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07 ひとたび止まり木を得ること

 交易街メルカードを離れ、二時間ばかり、ゆるやかな丘陵を越えていく。


 旅人の足跡が重なってできた細道には、若草が柔らかに根付き、黄金色の日差しを一身に浴びている。草原は青空と競うようにどこまでも広がって、花は金平糖を散りばめたように咲いていた。

 遠くには小さな家がぽつぽつと、きのこめいて屋根を突き出し、そこでは僅かに牛や羊を従えて、牧童が口笛を吹く。


 スヤンが差した傘を傾げると、影が動くのに釣られてそれよりも黒い子犬がくしゃみをしながら飛び跳ねていった。名は、レイユンにした。雷雲という意味だ。とてもよく似ている、とスヤンは独りでに会心していた。


 話によれば、この道を行った先にベレタ村という小さな農村があって、南部に行くための吊り橋を管理しているらしい。

 二人と一匹は雲雀の囀りに耳を傾けながら、牧草地の中、ぽくぽくと坂を下っていった。


 日が傾き始めた頃、ようやく道の終わりが見えた。ベレタ村だ。

 それは思っていた以上に小さな集落だった。土地を仕切る胸の高さほどの石塀は、今に崩れそうなところを苔むして形を留めるばかりである。


 これでは宿を求めても、茂みを探して寝るのとそう変わらないかもしれない。スヤンとシャオは少し相談して、先の道を見てみることにした。


 道は村を突き当りにして丁字に分かれていた。

 西から来たのだから、南に行くのは右手の道であるだろう。

 そう思って歩き出すと、丁度、羊の群れを連れた牧人と行き会った。


「もし、渓谷の橋へはこちらで合っているか?」

「そうであるが……」


 衣装を着込んでいて顔はよく窺えないが、返ってきたのは存外若い声だった。

 毛皮の円筒帽子を被った牧人は、長い木杖で地面を突く。彼は重たげな黒い前髪の向こうからスヤンたちの恰好を眺めた。


「ふむ、君らは旅人であろうか?」


 そうだ、と答える。すると、彼は残念だという風に首を振った。


「間の悪い方だ。橋は封じた」

「壊れたのか?」

「丁度、竜の渡り月が始まってしまった。渓谷で雛が孵るから、春が終わるまでは誰も通ってはならないのだ」


 スヤンは困って黙り込む。少し間を置いて、確かめるように訊いた。


「通れない?」

「通れない」


 頷く牧人を前に、スヤンはシャオを見た。


「つまり……」

「通れない」


 シャオも鸚鵡(おうむ)のように繰り返す。

 羊に頭突かれながら、スヤンは少し空を仰いで呟いた。


「不便な道だ」

「十二年に一度だけのことであるからなあ」


 牧人はくすぐるような笑い声を立ててから、あなたたちはかえって運がよいとうそぶいた。それから彼が杖を振って鐘を鳴らすと、羊たちは自ずと群れを成して小屋の方へ帰って行った。


「今から街に引き返しても途中で日が暮れてしまう。よければ、これから旦那さまに竜の渡り月の始まりをお伝えしに行くから、そのとき今夜の宿をと口添えて差し上げよう」


 牧人は名をルセロと言い、村の代表の家に雇われている身だと明かした。

 彼の主人は、かつては遍歴騎士として名を挙げ、今は退いて村人の世話を焼く、面倒見のいい人物だという。


 スヤンは少し考えて、言葉に甘えてみることにした。

 名士の伝手ならそう悪い宿でもないだろうし、それ以上に、噂に聞く遍歴騎士を面影だけでも見てみたいという気持ちもあった。


「恩に着る」

「巡り合わせよ、何事も」


 ルセロはそう言って目を細めた。


***


 ルセロの案内でスヤンたちは村の代表──エピの家に着いた。

 代表の家といってもほかの民家とそう変わりなく、明るい橙色の石を積み上げた小ぢんまりとした建物だ。庭はよく手入れされて、鮮やかな花木が満ちていた。


 ルセロが主人を訪ねて戸を叩くと、すぐにエピ本人が現れた。

 十数年前は名うての遍歴騎士だったという彼は、今もまだ三十路を過ぎたくらいにしか見えない。澄んだ青い目と、後ろで結んだ栗色の長髪が、上品な顔立ちを柔らかに引き立てていた。


「ええ、いいですよ〜」


 エピは大した事情を聞くまでもなく快諾し、スヤンたちを自宅へ招き入れた。


「一先ず今夜はうちに泊まっていってください」

「ここに? しかし商館長は宿が安いと言っていたが……」


 戸惑うスヤンの疑問に対し、エピはきょとんとしてから、気の抜けた笑顔で答えた。


「ああ〜! 彼女、僕にはどれだけ面倒を押しつけても構わないと思ってるんですよ。実際、構わないんですけどね〜」

「今面倒って言いました?」


 シャオはレイユンの汚れた肉球を拭って抱き上げた。

 咳ばらいをしたエピは、客間に二人を通すと、マッチを擦って明かりをつけた。


「とにかく、この村に宿なんてものはありませんから、お気になさらず僕の家で休んでください」


 夕飯には、彼が直々に作ったという野菜のスープとパンをご馳走になった。具は大きくたっぷりと入っているのを見るに、この村は、初めの印象ほど貧しくはないようだ。レイユンにも新鮮な山羊の乳が温められて与えられた。


 共に晩餐を囲みながら、エピはメルカードの様子や商館長の調子を尋ね、スヤンとシャオは順番に答えた。

 ひとしきり世間話が済むと、今度は、二人がどこから来たのか、どこに行こうとしているのか知りたがった。

 とはいえその目の輝きを見るに、それは不快な探りではなく、ただ純粋な好奇心であろうことは明白だった。


 イザリアに辿り着く前のことはともかく、更に嘘を重ねる必要もないだろうと考え、以前、商人たちに話したようなことをそのまま答えると、エピも得心が行ったようだった。


「なるほど……それで渓谷を越えたかったのですね」

「春が終わるまでと聞いたが、具体的にどれほどかかるだろうか」

「そうですね〜、前回は確か、二か三ヶ月くらいだったと思います」


 そんなに、と熱々の芋を頬張りながらシャオが声を上げる。

 スヤンとしても、まさかそれほど長く足止めされることになるとは思わず、低く声を漏らした。それでは一度引き返してメルカードの商館で宿を融通してもらったとしても、途中で路銀が尽きてしまうだろう。


「迂回路はないのか」

「メルカードから西へ街道を行って、中央を回り込む道ならあります。しかし、それでもここで待ったほうがよろしいでしょうね。かなりの外回りなのでかかる時間は大して変わりませんし……今はどこも神経を尖らせていますから、流れ者は歓迎されないかと」


 蝋燭の火が微かに揺らめく。スヤンはグラスを片手にエピを見据えた。


「歪曲災害、というやつの所為か」

「はい。とはいえすべての歪みが人を害する訳ではありませんが……近頃は良くない話が多いので」

「この村の人たちは随分親切にしてくれましたが」


 シャオの言う通り、エピの家に着くまでに何人かの村人の姿を見たが、皆こちらに気がつくと明るく声をかけてくれた。見られていることに緊張こそすれ、嫌な感じはしなかった。

 すると、エピは立ち上がって一枚の写真立てを持ってきた。


「うちはまだまだ新しい村ですからね。みんな旅人と似たようなものです」


 そこに写っているのは、今よりもう少し若い彼と数人の若者たちだった。瓦礫の山の上で工具を抱え、微笑んではいるが、その眼差しにはどこか悲しみを湛えていた。


 彼が言うに今のベレタ村は、歪曲災害によって放棄された場所を再建したものだそうだ。

 もしかしたら、彼が早くに遍歴騎士を引退したというのも、この写真と無関係ではないのかもしれないとスヤンは思った。


 エピはそのまましばらく写真を眺めていたが、ふと思い立ったように顔を上げた。


「そうだ、もし、もうしばらくここにいるなら古い倉庫をお貸ししますよ」

「倉庫?」

「もとは羊や馬を入れていたみたいなんですが、ずっと使っていなくて。お手入れすれば人も住めると思います」


 それは村の隅にある石造りの小屋で、何かに使えそうではあったが、人手が足りず放置されているらしい。


「家賃は要りませんから、倉庫を片付けて周りに畑でも作ってみませんか? お二人はお金を節約できて、こっちは村が発展する。お互いに悪くない話だと思うんです」


 確かにどちらにも利のある話だ。美味すぎる、というほどでもないのが尚のことよい。

 とはいえ、建物の修理や畑仕事など、自分たちではとんとやったことがない訳で、それだけが気がかりだった。

 スヤンがそっとシャオの様子を窺うと、彼女は口を結んで静かに目を一際輝かせていた。


「……やってみたいか」

「やってみたいです!」


 スヤンは僅かに目を見開いた。

 これまで唯々諾々とついてきていたシャオだが、イザリアに来てからというもの、自分から食いつくことが増えた。

 戸惑わないと言えば嘘になるが、そういう小さなことの積み重ねから、彼女が普通の生き方を選べるようになるとしたら、それはきっと喜ばしいことなのだろう。


「分かった。少しの間、世話になる」


 スヤンは膝に手を付き、エピへ深々と頭を下げる。

 それを制して、エピは顔を上げるように指し示し、屈託のない笑みで右手を差し出した。


「改めまして、ベレタ村にようこそ! スヤンさん、シャオさん!」

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