦してくれれば、Zoaを始末することができるかもしれない。どのような人間かは分からない。だが自分の心に、その人物に対する憧れのようなものが芽生えていた。僕が手放しに人を褒めるなどそうそうない。不思議な感覚だ。会った事もない人間に、心がときめいている。
花巻の傭兵のようになりたいと思った。不利な状況を乗り越え、確実にミッションをこなす強さを手に入れたい。この体を犠牲にしてもいい。イノヴェーションで英雄となり、自分の存在を認めさせる。それができるならば、名も知らぬ傭兵そのものになりたい。理性ではなく、精神そのものが僕自身に訴えかける。
パソコンの画面を見ると、起動した覚えのないプログラムが表示されていた。表示を見るに、僕が手に入れたナノマシン改造プログラムのようだが、どこかおかしい。画面が黒くなり、見た事もないエンブレムが表示される。火星人のような生き物が、丸い枠の中に佇んでいる。体が赤く、水色のラインのようなものが通っている。何本かある足の付け根に文字が見えた。
"PROJECT MARS"
プロジェクト・マーズ? 数秒表示されていたエンブレムが瞬く間に消え、今度は別のものが表示される。
"IAP/Imitate Antares Program"
(イミテート・アンタレス・プログラム? 何だそれは?)
ワケが分からなかった。突然おかしなモノが表示されたかと思えば、今度は意味不明な単語が羅列される。意味をそのまま捉えるならば、アンタレスを模倣するプログラムということか。だがアンタレスとは何だ? 確かそのような名前の星が存在したような気がするが、それが何だというんだ。僕が欲しいのはZoaを打倒するための力だけだ。
そんな僕の疑念は、次に表示された言葉によって消し飛ばされた。
今回は本プログラムを入手していただき、ありがとうございます。
このプログラムはナノマシンをアップグレードすることによって、ある人物の能力を再現できるようにするものです。
貴方様自身がその人物と同等の能力を手に入れ、仮想空間内で行使することができます。
その人物の名はアンタレス。世界で最強と謳われる傭兵です。彼の人間離れした運動能力、反応速度、銃の腕前、全てが貴方様のものとなります。詳しくは下記の項目をご確認ください。
貴方様が、イノヴェーションで強大な力を得ることをお約束いたします。
このプログラムは非公式ではありますが、イノヴェーション運営の機能を妨げるものではありません。よって本プログラムの使用による、イノヴェーションの規約違反にはなりません。
どうぞ、アンタレスのチカラをじゅうぶんにご堪能ください。その先に、何が待っているのか? 我々は、貴方様のご活躍を見守っております。
プロジェクト・マーズのエージェント一同より
信じられなかった。単なる電気信号の促進どころでは無い。このプログラムはイノヴェーション内でのアバターを強化するものだったのだ。運動能力向上、反応速度の上昇、二丁拳銃使用時のクリティカル率のアップなど、実に数十点以上もの項目がある。これが本当ならば、Zoaの打倒どころか、イノヴェーションの頂点にすら立つことができる。
本当にアンタレスなる傭兵が存在するのか? イノヴェーション運営に目をつけられないか? もうどうでも良かった。興奮すら覚える。何かに取り憑かれたかのように、プログラムを起動させ、ナノマシンの改造を開始した。
このプログラムは本物だという確信があった。脳や身体にどのような影響が及ぶかは分からない。だが絶対にこのプログラムを使い、Zoaを倒さなければならない。心の底から思った。
ここまで来たら、もうUターンすることはできない。前と進んでいくだけだ。その先に待っているモノがあるとすれば、それは勝利の栄光だろう。否、それ以外にはありえない。それを得ることが僕の使命であり、責務なのだから。
どこからか、アンタレス、という言葉が微かに聞こえた。