第32話 『GW限定トロピカルジュース事件』
「な、奈良? 奇遇だなこんなところで」
「うん、そうだね。福井君もこのイベント来ていたんだ」
奈良は片手に鮮やかな黄色のジュースが入ったカップを持って俺の向かいの席にストンと腰を下ろす。
ブラウンのワンピースを基調としたいかにもイマドキの女子高生という服装に身を包み、それはそれはとても似合っておりいつもの制服とはまた違った良さを醸し出している。
それにしてもなんで奈良が?
別に連休だし、優等生の奈良もイベントに来ることもあるだろうからこうやって鉢合わせることもあるのだろうが、偶然だとしたらかなり低い確率を引き当てたことになるだろう。
しかもよりにもよってまたソラと一緒にいるときだ。
奈良はちゅーっと一口ジュースを飲んでうっかり俺が口走ったことを表情を崩すことなく自然に追及してくる。
「さっき言っていた連れって照さんのことでしょ? 二人がこんなに仲がいいなんて私知らなかったな~。この前はクラスメイトとか言っていなかったっけ?」
ギクリ。
「まあ、なんというか……あれから照と何回か話しているうちに意外と気が合ってだな。まさかイベントに一緒に来るまでになるなんて自分でも驚いていたところだ。こういう出会いっていったいどこに転がっているか分からないもんだな」
慌ててしまったせいか、言い訳くさい言葉を並び立ててしまった。
「そうだね、出会いってとても不思議なものだよね。一目見ただけじゃその人と仲良くなれるかなんて分からない。第一印象ではこの人と仲良くできそう、って思っても意外とそのあと関係が途絶えちゃったり、反対に特に話したこともない人と話してみると結構仲良くなって長続きする、なんてことはよくあるからね」
俺はなんとか話を逸らそうと試みる。
「そうだな。俺もそういう経験はある。小学校の時――」
「でも私の場合だけど出会って二週間でご飯を食べさせあいっこする、なんてことになったことはなかったな~。しかも男の子と」
だが奈良はすぐさま軌道修正をかけて話を元に戻してきた。
奈良の顔は柔らかな笑みを浮かべているが、表情とは裏腹に言葉の端々に俺が気に食わないということをほのめかしてくる。
しかしそれは不思議なことではないだろう。
なにせ本当に友達が百人もいそうな奈良の事だ。
今まではたいていの人と話してすぐに打ち解け仲良くなってきたんだろうが、ソラに限ってはなぜか奈良は少々苦戦を強いられているらしく二人が仲良く会話をしているところを見かけたことはない。
奈良はソラと仲良くなりたいといって全力でアピールしているのにも関わらず奈良とは比べ物にならないほどのコミュ力と人望しかなく、同性でもない俺の方がイベントに誘われてしかも同じテーブルで料理を食べていたんだからな。
俺だって奈良の立場だったら俺が仲良くなれてないのになんでこんなやつに先を越されるんだ? と嫉妬してしまうかもしれない。
しかしこのイベントに行こうと誘ってきたのは俺ではなくソラの方だし、あれは不可抗力だったから俺は特に悪いことはしていない、うん。
「あれは、まあ、しかたなかったんだ。つまようじ一本しかなかったし素手でたこ焼き食べるわけにはいかないだろ」
「あ、本当にしてたんだ。見てたわけじゃなかったんだけど、そうなんだ。ふ~ん」
「あっ、いや……」
奈良は両手をテーブルについてそこに顔を乗せながらじとーっと俺の目を恨めしそうに見てくるので、俺は額に汗を浮かべながら奈良から視線を逸してしまう。
完全に図られたな。
というよりもそもそもの話、こんな学年トップクラスの学力を有する優等生に宿題すらまともにしない劣等生の俺が頭脳で敵うわけがない。
月とすっぽん、雲泥の差である。
ダメだ、こんなに冷静さを欠いた状態ではあることないこと喋ってしまいかねない。
俺は一旦気持ちを落ち着けるためにペットボトルのお茶を一口飲もうとしたが、奈良の一言により俺は気持ちを落ち着けるどころかさらなる混乱へと陥ることになった。
「福井君と照さんって付き合ってるんでしょ」
ストレートすぎる言葉に派手にむせてしまった。
せき込んで息を整えていた俺にいつの間にか笑顔から真剣な顔に変わっていた奈良は言葉を投げかけ続ける。
「別に私、言いふらしたりなんかしないよ? この前教室で話したときは冗談というか場の雰囲気で付き合ってるの? どうなの? とか聞いちゃったけど本当にそうなら私二人のこと応援するし。それに恋することは全然悪いことなんかじゃないんだから。でも私は少し――」
奈良は一人で納得して話を進めようとしてきたので俺は待ったをかける。
「待て待て待て。それは誤解だ。俺たちは本当に付き合ってなんかいないし、ただの腐れ縁だ。それ以上でもそれ以下でもないし互いにそんな気は一切ない」
その言葉を聞いた奈良は嘘を見抜こうとするようにまっすぐな瞳で俺の目をじっと見つめてくる。
じわりと額に汗がにじみ出てくる。
「……本当に?」
「ああ。神に誓ってもいい」
これは嘘ではないし何もやましいことはない。
ただの友達として、いや付き合いのいい知り合いとしてあいつは俺を誘い、俺もただ暇だからという理由でここに来たにすぎないのだ。
何か思うところがあるなら勝てるかは分からないがかかってこい!
そう思いながら今度は目を逸らすことなく強い意志を持って見つめ返していると、奈良は姿勢を正して段々と優しい笑顔になり、いつもの穏やかな雰囲気を取り戻していった。
「そっか。うん、これは本当っぽいね。じゃあ……疑ってしまってごめんなさい! なんだか私が勝手に勘違いしてしまっていたみたいだね。はあ……私っていつもこうなんだ。勝手に思い込んで勝手にその人のためになると思って余計なことしちゃって。反省しなきゃな……本当にごめん!」
奈良は申し訳なさそうに頭を下げ手を合わせてくる。
「いや、こっちこそ誤解を与えるような真似をしたことは反省すべきだ。すまなかった。だが俺と照はさっきも言ったように本当にただの腐れ縁だから奈良が勘違いしたようなことにはなっていないし、今後もなることはないだろうから安心してくれ」
そう言うと奈良は再度「ごめんね」と言ってきたが、そう何度も謝らなくてもいいと伝えると再びニコリと眩しい笑顔を見せてくれた。
こうして再燃した俺とソラの熱愛疑惑は鎮火し一件落着となったのであったが、俺はある疑問の答えを見つけられないでいた。
それはさっきの張りつめた空気は一体何だったのだろうか、ということである。
確かに友達を取られそうになったら不機嫌にはなるだろうが、あそこまで真剣な表情でまるで罪を犯したかのように追及されることはあるのだろうか。
答えに辿り着こうと先ほどまでの不可解なまでに緊迫した時間を回顧し、奈良の心情を推しはかっていると奈良が小さくつぶやいた。
「でも、そっか……」
奈良はほっと肩の荷が下りたように安堵の表情を浮かべた。
そして周りの雑音の中で俺には聞こえないと思ったのか、小さな声で独り言のようにこう言ったのだ。
「よかった……付き合ってないんだ……」
??? よかった、付き合ってないんだ?
今、そう言ったのか?
俺はその言葉の意味をすぐさま理解することができなかったためそれを頭の中で反芻し、理解できるようになるまで咀嚼する。
字面通りに意味を捉えると奈良は俺とソラが付き合っていない、ということをよかったと思っているのだ。
付き合っていないことがよかった? なぜだ?
ソラが俺と付き合っていると友人としてソラに接することができる時間は少なくなってしまうから?
可能性のひとつとしてはなくもないが、俺の感覚で言わせてもらえばそれは考えられない。
万に一つもないだろうが友達、例えば本田が誰かと付き合い始めたとしてつるむ時間が減ったとしてもなんとも思わないし、本当は付き合ってなくても今までとなんら変わりはないだろうから、わざわざ付き合ってなくてよかったなんて思わないはずだ。
だがソラと奈良では俺と本田のように友達という段階にまで達しておらず、これから長い時間をかけて友情を築いていなかければならないから、まずそこの前提条件が間違っているのだろうか。
しかしそのソラと仲良くなるために必要な時間のほんのごく一部を俺に使われることがないからよかった、なんて思うほど俺の知っている奈良は薄情な人間ではない。
つまり、だ。
この言葉が意味することはただ一つ。
奈良は俺が、ソラと付き合っていなくてよかったということを言ったのではないか。
……え? は? え?
これ、夢じゃないよな?
心臓が平常時の二倍ほどの速度で脈打つのを感じる。
コンマ数秒もかからないうちに俺はスパコンをしのぐほどの速度であらゆる可能性を検証した。
そしてはやる心臓を沈めながら最終結論を導き出した。
つまり、奈良は俺のことが――
「あっ! ……えい!」
「……!?」
俺が結論を確定させる前に俺の視線に気づいた奈良は紅潮した顔を上げて、いきなり俺の口にジュースのストローを差し込んできた。
「やっぱり今のなし! 友達から連絡来たからもう行くね! じゃあまた学校で!」
「これはどうすれば――」
「あげる! じゃあね!」
奈良は勢いよく立ち上がると、スマホを片手に照れ隠しのようにそそくさと人ごみの中に紛れていってしまった。
「…………えー?」
あの奈良の様子、それにこの状況。
今の言葉の真意は神と奈良のみぞ知る、という状態であるわけだが……つまりは先ほどの結論通りである可能性は限りなく高いということだろう。
えー、マジかよ……そんなことあるのか? と、腕を組んで空を見上げようと視線を上にあげた時、
「随分と楽しそうに話しておったの」
突然視界の中にソラが現れた。
その声はドライアイスのように鋭い冷気を含んでいる。
振り返ると、ソラが右手に奈良が持っていたものと同じジュースを二つ両手に持ってまるでゴミを見るかのような目で俺を見下ろしている。
「ソ、ソラ……おかえり。お目当てのもの買えたんだな。よかったじゃないか」
「買えたことはよかったの」
含みのある言い方をするソラ。
そして俺の手に収まっている飲みかけのジュースをぎろりと睨むと侮蔑するような目を向けながらこう言ってきた。
「どうやらおぬしにはこれは必要ないみたいじゃの」
かなり不機嫌な様子で俺を睨み続ける。
「ソラ、これには色々と事情があって――」
「これは買えたからの、わしは先に帰る。ではの」
「ちょっと待ってくれ。これは誤解だ。ひとまず事情を――」
説明させてくれ、と俺は言いかけていたのだが言い終わる前にソラは俺のことを振り返ることもなくずんずんと人ごみの中へと姿を消してしまった。
「……ヤバいなこれは」
ドラマとかでよく見る泥沼現場が実際にどんな感じか、今なら分かるような気がする。




