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12 一方その頃、朝焼けと友

 ベレタ村の牝馬コラソンは気高い淑女(レディ)である。


 彼女の信条では、そのたてがみは毎朝丁寧に櫛で梳かれるべきで、その蹄は毎晩つややかに油を塗られるべきである。

 房の寝藁はたっぷりと、献上するなら人参を、そして何より、心からの敬意を払われなければならない。


 そういう意味では、彼女の新しい主人は悪くない。

 遠方から流れてきたようだが、扱い方に品がある。


 不満を挙げるとすれば、いつも顔色が悪くて、体格は貧相で、服も変だしおかしな曲がった剣を持っているから、自分に跨る騎士としてはまったく見栄えがしないことだろう。


 しかし、そんな騎士を育てて立派にしてやるのが気の利く淑女の務めというものだ。

 

 故にコラソンは、彼がベレタ村の二本足の群れに早く馴染めるように、あちこち連れ出してやることにした。

 何事も挨拶から始めよ、ということだ。


 朝早くに抜け出せば、彼も早起きしてコラソンを探しに行かなければならない。つまり彼が健康的な生活を送れるのだから、一石二鳥だ。


 そんな訳でコラソンは今日も裏口の鍵を外し、まだ星の残る空の下を歩き始めた。


 一度、騎士団に買われて分かったが、ベレタ村は小さい村だ。住民は数えられるほどしかおらず、建物の数はもっと少ない。


 それでも、あの埃っぽい城砦よりは、花咲く牧草地と苔むした石塀の続くこちらのほうがずっと奇麗だ。

 コラソンは上機嫌になりながら、石畳に蹄鉄を鳴らして楽しんでいた。


 今日はスヤンをどこに呼び出してあげよう。

 朝日のよく見えるところが、ロマンチックでいいかもしれない。


 コラソンは街道の反対側、森のほうへ歩いていった。


 森のほうには、森番の家と、丘の上に老婆が一人で住んでいる家があるはずだ。

 少し考えて、コラソンは老婆の家を目指すことにした。丘の上のほうが、きっと日差しがよく当たる。


 坂を登っていくと、樹皮で葺いた小さな家が見えてきた。


 そこでは、老いた白い犬が、朝露に濡れるのも構わずに、庭先のベンチの上に伏せている。

 揃えた両手の上に顎を乗せ、それでも視線はじっと道の向こうを見据えていた。


 コラソンはわざと蹄音を立てて歩み寄ると、鼻先を近づけて挨拶した。何とも勿体ないことに、彼女の言葉が分からないのは、二本足たちだけなのだ。


 ────四本足のお仲間ね


「私、チコだよー」


 犬は顔を上げてニコニコと答えた。舌を垂らして息を吐くのに合わせて、ふさふさの尾が左右に揺れている。

 コラソンは首を下げたまま、耳を傾けて尋ねた。


 ────そこで何をしているの?


「あのねー、ご主人様を待ってるのよー」


 ────あなたにも主人がいるのね!


「そうだよー。ご主人様はねー、いま、遠いところでお勉強してるんだって。出かける前に言ってたの」


 そう言うと、チコは寂しそうに鼻を鳴らして、再びベンチの座面に伏せた。


「いっぱい待ったよー。でもね、まだまだたくさん待てるよー」


 夏の日も冬の日も待っていた。

 いつ帰ってきてもいいように、ここでずっと待ってるいる。かつて、まだ幼かった彼にそうしていたように。


 チコはつぶらな瞳で朝日に消えゆく夜の星々を見上げ、それからゆっくり目を細めて笑った。


「早く、帰ってくるといいなー」


 コラソンはチコの言葉に頷くと、ベンチの横に座り込んで、自分もスヤンが迎えに来るのを待つことにした。


***


 数日後、夜中に少し雨が降ったのが気になって、コラソンはまたチコのもとを訪れた。


 朝焼けの中、乾き始めたベンチには、見知らぬ子どもが座っていた。


 十歳くらいのその子どもは、雪のように白く長い髪をゆるく二つに編み、丸い帽子が気になるようでしきりに触っている。

 身に纏っているのはフリルがたっぷりあしらわれた古風なドレスで、先の丸い可愛らしい靴を履いて、ぷらぷらと足を揺らして遊んでいた。


 コラソンは、二本足には自分の言葉が分からないことを忘れ、思わず鼻を震わせた。


 ────……どなた?


 ぱっと顔を向けた子どもは、ぱっと表情を明るくしてコラソンを呼んだ。


「私だよ、チコだよー」


 その声はすっかり二本足と同じものになっていたが、相変わらずコラソンの言葉も分かるようだった。

 コラソンは目を瞬かせて、その丸い頬に鼻先を寄せてみた。


 ────その姿、二本足たちにそっくりよ


「あのねー、私ずっとねー、ご主人様と同じくらい長生きしたくてねー、ご主人様と同じ言葉でおしゃべりしてみたかったのよー」


 そうしたら、家で留守番していなくてもいいかもしれない。遠くで頑張っている彼と一緒に、同じ景色を見て歩けるかもしれない。

 それは叶えたいとも思わないほどの、小さな、小さな願いだった。


「そう思ってたらねー、奇麗なお星さまが叶えてくれたのよー」


 ────お星さま?


「そう、お星さま」


 コラソンには意味がよく分からなかったが、チコはその表現に納得しているようだった。


「お星さまはね、みんなをずっと見てるんだってー」


 それは、コラソンと出会った次の夜のことだった。

 ある晩にやってきたその客人は、チコを見えないベールで包むように抱き締めた。気づくと、客人は消え、姿が変わっていたのだという。


「おばあちゃんに、チコだよって言ったらねー、よかったねえって言ってくれて、毎日毛を編んでくれるのよー」


 息子が去ってから消沈して暮らしていた老婆だが、今ではチコの世話をするのに夢中になって、随分しゃっきりしたらしい。


 犬の頃より心配されてしまうので、ずっと外で待っていることはできなくなってしまったが、こうして朝早くに起きて、ベンチで待っていることにしたらしい。


 新しい五本の指をじっと見てから、チコは堪らないという風に口元に丸めた両手を押し当てた。


「えへへ、ご主人様、びっくりしちゃうかなー。もっともっと、会いたくなったよー」


 そんな話をしていると、家の中にいないチコを探しに来たのか、老婆が表にやってきた。


「あらまあ、チコのお友だち」

「コラソンって言うんだよー」


 ────お邪魔しているわ


 チコの紹介に、コラソンは深々と頭を下げる。

 以前訪れたときも、彼女にはおやつをもらった。礼には礼を、大事なことだ。


「あの新しく来た兄妹の家の子よねえ。きっとすぐにお迎えに来るから、また林檎を食べて待っていましょうね」


 台所に戻ろうとする老婆の袖を引き、チコが尋ねる。


「ミルクもくれる?」

「ええ、温かいのをね」


***


「いつもすみません……」

「いいのよ、退屈しなくって助かるの」


 今日迎えに来たのはシャオだった。

 コラソンとしては残念だが、彼女のことも気に入っていない訳ではない。彼女もまた、素晴らしい騎士の素養があるからだ。


 是非、一緒にお茶をと請われ、シャオはコラソン、チコ、老婆と共に林檎の砂糖煮をいただく。

 ホットミルクに舌鼓を打つチコを横目に、シャオは軽い気持ちで老婆に尋ねた。


「お孫さんですか?」

「いいえ、うちの犬」


 口をぱくぱくさせて返事に困るシャオを見て、老婆はくすりと笑ったあと、事情を語って聞かせた。


「あれも歪曲災害、なのでしょう」


 生まれ持った形を歪められ、秘めた願いを剥き出しにされる。

 その現象は、いつどこで訪れるかも分からない、美しいのか、悍ましいのかさえ誰にも分からない。


「でも、チコは悪いことなんて何もしない。ただ、息子を待っているだけなのよ」


 協会は歪みの討伐を勧めているが、もしチコが襲われるのなら、身を挺して守るつもりだと老婆は言う。


 願うことが罪なものか。

 変わることが罪なものか。

 大切なのは、今、どうあるかではないか。


「歪みがみんな、あんな風ならよかったのに」


 老婆がぽつりと言ったその言葉は、シャオにはとても重く聞こえた。

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