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第11話 『絶望と希望』

「はあ……はあ……はあっ……!」


 ×年×月×日時刻午後11時53分某港湾都市コンテナターミナル。


 大小さまざまなコンテナや倉庫が立ち並ぶ中、街から届く微かな明かりを頼りに一人の少女が今にも肺がはち切れそうなほど息を切らしながら必死に走っていた。


「はあ……はあっ……!」


 服装はこんな場所には似ても似つかない純白のウエディングドレス。


 靴はなぜか履いておらず裸足である。


 汗によって化粧は落ち、綺麗に整えられていたであろう髪も乱れてしまっている。


 だが彼女はそんなことを意にも介さずに走り続ける。


 ただ、ひたすらに、何かから逃げるように。


「はあ……はあ……あっ!!」


 しかし彼女にもついに限界が来た。


 疲労と焦り、そしてウエディングドレスという走りにくいであろう服装もあってほんの少しの段差に足をとられてしまい転倒してしまった。


 幸い足をくじくようなことはなかったが足をすりむいてしまい純白のドレスに血が滲む。


 再び走り出そうとするも痛みで全力では走れそうにないためすぐ近くの小さな倉庫の中へ身を潜めることにした。


 お願い、どこかへ行って……そう彼女は祈った。


 するとほどなくしてダダダダ、と倉庫の近くを数多の足音が通り過ぎる。


 しばらくして再び静寂が訪れる。


 行った……の? 本当に?


 足音は通り過ぎたものの、実際に逃げ切れたとも限らない。


 彼女はおそるおそる倉庫の扉に近づいて開けようとする。


「見いぃつけたぁぁぁ」


 が、彼女が扉を開けるよりも早く扉が開かれる。


 そこには黒のタキシードに身を包んだ小太りの男がいた。


 メガネを掛け、走ってきたせいか額に大粒の汗を浮かべ息を切らしている。


「っっ!」


 驚きのあまり声にならない声をあげる彼女。


「ああ、愛しのマイハニー。ダメじゃないか、逃げたりしたらぁ」


「マイハニー? 誰のことですか?」


「ふふっ、冗談がきついなぁ。でもそんな君も嫌いじゃない」


「……」


 彼女は心の底から嫌悪感が湧き上がってくるのを感じた。


「さあ、早く式に戻ろう。今ならまだ間に合うはずさ」


「誰があなたと結婚すると言いましたか? 申し訳ありませんが私はあなたと結婚する気なんて微塵もありません」


「そこに君の意思が入り込む余地はないよ。僕と君が結婚する、その事実はどうやったって変えられない。恨むなら君のご両親を恨みたまえ」


「あなたが仕組んだことでしょう!? 全部分かっているんだから!」


「証拠でもあるのかい? ないよねえ、そうだよねえ!」


「っっ!」


 悔しさのあまり唇をかみしめる彼女。


 それを見て男が彼女に手を差し伸べる。


「さあ、早く式に戻って愛を誓おう。そして幸せになろう。マイハニー、いや……京子」


 京子、それが彼女の名前である。


「あなたに京子なんて呼ばれたくないです」


「いいじゃないか。これから夫婦になるんだし。んー、でもそんなに嫌ならなんて呼べばいいんだい? ハニー? アモーレ? でもやっぱり京子が一番しっくりくるなぁ。 ねえ、どれがいいかなぁ?」


「やめて!」


「まあそう怒らないで。名前の呼び方は戻った後でゆっくり話そうとしようじゃないかぁ」


 京子こと奈良京子は現状の打開策を必死に探していた。


 この男を突き飛ばして逃げる? いや突き飛ばしたところで入り口付近に数十人はいるこの男のボディーガードに捕まるだけだ。


 上の窓から逃げる? でもどうやって上まで行けばいいのだろうか。


「さあ早く手を取って」


 考えがまとまらない中、男は京子を連れ戻そうとする。


 京子はなんとか時間稼ぎをしようと試みる。


「あなたのような私の両親を騙した人の手なんか取りたくありません!」


「何を言っているのかなぁ? 別に僕は君の両親を騙したわけじゃないよ。君のご両親が経営する会社に新事業を提案しただけ。それで結果的にご両親の会社が多額の負債を負うことになっただけじゃないかぁ」


「そうなると分かっててうちに話を持ち掛けてきたんでしょう?」


「それでも合意したのは君のご両親で、その負債を僕の会社が肩代わりしてあげたんだよぉ? 見返りに君との婚約を求めても不思議ではないだろう?」


 この間にも必死に京子は考えをめぐらすが打開策が思いつかない。


「それにそこまで言うならさっきも言ったように僕がご両親を騙そうとしたっていうしょ・う・こ持ってきてよぉ!」


「っ!」


 この男が両親を騙したという確信は持っている京子であるが、肝心の確証を得ることができなかった。


 おそらくこの男があちこちに根回しをして証拠を隠滅したのだろう。


 こういわれてしまってはどうしようもないのが現実だ。


「さあさあ早くぅ」


 この場を切り抜ける方法も思いつかないためこんな男のもとに行くならいっそ死んでしまおうかとも思ったが、付近に鋭利な刃物なんてものが落ちているわけもない。


 ……もう終わりね、彼女はそう思った。


 もうこの男の手を取るしかないのか? もう逃れる術はないのか?


 手を伸ばすと男はニチャアと気持ちの悪い笑みを浮かべる。


 自分ではどうしようもない。どうすればいいかも分からない。いっそ諦めてしまえば楽になれるのだろうか? そうするしかないのか?


 もう京子の手が男の手に今にも触れそうな距離にまでなっている。


 しかし京子はどうしても諦めきれない。こんな絶望的な状況になったとしても。


 彼女は藁にもすがる思いで口を動かした。


「誰か、助けて……!」


「ぎゃあああ! 避けろ!!!」


 京子の手が男の手に触れる寸前で入り口付近にいたボディガード達が騒ぎ出した。


「何事だあ!?」


 どうやらボディーガードの塊目掛けて黒のセダンが一台突っ込んできたらしい。


 いきなりの出来事に辺り一面騒然となる。


 その車から一人の男が降りてくる。


「懲りねえな、お前も。また女の子一人にこんなダセェ真似してんのか?」


 黒のスーツに身を包み、京子の婚約者とは対照的なすらっとした筋肉質な男。


「お、お前はぁ!」


 小太りの男は因縁があるかのように声を荒げる。


 一方筋肉質の男は小太りの男を意にも介さず京子に優しく話しかける。


「待たせたな、京子。遅れてごめん。もう大丈夫だ」


「……!……うぅ……」


 緊張から解放されたあまり泣き出してしまう京子。


 彼に声を掛けようとするも体が震えてうまく声が出ない。


 しかしなんとか震えを抑え込んで声を絞り出す。


「……助けに来てくれたの?」


「ああ」


 ここまで、自分を助けるためだけに来てくれた、


「本当に……ありがとう……」


 男に感謝を伝えるために。


「……ありがとう……武夫さん……」


 福井武夫のために。

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