例えば物語の主人公が冒頭で死にかける事
例えば物語の主人公が冒頭で死にかけるというのは、結構ありがちな話ではないだろうか。
車に惹かれそうになった子供を助けてだったり、工事現場のクレーンから鉄柱が落ちてきたり、奇怪な怪物に襲われたりというように、話の掴みとしてはとても解りやすく受け取る側に衝撃を与える。
そして概ねその後、主人公は眠っていた能力に目覚めたり、神様などといった人智を超えた存在に何らかの力を与えられる、というのもまた王道だと思われる。
その点を加味して考えてみると、今まさに俺が死にかけているのは、これから何か物語が始まる兆しなのではないだろうか。
(……絶対ないな、行間で偉そうに語ってみたけれど、それはない)
俺が心の中で出した結論はそれであった。ちなみに無いと言い切る理由はちゃんとある。
先程語った王道についてだが、主人公が死にかける際のほとんどの場合は不可抗力である。
当然にして当然の如く、自分から死ぬような不安定な精神を持つ者を主人公に添える作品は王道とは言い難いし、そんなのが主人公の資質を持ち合わせているとは言えないのだ。
だから首釣り自殺をはかる俺の様な人間は、どう足掻いても主人公になれるはずは無い。
それをはっきりと自覚した後、俺は少なからず凹んだ。
死の淵にありながらも、人間は凹む事が出来るんだ。という新しい発見に心が打ち震える思いだったが、それが解った所で何一つとして得は無い事にまた凹む。
(ああ、今まで何をやってきたんだろう俺は)
『人は誰しも一度や二度は、主人公になる日が訪れる』というような自己啓発書を以前に呼んだ事がある。
それに書いてあったことは主にチャンスを逃すなという事であったが、俺にはそんなチャンスが目の前に来たことなど一度も無かった。
あるいはもしかすると、小学校の時に林間学校でカブトムシを捕まえた事が、そのチャンスであったのかもしれないが。そうだったのなら逆に、自分のあまりの早熟さに最悪な気分に陥ってしまうのでやはり無かったと言い張りたい。
(そうだ、俺はチャンスが無かったから今まで主人公になれなかったんだ)
うん、それでいい。
俺は今から死んで、この先絶対に主人公になる事はないだろうが、少なくともチャンスを逃したという事を後悔せずには済んだ。
ああ良かった、言い訳って素晴らしい。
これで主人公とか気にせずに、心穏やかに死ぬ事が出来る。
(しかし、意外に首吊りって死ぬまでに余裕があったんだな)
そんな事を思いながら、俺は空中を揺らめいていた。
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目覚まし代わりのケータイのアラーム音が鳴っていた。
俺はそれを手に取り、時間を確認する。いつも通りの起床時間であった。
(夢オチか、最悪だな)
夢オチは人類が生み出した最低最悪の所業だろう。万能である故、打ち切りなどといった、どうしてもすぐに物語を終わらせなければいけない理由がある時に使われる最終手段とも言える。
別にそれ自体をどうこう言う気は無い。ただ俺が何より憎らしいのは、ようやく目の前に転がってきた主人公になるチャンスがまさにそれで終わった事だ。
そして俺は今度こそ、その後悔を背負って生きていかねばならない。なんて残酷な話なのだろうか。カブトムシで後悔した方が良かったのではないだろうか。
「……まあでも、首吊って終わるよりかは大分マシか」
俺は会社に出社する為に家を出る。
せめて最初で最後の主人公としての姿を飾る為に、一度だけ晴やかに太陽を見上げて。