第9話 『圧倒的正ヒロインの風格』
それすなわち奈良京子である。
「奈良? どうしてここに」
そう尋ねると奈良は白いジャスミンのような柔和な笑みを浮かべて答えた。
「私もたまにこの図書館来るんだ。それで今日はどんな本読もっかなーって蔵書検索しようとここに来たら福井君がいたって感じかな。あ、ちょっと待っててね」
奈良は何事もなかったかのように話を続け、近くにある椅子を取りに行った。
胸見てたのバレてないよな? この様子を見るか限りは大丈夫か?
それとも気づかないふりをしているだけなのか? 分からないが本人が触れてこないならわざわざ自爆しに行く必要はない。
ほどなくして俺の隣に座った奈良であったが、奈良が座ると同時にふわっと一面に咲き誇る花畑のど真ん中にいるかのようなフローラルな香りが鼻孔をくすぐってきた。
何をどうすればこんなにもいいにおいになるのか教えてほしい。
匂いに心酔していると奈良が目を合わせて尋ねてくる。
目がでかいしまつ毛も長いしチョーかわいい。
「福井君って図書館よく来るの?」
「いや、全然。ここに来るのなんて数年ぶりだな。前来たときに比べて見違えるほど綺麗になってて驚いた」
「そうだよね。私も初めて来たときはびっくりしたよ。ちょうど一年くらい前かな? 改修されて綺麗になって使いやすくなったんだよね」
なんとか取り繕うとはしているもののこんな美少女がいきなり目の前に現れるなんて予想もしていなかったため内心かなり焦っている。
「福井君は今日どうして図書館に? 普段来ないんでしょ? 借りたい本でもあったの?」
これはどう答えればいいものか。
素直に答えたところで何言ってんだこいつ? とか思われるだろうしそれにソラとこのことについては口外しないと約したからな、ごまかすことにしよう。
「まあ、そんなところだな。暇だったしたまには読書もいいかなと思って来てみたんだが、なかなか読みたい本が見つからないからネットで時間をつぶしていた」
「そうなんだ。でもせっかく図書館に来たんだから本読んだ方がいいよ。よければ私のおすすめの小説とか紹介してあげようか? 福井君の琴線に触れるかは分からないけど」
「でも奈良に悪いし、貸してもらっても読むか分からないからな」
「そんなこと気にしなくて大丈夫! すごく面白いから! ぜひぜひ!」
「いや、でも……」
断ろうとする俺であったが、奈良があまりにも純粋な羨望の眼差しで「読んで読んで!」と訴えてくるので、
「じゃあ迷惑じゃなければ貸してもらおうかな。借りてもいいか?」
「読んでくれるの!? やった! ずっと好きな本を語り合える友達が欲しかったんだけど、私がおすすめしても読んでくれる人が少なくて……。でも福井君が読んでくれたら存分に語り合えるからね。ありがとう! 明日と明後日は学校休みだから月曜日私のイチオシ持ってくるね!」
よほど嬉しかったのか、みるみるうちに太陽のように眩しい笑顔になって喜びをあらわにした。
いやもうすんごい可愛いなにこれ。
どっかの誰かさんも奈良の愛想の良さを見習うべきだな。
あと気になっていたんだがその「語り合い」とやらはどんなものなんだ?
まさか二人だけでその小説について話すのか?
ほぼデートみたいなもんじゃないか。
いつもは憂鬱まみれの月曜日があら不思議、急にバラ色に変わっていくではありませんか。
「そういえば奈良、蔵書検索に来たんだろ?俺はただ用もなく座ってただけだから席変わるぞ? いつまでも俺が占拠してちゃ申し訳ないからな」
すると奈良は手を小さくふるふると振って、
「いいよいいよ。私もどうしてもっていうわけでもないし。ここは福井君が座ってたんだから福井君の気の済むまで使うべきだよ。時間あるし私はまだいいから。それに――」
少し間を置いて奈良ははにかんで笑いこう言った。
「まだ福井君とお喋りしてたいからね」
何その表情、破壊力半端ないですって。
あまりの眩しさに直視することすらできない。
これがうちの学校の絶対的エースの力か。
しかも今は図書館内なので俺と奈良は他の人の迷惑にならないように小声で話しているわけなんだが、周りに人がいる中で二人だけの秘密の会話をしているような気分になってなんというかこう……。
今の気持ちは不思議だな。空から降ってきたみたいだ。
そう言われては仕方がない。
「ならお言葉に甘えさせてもらうとするかな」
「うんうん。どうぞ思う存分甘えてくださいな」
顔に出さないようにしてはいるが心はドキドキ、心臓はバクバクである。
しかしドキドキしていようがバクバクしていようが会話は続く。
「そういえば福井君は今日一人で来たの?」
いきなりドキドキしている場合じゃない質問が飛んできた。
本当はソラと来たわけだがここであいつと来たなんて言ってしまうといくら奈良とはいえどもあらぬ誤解を与える可能性があるからな。
少しでも不安の種は摘んでおくに越したことはない。
「そうだがそれがどうかしたか?」
そう言うと、奈良は両手を小さくフルフルと振って、
「うんうん。何でもない。もし友達とか彼女さんとかと来てて私が引き止めちゃってたら悪いなーって思って」
「それは大丈夫だ。俺の友達に図書館に一緒に行くほど聡明な奴はいないし、第一彼女なんているわけない。自分で言ってて悲しくなるが」
「でも彼女さんはいなくても友達、例えば福井君って確か坂倉君と仲いいでしょ? 坂倉君なら来てくれそうな気もするけど」
なぜそこで坂倉が? とは思ったが、ひとまずスルー。
「坂倉? んー……いやあいつも来ないだろうな。というよりあいつ自身じゃなくて俺と坂倉が一緒にどっか行くってなったら自動的に本田もついてくるわけなんだが……。本田は図書館には縁もゆかりもないやつだからな。本田のせいで行かないって感じになると思う」
「その二人と仲いいんだね。いつも話しているし。なんか親友って感じで羨ましいな」
「親友と呼べるのかは知らんがまあそこそこつるんではいるな。というか福井の方が友達多そうだが、そいつらとは遊んだりしないのか?」
「たまに週末とか遊びに行ったりするね。この間も友達と映画館に行ったかな。あ、聞いて! そこですごく面白いことがあって……」
とまあこんな感じで生産性のない話をずっとしていたわけだったんだが、全然オッケー。むしろウエルカムだ。
なんで同じ生産性のない会話なのにあの二人と奈良とでは価値が全く違うものになるんだろうね。
それにあいつらとは違って奈良は話すたびに表情をコロコロと変えていくんだがそれがまたなんとよいこと。
まことに眼福である。
その後小一時間ほど話し込んでしまったところで奈良が柱にかかっていた時計を見て立ち上がる。
「あ、私そろそろ帰らないと。お母さんが心配しちゃうから」
「そうか。話ばっかりしててすまん。結局本探せなかっただろ?」
「大丈夫。また今度来るから」
「暗くなってきてるから気を付けてな」
「うん、ありがとう。今日は楽しかったよ、またね!」
そう言って奈良はニコっと笑いながら手を振って帰っていった。
最後まで余すところなくかわいいな。
俺的にはカワイ子ちゃんランキングは奈良が圧倒的一位だけどな。
全く本田は見る目がないな。
見た目だけで判断するからあの爆睡神が一位だなんて言ってしまうんだ。
見た目より中身の方が断然重要だろう。
まあ奈良に関しては見た目もいいんだけどな。
俺は何気なく壁に掛けられた時計を見ると、針はちょうど五時半を指していた。
……五時半?
「あー、疲れたのう。本は重いし文字は小さいし。しかも神の世界に関することは書いとらん。まだ読んどらんやつもあるがこれは無駄足かもしれんのう。そっちはどうじゃった?」
「……ソラ、一旦話合いを――」
その瞬間、神の手から振り下ろされた鉄槌が俺の頭蓋を直撃した。




