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サンサンと輝く太陽が高く昇ったころ、待ちわびたモノが家に届いた。玄関先で運送業者から荷物を受け取り、サインする。ドアを開けたとき、業者は一瞬顔をしかめたが、そんなことはどうだっていい。僕にとって重要なのは、目の前の荷物だけだ。不審に思われたとしても、何の支障もない。
パッケージを大事に抱え込み、自分の部屋へと戻る。積み重ねられたインスタント食品の山が崩れた。それを踏みつけつつ、荷物を机の上に置いた。
ネットのすみずみまで探し回り、ようやく手に入れることができた。サンタクロースという子供だましからのプレゼントとは比べ物にならない。そんなものよりもはるかに夢と希望があり、僕の未来を切り開くことのできるすばらしいシロモノだ。
箱を開けて梱包をとく。中に入っていたのは、ひとつのアンプルだ。長さ10センチほどの透明な容器に、黄色い液体が充填されている。太陽の光を反射して、キラキラと銀色に輝く。キレイだ。可愛がるように容器を撫で回す。この無数のキラキラこそが僕の最大の切り札、花巻製ナノマシン・BMA-A1だ。
これは本来、体が不自由な人間のために作成された。体内に取り込むことによって、脳の電気信号のやり取りを促進する。全身にいきわたったBMA-A1が中継点となり、信号を増幅させるのだ。これにより脳や脊髄などを損傷した人間でも、体を健常者のそれと同じように動かすことができる。わざわざ外科手術によって電極などを移植しなくとも、手軽に治療が行えるようになる。
アンプルについているコネクタをパソコンにつなぐ。それによって、ナノマシンに細かな設定を施す。複雑なものではなく、使用用途に合わせて多数の項目からセレクトするだけだ。アンプルの先端を肌に押し付け、注射針を展開してナノマシンを投与する。後はナノマシンが体内の状況を認識し、自動的に肉体と適合させて治療を始める。たったそれだけだ。
誰にでも簡単に扱えることができ、効果的な治療ができる確率が高い。副作用もない。さらに役目を終えれば自動的に分解、消滅するようになっている。誤作動によって人体を脅かすおそれもない。数ミリにも満たない銀色の粒に、それだけのテクノロジーが詰め込まれている。
この画期的な商品を生み出したのは、世界の頂点に君臨する花巻だ。医療を中心として急激に拡大した巨大企業であり、高い技術力をほこっている。それだけではない。僕が今いる家、食べている食品、使っている携帯端末、パソコン、着ている服すらも、花巻の系列会社によって作られたものだ。人間の生活基盤のほとんどが、ひとつの企業によって構成されている。
花巻のナノマシンも、今や全世界に広まっている。がん、うつ、用途は様々だ。肉体的なものだけではなく、精神的な病気をも克服することができる。これにより人間の死亡率はグッと低くなった。生きるうえでのリスクを軽減し、寿命を延ばすことに成功したのだ。
これだけ聞けば、ナノマシンがいかに優れたものかが分かるだろう。だが、事はそう単純ではない。使い方を誤れば、大きな危険を招くことになるからだ。能力を高めるために、肉体を改造しようとすれば、それだけ重い負担をかけることになる。最悪の場合、ホルモンバランスをくずして精神に異常をきたすおそれもある。
いくらナノマシンといえど、肉体の限界を超えられるようにはできていない。それが可能だとすれば、この世の中は人外の化け物で溢れかえることになる。だがモノは使いようだ。肉体が耐えうる程度の改造ならば、確実に効果が得られるということだ。特にイノヴェーションでは、Zoaに対抗しうる、絶対的な力を手に入れることができる。
仮想世界では、脳の電気信号によって自分を操作する。原理は現実と変わらない。つまり脳の電気信号のやり取りを促すことができれば、自分の動作もそれに比例して速くなる。イノヴェーションでは生身の体は使わない。それはプレイヤーの肉体に限界がないことに等しい。速くなれば、それだけ仮想空間にダイレクトに反映される。
そのようにナノマシンのプログラムを書き換えるツールも存在する。当然、非公式のものだ。運営はナノマシンの不正な使用を禁止しているし、まともなプレイヤーならまず使おうとはしない。リスクが計り知れないからだ。運営からどのような制裁があるか分からない。それに花巻に仇なすようなことがあれば、社会的に抹殺されるおそれもある。
だがトップランカーの中には、違法改造したナノマシンを使用している人間が存在する。
治療目的でナノマシンを使用している人間は、イノヴェーションのプレイヤーにも多い。彼らの体内では、数千もの小さな機械が休むことなく働いている。運営には、そのひとつひとつが悪用されているかを判別できない。花巻のナノマシンを調べる術を持っていないのだ。花巻がそのようなプレイヤーを罰したという話も聞かない。
誰がイカサマをしているのか分からないのであれば、それを利用しない手はない。
BMA-A1のプログラムを改造し、僕の反応速度を極限まで高める。
本来ならば、僕の手を汚すような真似はしたくない。だがZoaを倒すためには必要なことだ。人間離れしたヤツとの差を、少しでも埋めなければならない。
これもイノヴェーションの秩序を守るため、正義のためだ。僕の行為は罪でも、悪でもない。自分の欲望のためだけに利用する奴らとは違う。悪を裁くために、少しばかり闇に身を委ねるだけだ。Zoaを倒せば闇は祓われ、眩い光が僕を祝福してくれるに違いない。
問題なのは、そのナノマシンをどうやって入手するかだった。
花巻はナノマシンが不正使用されるのを懸念して、購入者の対象を厳しく制限していた。どのような病気を患っているのか? 体力や精神力はどれほどあるのか? 病院などの診断書をもとに、商品を売るに値する人間かどうかを見定めている。
値段が高い、ということもある。ナノマシンは最新鋭のテクノロジーの塊だ。生産に関しても、多額の予算が投じられている。よって価格は億のくらいにせまるほどで、軽々と購入できるようなモノではない。
だが物事には案外、抜け道というものが存在する。手元にあるBMA-A1がその証拠だ。健常者である僕では、コイツを花巻から購入することはできない。たとえ仮病を装ったとしても、簡単に見破られてしまうだろう。だから特別なルートを使用させてもらった。これも全て、いまの社会情勢だからこそ成せる術だ。
経済が著しく発展し、政治を凌駕した今の時代では、人間は三つの身分に分けられる。富裕層、中間層、そして貧困層。場所によって言い方は様々だが、その性質は変わらない。
富裕層はその名のとおり、金と権力を持つ存在だ。ビジネスを成功させ、うまく立ち回ることによって巨万の富を築いた。国の行く末を左右するほどの者も多く、それ故に様々な特権が与えられている。実質的な国の支配者であり、くつがえしようのないチカラで社会を牛耳る。大企業である花巻は、そんな富裕層たちの束ねるボスのような存在だ。
中間層はそんな富裕層に使われる人間たちだ。僕の家庭もここにカテゴライズされる。単純に言えば、上司の命令に従って仕事をし、それに基づいたサラリーをもらう存在だ。社内ではそれなりの地位をあたえられ、下の人間をこき使う。富裕層から見れば、どちらもたいして変わらない。権力もなく、稼げる金もそこまで多くない。所詮はおこぼれを頂戴しているにすぎないのだから。
だが生活は安定しているし、ある程度の金の余裕もある。この立場から成り上がる事は不可能だが、安寧が約束されているならば問題はない。人として自由に行動できる以上、じゅうぶん恵まれていると言えるだろう。
残りは一番下の立場の貧困層だ。高い税金、質の悪い社会保障、そして相次ぐ開発によって、生活が破綻した人間は数多い。財力がないため、起業する事も、親から独立することもままならない。スズメの涙ほどの給料は、全てが生活費として消えていく。金も権力も夢もなく、ただ奴隷のようにこき使われるだけの人生を歩む。
今では全人類の約80パーセント以上が、酸欠に陥った金魚のごとく、もがき苦しみながら息をしている。経済至上主義の荒波に飲まれた、哀れな犠牲者たちの成れの果てだ。
一昔前も似たようなことがあった。当時の首相の名をかけたエコノミクスが、国の経済界を風びしていた。景気回復、雇用の確保、生活の質の向上などを掲げたこの言葉は、国民たちの多くの希望と関心を集めた。所得が上がり、家庭に金が入るようになれば生活が豊かになる。誰もがそう思った。
だがそれは、首相の権力の維持と、富裕層の懐を満たすための口車にすぎなかった。社会保障の回復を名目にした増税は、所得税の廃止と法人税の引き下げを防ぐための詭弁だ。これにより貧富の差はますます拡大することになる。富裕層の負担が減る一方で、国民への負担はますます増大していった。それにもかかわらず、社会保障の質は改善されるどころか、さらに縮小した。
企業の儲けは確かに増えた。だが、国民の所得が上がることはなかった。企業が社員の生活よりも、更なる利益の確保を優先したためだ。外国市場に投資し、自社の製品を売りつけるために奔走した。その一方で、政府は外国企業のための経済特区を作り上げた。そこでは外国企業に対する税の引き下げや、規制の緩和など様々な特権が与えられた。
そうなれば国には多数の外国人が押し寄せることになる。結果として国民の雇用は奪われ、多くの失業者たちが路頭をさまよう羽目になった。
追い討ちをかけるように、ドル高政策によって物価が上昇した。ほとんどの生活必需品が影響を受け、国民の財産を吸い尽くしていく。外国から資源を輸入している中小企業は大打撃を被り、不況がたたって倒産するところが相次いだ。
こうして持たざるもの、力なきものは、黒い欲望によって焼かれていった。最後に立っていたのは、莫大な富を得た企業と、国民を供物として捧げた嘘つきだけだったというわけだ。
企業の成長は留まるところを知らない。爆発的に勢力を伸ばし、ついには国を食ってしまうところまできている。現在の政府は、企業という経済基盤を維持するだけの、舞台装置にすぎない。守るべき国民をいたぶり、搾取してきたツケが回ってきたというわけだ。
税が払えない貧困層は、国が用意した高層マンション(実質、労働者キャンプという掃き溜め)にまとめて放り込まれ、最低限の社会保障によって生きながらえている。わずかな賃金を得るために、一日に18時間以上働く。それでも生活が改善されることはなく、代えのきく存在として使い潰されていく。身も心も消耗していき、やがては人間としての機能を失っていくのだ。
そんな地獄のような生活の中で金を稼ぐとすれば、軍隊に入って命を差し出すしかない。生き残ることができれば、高い給金を元手に商売をはじめたり、経験を生かした傭兵稼業を営むことが可能となる。だが、これは若者のような体力のあるものにしかできないことだ。
それができないものは、正攻法以外の方法を使うしかない。自分の身を差し出すのだ。臓器売買などという古臭いものではない。人体のあらゆる部分がクローニング可能である以上、そんなものに意味はない。求められているのは、貧困層のわずかな特権である、ナノマシンの優先購入権だ。
これは貧困者における社会保障に組み込まれており、ローンを組むことで様々なナノマシンを安価で購入できる。主に疲労回復のものや、抗うつ作用のあるもの、BMA-A1のように不自由な体を補助するものが対象だ。販売元である花巻は数多くの使用データが取れるし、政府も安定した労働力と保障を与えることができる。
病気というデメリットがなくなれば、余計な出費がかさむことはなくなる。貧困層の人間は、ゾンビのように働くことができるわけだ。
これだけでは、普通に金を稼いでいるのと同じことだ。結局は税と生活費についやされ、手元に財は残らない。そこで特権を用いて購入したナノマシンを、高値で転売することを考えた。主なターゲットは中間層だ。
富裕層には金があり、貧困層には特権がある。だが中間層には、それらがない。高値のナノマシンを購入できるほどの余裕はないし、受けられる保障も質が悪い。実質的には貧困層に毛が生えた程度であり、富裕層とはかなりの開きがある。中間層の空洞化とはよく言ったものだ。
だからナノマシンを格安で購入できるとすれば、喜んでその話に飛びつくだろう。元々に値段が高いため、ゼロの桁が一つでも減れば購入が可能な圏内に入る。花巻は転売を禁止しているし、他人用のナノマシンは副作用を孕むおそれもある。
だが現在の法律ではそれを罰する手段はないし、無駄に性能が良いことが災いして、他人でもナノマシンが順応することが判明している。改造によるリスクはあるが、普通に使う分には問題ない。
少々イレギュラーな方法だったのは否定できない。だが僕は社会の仕組みを利用させてもらっただけだ。誰も損はしていない。むしろ利益につながっている。多額の金が貧困層の人間にわたったのだ。金ごときで心が満たされるのであれば、これほど幸せなことはないだろう。ささやかな幸せを願うばかりだ。
それでも、両親だけは納得してくれなかった。家の預金を勝手に使ったことが問題だったらしい。こればかりはどうしても必要だったのだから、仕方がない。それを分かってもらう努力はした。だがどんなに崇高な目的を説明しても、ただ僕を罵倒し、勝手なことを言うだけだった。僕の言うことが理解できない、情けない大人たちには心底呆れてしまった。
その両親も今では静かだ。どうなっているかは分からないが、これでZoaを倒すことに集中できるだろう。玄関のドアを開けたとき、消臭剤の量を増やしておいて正解だった。