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短編作品③『完全リモートワーク制度』

掲載日:2026/09/08

『完全リモートワーク制度』


「来月から、我が社は完全リモートワークになります」


月曜日の朝、全社員にそんな通知が届いた。

営業部の佐藤が真っ先に声を上げる。


「マジで? もう会社行かなくていいの?」

「通勤時間、ゼロですよ」

「最高じゃん!」

社員たちは口々に喜んだ。

その中でも、特に喜んでいたのが田中だった。

三十五歳。

毎朝一時間以上かけて会社へ通い、帰宅する頃には疲れ果てている。

そんな生活から解放される。

しかも会社は言った。

「出社の必要は一切ありません」

「仕事はすべて、ご自宅から行ってください」

「社員の皆様の生活を、より豊かにするための制度です」

田中は心から思った。


――最高じゃないか。


これなら、ずっと続いてほしい。

そう思っていた。

あの規則を見るまでは。

制度開始から二週間。

会社から一通のメールが届いた。


件名は、

《完全リモートワーク制度・重要事項》

内容は短かった。


①勤務時間中は、自宅から外出しないこと。

②勤務時間外であっても、会社の許可なく自宅を離れないこと。

③やむを得ず外出する場合は、事前に申請すること。

④勤務中に第三者を自宅へ入れないこと。

⑤会社からの連絡には必ず応答すること。


田中は眉をひそめた。

「……外出禁止?」

会社に問い合わせると、

「セキュリティ上の措置です」

という回答だった。

「完全リモートワークですから。社員の皆様には、安心してご自宅で勤務していただきたいのです」

妙な規則だとは思った。

しかし、田中は従った。

何より、家から出なくても仕事はできる。

食料は宅配。

荷物も置き配。

友人とはオンラインで話せる。

会社にも行かない。

田中は次第に、その生活に慣れていった。

ある夜。

仕事を終えた田中は、妻と外食に行こうとした。

「久しぶりに外で食べない?」

妻が言った。

「いいな」

二人で玄関へ向かう。

田中がドアノブに手をかけた瞬間――

パソコンから警告音が鳴った。

ピピッ。

画面を見る。

《外出許可が確認できません》

田中は固まった。

「……何だこれ」

続いて、

《規約違反となる可能性があります》

と表示された。

妻が不安そうに言う。

「……会社、私たちのこと監視してるの?」

田中は答えられなかった。

その日から、田中は完全に家から出なくなった。

しかし、それでも会社からの監視は続いた。

何時に起きたか。

何時に食事をしたか。

いつトイレに行ったか。

誰と話したか。

何時間パソコンから離れたか。

すべて把握されていた。

ある日、田中がパソコンを開くと、上司からメッセージが届いた。

『田中さん、昨日22時14分に外出しましたよね?』

「……してない」

返信する。

『昨日は一日中、自宅にいました』

既読がつく。

しばらくして、動画が送られてきた。

再生する。


そこには――

玄関から外へ出ていく田中の姿が映っていた。


服装も同じ。

顔も同じ。

間違いなく田中だった。

しかし、田中にはその記憶がない。

「……俺じゃない」

妻が動画を見る。

そして、震えながら言った。

「ねえ……」

「何?」

「昨日の夜、あなた……一度帰ってきたよね?」

「帰ってない」

「でも、帰ってきたよ」

妻は青ざめていた。

「玄関から入ってきて、何も言わずに寝室へ行った」

田中の背中に冷たいものが走る。

「……それ、本当に俺だった?」

妻は答えなかった。


――その夜。

玄関から、

コンコン。

と音がした。

田中と妻は顔を見合わせた。

もう一度。

コンコン。

田中はインターホンの画面を見る。

誰もいない。

すると、パソコンが勝手に起動した。

会社からの通知だった。

《田中様》

《現在、玄関前にいる人物について確認してください》

田中の手が震える。

続いて表示された。

《その人物は、あなたではありません》

「……何なんだよ」

田中はパソコンの電源を抜いた。

スマートフォンも電源を切った。

妻の手を握る。

「逃げよう」

「でも、外出したら……」

「もう会社なんか知るか!」

二人は玄関を飛び出した。

久しぶりの外。

夜風が肌に当たる。

田中は走った。

マンションを出る。

道路を渡る。

そして――

そこで気づいた。

街に人がいない。

車も走っていない。

店も閉まっている。

まるで、この街そのものから人間が消えてしまったようだった。

妻が呟く。

「……変だよ」

その瞬間。

二人のスマートフォンが同時に鳴った。

電源を切ったはずなのに。

画面には同じ通知。

《完全リモートワーク制度・緊急連絡》

田中は開く。

そこには、

《勤務場所からの離脱を確認しました》

とある。

そして次の瞬間。

街中の建物の明かりが、一斉に点灯した。

田中が顔を上げる。

マンション。

コンビニ。

学校。

病院。

すべての建物の窓に、人影が立っている。

誰も動かない。

ただ、田中を見ている。

妻が叫んだ。

「……あれ!」

田中が振り返る。

そこにあったのは――

自分たちが住んでいたマンション。

しかし、その建物の一室だけが、異様なほど明るく照らされていた。

二人の部屋だ。

そして窓の向こうに――

田中が立っていた。

パソコンの前に座り、仕事をしている。

「……俺?」

田中は言葉を失う。

すると、部屋の中の「田中」がこちらを向いた。

そして、笑った。

その瞬間。

田中のスマートフォンに通知が届く。

《勤務継続を確認しました》

「……え?」

さらに表示される。

《あなたが勤務を継続しているため、問題ありません》

田中は混乱する。

「俺はここにいる!」

必死に画面を見せる。

しかし、その直後。

妻のスマートフォンにも通知が届いた。

妻が画面を見る。

そして――

絶望した顔になる。

「……田中」

「何?」

「私たち……もう、必要ないみたい」

「……え?」

妻がスマートフォンを見せる。

そこには、

《社員本人の在宅勤務を確認しました》

と表示されていた。

田中はマンションの窓を見る。

そこにいる「田中」は、今も仕事を続けている。

キーボードを打っている。

電話をしている。

オンライン会議にも参加している。

完全に「田中」として働いている。

上司からメッセージが届く。

《田中さん、本日も勤務ありがとうございます》

田中は震えながら返信する。

『俺はここにいる』

すぐに返事が来る。

《承知しています》

『だったら、あそこにいるのは誰だ?』

しばらく既読がつかない。


そして――

《あちらが田中さんです》


田中の呼吸が止まる。

その瞬間。

背後から声がした。

「田中さん」

振り返る。

会社の上司が立っていた。

「……どうしてここに?」

上司は笑っている。

「お迎えに来ました」

「俺は出社なんかしない」

「ええ」

「完全リモートワークなんだろ?」

「その通りです」

「だったら帰れよ!」

上司は首を傾げる。

「田中さんは、もう帰る必要がありません」

「……何?」

上司はマンションを指差した。

「仕事は、あちらで続けていますから」

田中は窓を見る。

「田中」が仕事をしている。

上司は続けた。

「完全リモートワーク制度とは、社員が自宅で働く制度ではありません」

田中の顔から血の気が引く。

「……じゃあ、何なんだよ」

上司は笑った。

「社員が会社へ来なくてもいいように、社員本人を自宅に置いておく制度です」

「……」

「仕事をするあなたが、家にいればいい」

田中は震えながら尋ねた。

「じゃあ……俺は?」

上司は一瞬だけ考える。

そして、事務的に答えた。

「あなたは、不要になった方です」

「……何?」

「会社は、あなたを必要としています」

「だったら!」

「ただし――」

上司が田中の肩に手を置く。

「あなた本人である必要はありません」

その瞬間。

マンションの窓にいる「田中」がこちらを見た。

そして、妻へ向かって笑った。

妻も――

その「田中」に向かって笑い返した。

「……あなた」

田中は絶叫した。

「違う!そいつは俺じゃない!」

妻は不思議そうな顔をする。

「何言ってるの?」

「俺だよ!」

「あなたなら、あそこにいるじゃない」

田中は愕然とした。

会社にとっても。

妻にとっても。

世界にとっても。

「田中」は、もうあの部屋にいる。

本物の田中がどこにいるかなど、誰も気にしない。

上司が最後に言った。

「安心してください」

「……」

「これからも、あなたの仕事は続きます」

「……俺は?」

「もちろん」

上司は微笑んだ。

「あなたの代わりが、ずっと働いてくれますから」

その瞬間。

田中のスマートフォンに、最後の通知が届いた。


《完全リモートワーク制度》

《本日をもちまして、あなたの出社は完全に不要となりました》


画面が暗くなる。


そして、その暗闇の中に一文だけ浮かび上がった。


《明日からも、あなたの「在宅勤務」をよろしくお願いします》


――翌朝。

田中の自宅では、いつものように「田中」がパソコンを開いていた。

「おはようございます」

上司が画面越しに笑う。

「おはようございます、田中さん」

「今日もよろしくお願いします」

カメラの前で、田中が笑う。

その笑顔は完璧だった。


そして画面の外。


誰もいないはずの部屋の隅から――

小さな声が聞こえた。


「……俺を、返して」


しかし、

パソコンのマイクは、その声を拾わなかった。


完全リモートワーク。


それは、

「会社に行かなくても働ける制度」ではない。


「会社が、あなたを必要としなくても仕事だけを続けさせる制度」だった。


・ネタバレ


もう一人の田中は、会社が「田中という社員」を維持するために用意した存在です。


本物の田中がいなくても、

仕事をする

会社からの指示に従う

家にいる

家族と生活する

という「田中の役割」を果たせる。


つまり会社にとって重要なのは、田中本人ではなく、「田中として機能する存在」だった。


――あなたがいなくても、あなたの変わりはいくらでもいるので仕事は続く皮肉の物語。

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