短編作品③『完全リモートワーク制度』
『完全リモートワーク制度』
「来月から、我が社は完全リモートワークになります」
月曜日の朝、全社員にそんな通知が届いた。
営業部の佐藤が真っ先に声を上げる。
「マジで? もう会社行かなくていいの?」
「通勤時間、ゼロですよ」
「最高じゃん!」
社員たちは口々に喜んだ。
その中でも、特に喜んでいたのが田中だった。
三十五歳。
毎朝一時間以上かけて会社へ通い、帰宅する頃には疲れ果てている。
そんな生活から解放される。
しかも会社は言った。
「出社の必要は一切ありません」
「仕事はすべて、ご自宅から行ってください」
「社員の皆様の生活を、より豊かにするための制度です」
田中は心から思った。
――最高じゃないか。
これなら、ずっと続いてほしい。
そう思っていた。
あの規則を見るまでは。
制度開始から二週間。
会社から一通のメールが届いた。
件名は、
《完全リモートワーク制度・重要事項》
内容は短かった。
①勤務時間中は、自宅から外出しないこと。
②勤務時間外であっても、会社の許可なく自宅を離れないこと。
③やむを得ず外出する場合は、事前に申請すること。
④勤務中に第三者を自宅へ入れないこと。
⑤会社からの連絡には必ず応答すること。
田中は眉をひそめた。
「……外出禁止?」
会社に問い合わせると、
「セキュリティ上の措置です」
という回答だった。
「完全リモートワークですから。社員の皆様には、安心してご自宅で勤務していただきたいのです」
妙な規則だとは思った。
しかし、田中は従った。
何より、家から出なくても仕事はできる。
食料は宅配。
荷物も置き配。
友人とはオンラインで話せる。
会社にも行かない。
田中は次第に、その生活に慣れていった。
ある夜。
仕事を終えた田中は、妻と外食に行こうとした。
「久しぶりに外で食べない?」
妻が言った。
「いいな」
二人で玄関へ向かう。
田中がドアノブに手をかけた瞬間――
パソコンから警告音が鳴った。
ピピッ。
画面を見る。
《外出許可が確認できません》
田中は固まった。
「……何だこれ」
続いて、
《規約違反となる可能性があります》
と表示された。
妻が不安そうに言う。
「……会社、私たちのこと監視してるの?」
田中は答えられなかった。
その日から、田中は完全に家から出なくなった。
しかし、それでも会社からの監視は続いた。
何時に起きたか。
何時に食事をしたか。
いつトイレに行ったか。
誰と話したか。
何時間パソコンから離れたか。
すべて把握されていた。
ある日、田中がパソコンを開くと、上司からメッセージが届いた。
『田中さん、昨日22時14分に外出しましたよね?』
「……してない」
返信する。
『昨日は一日中、自宅にいました』
既読がつく。
しばらくして、動画が送られてきた。
再生する。
そこには――
玄関から外へ出ていく田中の姿が映っていた。
服装も同じ。
顔も同じ。
間違いなく田中だった。
しかし、田中にはその記憶がない。
「……俺じゃない」
妻が動画を見る。
そして、震えながら言った。
「ねえ……」
「何?」
「昨日の夜、あなた……一度帰ってきたよね?」
「帰ってない」
「でも、帰ってきたよ」
妻は青ざめていた。
「玄関から入ってきて、何も言わずに寝室へ行った」
田中の背中に冷たいものが走る。
「……それ、本当に俺だった?」
妻は答えなかった。
――その夜。
玄関から、
コンコン。
と音がした。
田中と妻は顔を見合わせた。
もう一度。
コンコン。
田中はインターホンの画面を見る。
誰もいない。
すると、パソコンが勝手に起動した。
会社からの通知だった。
《田中様》
《現在、玄関前にいる人物について確認してください》
田中の手が震える。
続いて表示された。
《その人物は、あなたではありません》
「……何なんだよ」
田中はパソコンの電源を抜いた。
スマートフォンも電源を切った。
妻の手を握る。
「逃げよう」
「でも、外出したら……」
「もう会社なんか知るか!」
二人は玄関を飛び出した。
久しぶりの外。
夜風が肌に当たる。
田中は走った。
マンションを出る。
道路を渡る。
そして――
そこで気づいた。
街に人がいない。
車も走っていない。
店も閉まっている。
まるで、この街そのものから人間が消えてしまったようだった。
妻が呟く。
「……変だよ」
その瞬間。
二人のスマートフォンが同時に鳴った。
電源を切ったはずなのに。
画面には同じ通知。
《完全リモートワーク制度・緊急連絡》
田中は開く。
そこには、
《勤務場所からの離脱を確認しました》
とある。
そして次の瞬間。
街中の建物の明かりが、一斉に点灯した。
田中が顔を上げる。
マンション。
コンビニ。
学校。
病院。
すべての建物の窓に、人影が立っている。
誰も動かない。
ただ、田中を見ている。
妻が叫んだ。
「……あれ!」
田中が振り返る。
そこにあったのは――
自分たちが住んでいたマンション。
しかし、その建物の一室だけが、異様なほど明るく照らされていた。
二人の部屋だ。
そして窓の向こうに――
田中が立っていた。
パソコンの前に座り、仕事をしている。
「……俺?」
田中は言葉を失う。
すると、部屋の中の「田中」がこちらを向いた。
そして、笑った。
その瞬間。
田中のスマートフォンに通知が届く。
《勤務継続を確認しました》
「……え?」
さらに表示される。
《あなたが勤務を継続しているため、問題ありません》
田中は混乱する。
「俺はここにいる!」
必死に画面を見せる。
しかし、その直後。
妻のスマートフォンにも通知が届いた。
妻が画面を見る。
そして――
絶望した顔になる。
「……田中」
「何?」
「私たち……もう、必要ないみたい」
「……え?」
妻がスマートフォンを見せる。
そこには、
《社員本人の在宅勤務を確認しました》
と表示されていた。
田中はマンションの窓を見る。
そこにいる「田中」は、今も仕事を続けている。
キーボードを打っている。
電話をしている。
オンライン会議にも参加している。
完全に「田中」として働いている。
上司からメッセージが届く。
《田中さん、本日も勤務ありがとうございます》
田中は震えながら返信する。
『俺はここにいる』
すぐに返事が来る。
《承知しています》
『だったら、あそこにいるのは誰だ?』
しばらく既読がつかない。
そして――
《あちらが田中さんです》
田中の呼吸が止まる。
その瞬間。
背後から声がした。
「田中さん」
振り返る。
会社の上司が立っていた。
「……どうしてここに?」
上司は笑っている。
「お迎えに来ました」
「俺は出社なんかしない」
「ええ」
「完全リモートワークなんだろ?」
「その通りです」
「だったら帰れよ!」
上司は首を傾げる。
「田中さんは、もう帰る必要がありません」
「……何?」
上司はマンションを指差した。
「仕事は、あちらで続けていますから」
田中は窓を見る。
「田中」が仕事をしている。
上司は続けた。
「完全リモートワーク制度とは、社員が自宅で働く制度ではありません」
田中の顔から血の気が引く。
「……じゃあ、何なんだよ」
上司は笑った。
「社員が会社へ来なくてもいいように、社員本人を自宅に置いておく制度です」
「……」
「仕事をするあなたが、家にいればいい」
田中は震えながら尋ねた。
「じゃあ……俺は?」
上司は一瞬だけ考える。
そして、事務的に答えた。
「あなたは、不要になった方です」
「……何?」
「会社は、あなたを必要としています」
「だったら!」
「ただし――」
上司が田中の肩に手を置く。
「あなた本人である必要はありません」
その瞬間。
マンションの窓にいる「田中」がこちらを見た。
そして、妻へ向かって笑った。
妻も――
その「田中」に向かって笑い返した。
「……あなた」
田中は絶叫した。
「違う!そいつは俺じゃない!」
妻は不思議そうな顔をする。
「何言ってるの?」
「俺だよ!」
「あなたなら、あそこにいるじゃない」
田中は愕然とした。
会社にとっても。
妻にとっても。
世界にとっても。
「田中」は、もうあの部屋にいる。
本物の田中がどこにいるかなど、誰も気にしない。
上司が最後に言った。
「安心してください」
「……」
「これからも、あなたの仕事は続きます」
「……俺は?」
「もちろん」
上司は微笑んだ。
「あなたの代わりが、ずっと働いてくれますから」
その瞬間。
田中のスマートフォンに、最後の通知が届いた。
《完全リモートワーク制度》
《本日をもちまして、あなたの出社は完全に不要となりました》
画面が暗くなる。
そして、その暗闇の中に一文だけ浮かび上がった。
《明日からも、あなたの「在宅勤務」をよろしくお願いします》
――翌朝。
田中の自宅では、いつものように「田中」がパソコンを開いていた。
「おはようございます」
上司が画面越しに笑う。
「おはようございます、田中さん」
「今日もよろしくお願いします」
カメラの前で、田中が笑う。
その笑顔は完璧だった。
そして画面の外。
誰もいないはずの部屋の隅から――
小さな声が聞こえた。
「……俺を、返して」
しかし、
パソコンのマイクは、その声を拾わなかった。
完全リモートワーク。
それは、
「会社に行かなくても働ける制度」ではない。
「会社が、あなたを必要としなくても仕事だけを続けさせる制度」だった。
終
・ネタバレ
もう一人の田中は、会社が「田中という社員」を維持するために用意した存在です。
本物の田中がいなくても、
仕事をする
会社からの指示に従う
家にいる
家族と生活する
という「田中の役割」を果たせる。
つまり会社にとって重要なのは、田中本人ではなく、「田中として機能する存在」だった。
――あなたがいなくても、あなたの変わりはいくらでもいるので仕事は続く皮肉の物語。




