七話 空っぽな家でのお泊り会
「何もない所で悪いけど」
そう前置きされて、案内された部屋は本当に何もなかった。申し訳程度に、ガラス製のテーブルが置かれており、後は端に数箱のダンボールが積みあがっている程度であり、人が暮らしていた形跡すらない。
雪夜としても、彼に見覚えは無かった事から、引っ越して来たばかりの人だろうと考えたが、予想よりも、ずっと直後だったようだ。
名前も知らない青年に聞きたい事は沢山ある。改めて御礼も言いたかったが、それは、帰って直ぐに台所に立ち料理を始めてしまった為に、おあずけになっている。仕方なく部屋を見回してみたが、見れる程の物もないので、暇を持て余し気味だ。
それでも、時間は進むのが救いで雪夜は、やや長い体感時間を過ごし、道久の料理が終わるのを待った。
「お待たせ。勝手に作っちゃったけど、お腹空いてる?無理に食べなくてもいいから」
「わぁ……」
自信無さそうに言う道久の言葉は雪夜にも聞こえていたが反応は出来なかった。自分の分もあるのかな?と期待する心と、もし無くても当然だと戒める心が戦っていた彼女の期待する心が大勝利を収めた瞬間だった。
ガラス製のテーブルの上に置かれた皿に盛り付けられているのは、彼女の得意な純和風な料理とは違い、洋風料理のオンパレードだった。雪夜にわかるのは、サラダに更に刻んだ野菜で作ったソースをかけた物や豚肉を粉を塗して焼いた物という単純な作り方で料理名までは知らない珍しい物ばかりで思わず感嘆の声が出てしまう。
「ご、ごめんなさい。余りにも美味しそうだったから」
「あはは。味もそれなりには自信あるんだ。日本の食材を使ったのは初めてだから不安だけど、ね。食べてみて素直な感想をくれるかな?」
この金髪の青年は、料理が好きなのだろう。そう考えると、もし美味しくなかった場合、美味しかったと嘘を言うのは逆に失礼な事だ。雪夜にかかるプレッシャーは一段と増し、恐る恐るフォークとナイフを使い口に運ぶが、その心配は杞憂で終わってくれた。
「わ、美味しいです」
「良かった。一階さんの口に合ったみたいで何よりだよ」
「あ、ごめんなさい!私、雪夜って言います。春から一階に住んでます」
「一階さん」そう呼ばれて、雪夜は自己紹介すらしていなかった事に気づき慌てて、頭を下げる。出会ってから、ずっと落ち着いていた雪夜の慌てた姿は道久から見たら妹を相手にしている様に微笑ましく、思わず小さく笑ってしまう。
「オレは、道久。黒上道久。よろしくね、雪夜」
「はい。よろしくお願いします、道久……さん?」
思わず敬称が疑問系になる。理由としては、みちひささん、と『さ』が二つ続く為に若干発音し辛かったからだ。
「言い難かったら呼び捨てでいいよ。元々、敬称は海外にはないしね」
「え、だ……すいません。よろしくお願いします、道久」
年上を呼び捨てにする訳にもいかず、大丈夫です。と言おうとして、その言葉を飲み込んだ理由は雪夜にもわからない。けど、なんとなく、そうしたいと思ったのだ。そして、そこで道久という名前、そのものに疑問を抱く。
「道久は、日本人なんですか?えっと、失礼な事聞いてたら、ごめんなさい。でも、その髪は……」
「オレはハーフさ。日本人の父と英国人の母のハーフでね。ずっと母元で暮らしてきて最近、日本に来たんだ。日本語は出来るけど、日本の事は余り知らないから困ったら助けてくれると嬉しいな」
「はい。私に出来る事であれば頼ってください」
雪夜は表面上は柔らかく笑うが、その鼓動は高鳴りっぱなりで混乱は増していく。一方、道久は作っておいた設定を自然に話せた上に、現地での一般的なわからない事に手を貸してくれそうな協力者を見つけた事を心強く思っていた。
何せ彼は異世界人だ。英国人の常識どころか、この世界の常識すら危うい。同じアパートの人と仲良くなれたのも嬉しい点であり、話しかけて良かったと心から思った。
「でも、意外です。イギリスの人なのに料理、上手なんですね」
団欒の中、雪夜の発した何気ない一言で空気がピシッと凍る音がした。いや、正確には、そんな音が聞こえた気がしたのは道久だけなのだが。
冷静に対応すれば、なんて事のない事態だが、道久にイギリスの知識など皆無だ。強いて言えば、西側の海岸の砂浜くらいは知っているが、それが何だと言うのか。
そんな道久にとって雪夜の一言はイギリス人=料理が下手というのは常識だと刷り込まれてしまった。
「いや、オレの料理はフレンチだし?イギリスって島国だから、島によっても特色が違うし、そもそもオレは半分日本人だから、料理はある程度出来て当然というか……」
ズタボロである。
聞きかじった知識を勘違いも交えて適当に話したせいで、雪夜の前で築いてきた「優しい近所のお兄さん」像が台無しだ。まぁ、本来、道久は能力的には優秀だが、何処か抜けてる所があり油断出来ないというのが機関の偉い人からの評価なので、こんなものだったりする。ちなみに、楽しい事優先の道化師は輪を掛けて油断出来ない。
ハッキリ言って使い難いのだ。彼は。
ただ、幸いな事に雪夜は、目の前の料理に手を付けるのに、心が弾んでいて道久の異常な反応に気づかず、止まった道久を見て「ん?」とお行儀悪く口に運んだフォークを咥えたまま首を傾げている。
そのあどけなさに、道久は気を抜かれ、冷静さを取り戻す。
「は、ははは。まぁ、イギリス人にも色々いるって事だよ、うん。それは、そうとお客様用の布団を出さなくちゃ。一部屋しか無いから不便だろうけど、我慢してね」
「いえ、大丈夫です。迷惑掛けてるのは、私ですから」
とは言って見たものの彼女は、謎の鼓動の高鳴りと、男性が直ぐ傍で寝てる緊張感から、中々眠れない夜を過ごしてしまった。