11 赤蹄騎士団と出会うこと
赤蹄騎士団の拠点。
乾いた空気の中、行き交う騎士たちを避けるように、ベレタ村から帰った徴収人の男は足早になって歩いていた。
馬鹿な村人たちと高を括っていたが、今回ばかりは冷や汗が出た。
実のところ、保護費の値上げなど騎士団長は一切許していない。理由は格好悪いからだ。ただ、男に言わせれば、そんな強いだけの馬鹿には現実が見えていないのだ。
ここ一、二年で歪曲災害の発生件数は急増し、一件当たりの被害も大きくなっている。
より強大な領地──たとえば、居住に一定以上の戦闘技能を必要としたり、魔術協会の支援を受けられる立場であったり──ならば問題ないかもしれないが、赤蹄騎士団はそうではない。
ただ高めに保護費を取って、人と装備を揃えているだけだ。
常人では太刀打ちできない歪みが出てくればそれが年貢の納め時だ。
自分は、そんな見えた破滅に付き合うほど愚かではない。
男は徴収した保護費の一部を懐に入れ、転居の準備を進めていた。
今日手に入れたこの剣は、見た目は妙だが好事家に高く売れそうだ。悪くない額の小切手もある。それでもうこんな辺鄙な領地の雑用係でいる必要はなくなる。
緊張と興奮に高鳴る胸を押さえ、男は荷物を取りに廊下を歩いていた。その時だった。
「おー、それ重そうやね、どしたん」
視界を埋める、ワインレッドのツーピース。
黒いシャツは襟を寛げてあり、彼がここでは誰にも敬意を払う必要がないことを示す。
彼が腰に提げた両手剣は、既に幾つもの伝説を帯びている。
彼こそがこの赤蹄騎士団の長にして、支配者だ。
常に暗いサングラス越しに睥睨されるので、男は彼がどんな目の色をしているか知らなかった。
「ラ、ラディアンテス……様」
男が引き攣った声でその名を呼ぶと、彼はせやせやと機嫌よく頷く。
それでも通してくれないのは、男が抱える剣のことについてラディアンテスが知りたがっているからに他ならなかった。
「ベレタ村の徴収で……金が払えないからと出してきたんです」
帳簿が合わなくなっても構わない、このままやり過ごして今夜逃げてしまえばいい。
そう思った男は、正直に大事なことだけ避けて答えることにした。
「ベレタ村? エピのとこやんな、珍し。いっつも耳揃えて出しとるやろ。あ、三人目でも出来たん?」
「ハハ、いや、さあ……」
冗談なのかよく分からない問いかけに、男は顔を引き攣らせたまま曖昧に答えた。
すると短い金髪を乱暴に掻いて、ラディアンテスは溜息を吐く。
「お前、何かワシに言うことあるやろ」
「えっ?」
次の瞬間、男の目の前に迫ってきたのは高級靴の裏だった。鼻が潰れ、前歯が砕け、血反吐を溢しながら、男がその場にへたり込む。
「大事なことやで。お前が一番分かっとるはずや」
まさか、バレたのだろうか。いや、そんなはずはない。恐らくラディアンテスは横領に気づいたのではなく、自分の頭の傷を見たのだ。
這いつくばり、ラディアンテスの爪先しか見えない中、男は痛みを堪えて必死に顔を上げた。
「妙なっ、妙な新入りが!」
「新入り?」
「澄ました野郎と、気の短い女のガキです! おかしな恰好で……っ」
男の経験則では、ラディアンテスは安く見られることを何より嫌う。
部下が訳の分からない流れ者にやられたと知れば、自身の名誉をも傷つけられたと思うかもしれない。
そんな望みに賭けて告発したが、返ってきた言葉は男の希望を粉々に砕くものだった。
「ええ……? 違う違う」
ラディアンテスは本気で困惑したように声を上擦らせた。サングラスの奥、澱んだ瞳が軽蔑の気配をまとう。
ラディアンテスが顎で示すと、それまで控えていた彼の小柄な従者が男の懐を探り、小切手を見つける。
「まずは悪いことしてごめんなさい、やろ」
何故、という疑問を呈する時間は、男に与えられなかった。
重い衝撃が、何度も、何度も、男を襲う。
ラディアンテスは自分の両手剣を、まるで小枝のように振り下ろし、打ちつけた。鞘に入れたままではあったが、到底、それは優しさなどではない。
「ワシを舐めるなって、何べん教えたら覚えんの。ワシがやれ言うたらやる、やるな言うたらやらん、そんな簡単なことも出来やんのやね」
そんな失望をぶつけ終わる頃には、男はぴくりとも動かなくなっていた。本当に死んでしまったのかは分からなかったが、しかし、ラディアンテスはそれすら興味を失っているようだった。
「エミリオ、これ放かしといて」
「はい」
エミリオと呼ばれた、彼と同じ装いの──勿論、ネクタイをきつく締め、ボタン一つ外していないが──小柄な従者は、ほかの騎士たちを呼びつけ、男をどこかに片付けるよう指示を出す。
エミリオから小切手を受け取り、その署名を見たあと、ラディアンテスは先程までの不機嫌が嘘のようにまた明るい声で話し始めた。
「も〜、ほんまやめてほしいわ、勝手なことすんの」
「仰る通りです。以後、周知させます」
「ワシらは正義の味方やで? 信用第一でやらせてもろうてんのにな。なっ、エミリオ!」
「仰る通りです。すぐに馬を用意させます」
ラディアンテスが葉巻を取り出すと、エミリオは慣れた手つきで火を着ける。
二人は赤いスーツの裾を翻し、騎士の合間に消えていった。
***
保護費徴収の騒ぎのあと、スヤンとシャオは生活用品を買いに行って────またエピが困っていそうなところに通りがかった。
もてなし好きのエピにしては珍しく、客を招き入れることなく庭先で話し込んでいる。
スヤンは傘をもたげて、その客人を観察した。
両手剣が小さく見えるほどの体躯に、暗い赤色の衣装がよく映える。同じ装いの青年が控えているのを見るに、何らかの集団であることは確かだろう。
「ですから、スヤンさんたちも気にしないと仰っていますし……」
「呼んだか」
「あっ、スヤンさん、今は……」
塀越しに声をかけると、エピはいよいよ不味いという顔で振り返った。
「おー、この二人が足止め食ろうとる旅人さん?」
そう言って道まで出てきた男の顔を、スヤンはまじまじと見た。
四十路の手前くらいだろうか。目つきは悪く、軽薄な表情で、口先ほど人の良い人間ではないことはスヤンにも分かる。
「この人は……」
「こちらの方はラディアンテスさんと言いまして……赤蹄騎士団の団長さん、つまりメルカードやベレタ村の支配者に当たります」
「まあうちのシマは他所さんに比べたらかわいいもんやし、そんなには畏まらんでええで」
イザリアで最も強く、自由だという存在の一角が、わざわざ村を訪れ、自分たちに興味を持っている。嫌な予感しかしなかった。
シャオは慌ててスヤンを庇うように割って入り、ラディアンテスを見上げた。
「今朝の件でしたら私の失態で、兄上は……」
すると、ラディアンテスは目を丸くして、すぐさま手を振ってシャオの考えを否定した。
「あ、ちゃうちゃう、別に怒りに来た訳やないで。ワシも嫌いやねん、ああいうの。本人は今ちょっと謝りに来れやんから、ワシが代わりにな」
その横で、エピが苦々しげな表情をしながら、事の経緯について教えてくれた。
「どうやらずっと、あの徴収人さんが保護費を吊り上げて中抜きをしていたみたいなんです。今日はその件の報告と……今回の差額だけですが、あとで商館を通して返してもらえることになりました」
「なるほど」
丸く収まりそうでよかった、とスヤンは一人で合点していたが、しかし、エピの話には続きがあった。
「それで、その、ついでに、回収した剣の持ち主を知りたいと……」
「せやねん。あの剣、どっちの?」
回収した剣、とは徴収人にくれてやった明天のことだろう。返してくれるのかと思い、スヤンは素直に答えた。
「俺だ」
するとラディアンテスは、覗くように傘の端を指で持ち上げ、しげしげとスヤンを見下ろした。
「へえ〜、なんか思ってたんより……コンパクトやね」
「コン……?」
怪訝そうな顔をするスヤンに対し、ラディアンテスは構わず言葉を続ける。
「でも見たら分かるで。やりよるわ、兄ちゃん」
「…………」
その焦げ茶の瞳が輝いたのを見て、スヤンは一段と目つきを険しくする。
ラディアンテスは、大剣の柄をこつこつと指で弾いて鳴らしながら、スヤンを挑発するように傘をつつく。
「な、ワシと一戦やろうや」
「やらない」
スヤンは傘を畳み、踵を返して立ち去ろうとするが、ラディアンテスが回り込む。
「ほな、うちの騎士団に入るのはどや」
「入らない」
心底興味がなさそうなスヤンに対し、ラディアンテスはわざとらしく肩をいからせた。
「いけず! ならこっちの、筋が良さげな嬢ちゃんは……」
はらはらと成り行きを見守っていたシャオの肩に、ラディアンテスの掌が伸びる。
しかし、彼が最後まで言葉を吐くことはなく、下から顎を貫く衝撃に、手も声も遮られた。
「シャオが、何だ」
ふらつくラディアンテスの胸倉を掴んだまま、スヤンが地を這うように低い声で呟いた。その手にはいつの間にか傘が逆さに握られていて、柄で殴りつけたことは明白だった。
「何だ。答えろ」
もう一度構えるスヤンを、二組の腕が抑え込む。
「兄上!」
「スヤンさん!」
心配そうなシャオの表情に我に返るが、スヤンは自分でも、どうしてそんなことをしたのか理由が分からなかった。
幸いなことに相手が頑丈で死ななかったとはいえ、こればかりはいよいよ見逃されようもない。頭は冷えるばかりで、賢い逃げ道は思いつかなかった。
全部無駄にして今すぐ出ていく覚悟も決めたが、しかし、よろめきながら立ち上がるラディアンテスの顔には、喜びの感情ばかりが浮かんでいた。
「なんやねん、やっぱイケるクチやんか!」
一瞬持ってかれたわ、と額を撫でる。
切った唇の端を拭いながら、ラディアンテスは剣を抜こうとするエミリオを制止する。
「ああ、構へん構へん、手ぇ出すな。確かに女の子に気安く触ろうとしたのはあかんかったな」
渋々と引き下がるエミリオの背を叩き、ラディアンテスは頭を掻いて服を調えた。
「出直すわ。今日はその顔見れただけでも充分じゅーぶん」
それを聞き、安堵の溜息がエピの口から漏れ出した。
それから、ラディアンテスは大股になって帰りの馬のもとまで歩きながら、思い出したように振り返ると、びしりと指を差して叫んだ。
「ちなみに遊んでくれるまで剣は返さへんで!」
「……勝手にしろ」
面倒くさいやつに目をつけられた。
スヤンは何事もなかったことにほっとしつつも、心の中でそう思った。




