10 歓迎されぬ来客のあること
コラソンが来てからというもの、スヤンの日課には毎朝の捜索が追加された。
あの馬ときたら、明け方に鼻先で器用に馬栓棒を退けると、そのまま裏口の閂さえ開けて出ていくのだ。行先は毎回変わるので、スヤンは鼻の利くレイユンと共に彼女を追いかけて、村中に挨拶回りをすることになる。
三回目ともなると溜息を吐く気にもならない。
今日もスヤンが歩き回った結果、彼女は村の東にある老婆の家で、クッキーをご馳走になっているところを発見された。
何度抜け出しても他人の庭木や作物へは手を出さないのを見るに、小癪にも越えてはならない一線は弁えているらしい。
老婆に丁重に礼を述べたあと、スヤンはコラソンを連れて帰路についた。
なだらかな丘のような古い石垣の曲線を辿り、そのうち赤い屋根の家が見えてくる。それから、スヤンの目に入ったのは────白目を剥いてひっくり返る見知らぬ男と、鉄鍋を握りしめたシャオの姿だった。
「……」
手綱を持ったまま立ち尽くすスヤンと、シャオの目が合う。
「……剣は抜いていません」
「そういう問題ではなくて……」
それは誰なのか。何があったのか。聞きたいことがたくさんあって上手く口が回らない。
スヤンは生まれて初めて、自分が口下手なことを悔やんだ。
***
それは、スヤンがまだ村のあちこちを訪ねて回っていたときのことだった。
朝食の支度をするシャオの耳に、戸口を叩く音が飛び込んだ。
スヤンが帰ってきたのだろうか。表に顔を出すと、そこには軽装の騎士が立っていた。
「どちら様ですか」
「赤蹄騎士団だ」
赤蹄騎士団。メルカードでもその名を聞いた、一帯を支配する領主の勢力だ。
その名前は、ある戦場で寄り集まった違う騎士団の生き残りたちが、自らの血に染まった布に手持ちの蹄鉄を縫い付けて共闘の印としたことに由来する、実力派の集団だという。
しかし、目の前にいるのはあまりぱっとしない、鼻の曲がった男が一人だけだった。
不思議に思ったシャオが何の用かと問うと、騎士は彼女をじろじろと見ながら値踏みするように目を細くして尋ね返した。
「おい、お前ここに住んでるのか?」
「ああ、えっと……」
シャオは冷静に、端的に事実を述べることにした。
「正式な住民ではありません。渓谷の橋が使えないというので、しばらく逗留を」
「それにしては随分と立派な家だがな」
「皆さんのおかげです」
すると、男は茶色の紙を突き出し、嫌な笑みを浮かべて言った。
「保護費を払ってもらう。ベレタ村はうちの管轄だ」
紙を受け取り、目を通す。
シャオはすぐに顔をしかめた。
「……これが保護費? 高すぎます」
「近頃は歪みが多いからな。守ってもらおうってんなら、その分は出してもらわにゃならねえ」
イザリアの領主たちが支配者と呼ばれる所以は、その強さに集約される。
彼らは飛びぬけた実力によってあらゆる災厄から土地を護るが、その代わりに住民へ様々な対価を求める特権を持つ。その代表例が保護費と称される、ある種の税金だ。
そのことはエピから聞いていたが、基本的にまったく出せないほどの額ではないし、そもそも今は心配しなくていいと教わった。
何か変だ。直感的に思ったシャオは、紙を持ったまま、戸を閉めようとした。
「すみません、やっぱり一度、エピさんに聞いて……」
だが、騎士はその手を抑え、ずるりと部屋に這入り込んできた。
シャオの背筋に悪寒が上る。
「金で払えないっていうなら、物を持っていくだけさ」
「ちょっと、入らないでください!」
押し入る騎士の姿が記憶の中の何かと重なり、頭痛に呻く。
シャオの喉に込み上げてきたのは、あの晩と同じ恐怖と憎悪だった。
あの日貫かれた肺の間が冷たく焼けつくようにまた痛む。
騎士は青ざめたシャオを押し退け、しばらく室内を物色していたが、家具や道具の数を見て首を傾げた。
「ほかにも住んでいるのか? だったら保護費も倍で……」
「入らないでって言ってるでしょ!」
男の言葉がスヤンの存在に触れ、シャオの思考は一瞬で漂白された。
咄嗟に、手に触れたものを掴み、がむしゃらに振り下ろす。
本当に恐ろしかったのは、痛みの記憶でも、後悔の苦みでもない。
それは名前のない黒い塊だ。こんなに日差しは明るいのに、未だ、夜の雨は止まないでいる。
***
「という訳なんです、すみません」
「そういうことでしたか……」
簡単な経緯を語り終え、シャオは力なく肩を落とした。
騒ぎに駆けつけ、スヤンと共に話を聞いていたエピは、意識を取り戻した赤蹄騎士団の男に向き直って尋ねた。
「協定では、旅人は保護住民に含まないことになっていましたよね?」
「三ヶ月もいるなら払ってもらう!」
「それでも保護費は半年ずつの計算ですから、半額でいいはずです」
「ごちゃごちゃうるせえな!」
険しいエピの声色に、男は激昂して立ち上がり、手当を受けたばかりの自分の頭を指差した。
「どいつもこいつも騎士団に逆らいやがって! この怪我を見ろ! クソ、こんなに腫れちまった! 治療代も上乗せだ! 妙な新入りは一人ずつ標準金貨で十五枚! 出さないと取っ捕まえるぞ!」
平均的には、保護費は半年に銀貨十数枚程度で済む。銀貨の百倍の価値がある金貨では釣銭のほうが高い。
赤蹄騎士団の保護費が相場より高いのを鑑みてもあまりにも法外な数字に、救急箱を片付けていたルセロが怪訝そうな顔をする。
「全部で……三十枚?」
「手元に残ってる分ではとても足りないな」
スヤンが言うと、周りで聞いていた野次馬の村人たちも流石におかしいと声を上げ始めた。
「ちょいとあんた、そりゃどうしたってかわいそうだ」
「そもそも、ここしばらくは見回りも増やしちゃいないのに、値段ばかりどんどん釣り上げているだろう。どうなっているんだ?」
「黙れ! 口答えしたお前らも値上げだ! 出さなかったらどうなるか、分かってるよな!」
男が見せつける、徴収人の証は本物のようだ。
これ以上文句を言うと、騎士団の剣がベレタ村に向きかねなかった。
「う〜ん、これは困りましたね」
エピが眉をひそめる横で、スヤンは腰の刀に手を伸ばそうとするシャオをそっと窘めた。
「シャオ」
「しかし……!」
シャオは尚も食い下がった。初めこそ自分の起こした騒ぎだからと黙っていたが、それでも騎士を名乗る男の振る舞いは目に余る。
「耐えられません……! まるで、都の官吏を見ているようで……っ」
「落ち着け。ここであやつに手を出せば、村の者もただでは済まぬ」
スヤンはそう言うと、男の傍に歩み寄った。
ここで暮らしているのは、シャオが新しい世界に馴染めるようにするためだ。それにはまず、力で片付ける以外のやり方を知らなくてはいけない。上手く行くかは分からないが、見様見真似で試してみよう。
「家人が迷惑をかけたようだ」
「今更謝っても、取り返しなんかつかないからな」
「しかし我々も流浪の身の故、有り金では過ちを償えぬ。どうかこれで許してはもらえないか」
そうしてスヤンは一本の刀──明天を、騎士へ差し出した。
男は訝しむように受け取ると、鼻を鳴らして呟いた。
「……妙な剣だな」
「鞘と柄に金の細工がついている。刀身も上等な鉄だ」
売ればそれなりになるだろう、というと、男の表情が僅かに和らぐ。
その隙を逃さず、エピも小切手を書きつけて男に渡した。
「とりあえず、村の方の分は僕から払いますから、今日のところは穏便に……」
「……分かりゃいいんだよ。帰る!」
男はひったくるように小切手を取ると、明天を持って逃げるように去ってしまった。
その背を見送り、一息つくスヤンに、シャオは納得が行かないという顔で問いかけた。
「何故です兄上、明天は……」
明天は長くスヤンが命を託してきた相棒であり、睡花会の思い出の詰まった刀だ。
こんなつまらないことで手放してよいものではないはずだ。
それを、自分の失敗で、投げうたなければならなかったのだとしたら。
シャオの声にはそんな自責の念が滲んでいた。
しかし、そうではない、と伝えたい。
スヤンはしばらく言葉を選んだあとに、ぽつりと言った。
「何、気に入らなければそのうち勝手に帰ってくる。昔はあれでよく金を工面した」
正確にいうと副頭が、生活費が足りないと勝手に売り払っていたのだが。
だから気にするな、と言えば、シャオはぽかんとしたあと、目に涙を溜めたまま吹き出した。
それを見て安心すると、スヤンはエピにも声をかけた。
「騒ぎを起こして申し訳ない」
「いえいえ、僕もびっくりしているところです」
その妙な言い方に詳しいことを尋ねると、エピは最近の気がかりについて話してくれた。
それによれば、途中で村人が野次を飛ばした通り、あの男が行なっていた近頃の徴収はどうにも様子がおかしかったそうだ。
メルカードの商館長と話していても騎士団の活動が変わったという噂は聞かない割に、ベレタ村の保護費は上がっていく。
「うーん、やっぱり変なんですよね。いくら何でも高すぎるというか……。どうしたんですかね?」
歪みの数が増している。男が言っていたという言葉を思い出し、スヤンは静かに、街へ向かう道の先を見つめていた。




