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第3話 破棄を前提に

「あの、クラージュ様。先ほどのお話は……」


 騒然とする食堂で、状況が掴めず立ち尽くしていた私と、真剣な表情でそれ以上何も言わないクラージュ様。

 そんな様子を見かねてかキース様が、ここは任せて二人で話しておいでと言ってくれた。


 今は外のベンチで先日と同じように並んで座っている。


 「アネシス」

 「はい」


 クラージュ様は座ったまま体をこちらに向け、変わらず真剣な表情で私を見つめる。

 そして――


「破棄を前提に婚約してくれないだろうか」


「……はい?」


 至極真面目に頭を下げる姿と、言葉の差異に頭が追いつかない。

 さっき、食堂でも確かに『俺と婚約してくれ』と言っていた。


「破棄を前提に、婚約、ですか?」

「アネシス、君はギブソン伯爵家の子息との婚約は嫌だと言っていたよな」

「はい……」

「父親のもとへ恋人を連れて行かなければならないと」

「はい……」

「その……、俺ではだめだろうか」

「えっ?」

「いやっ、本当の恋人になろうってわけではないんだ。君が好きな人と結婚したいと思っていることはわかっている。だから、破棄を前提にということで……」


 なんだかいつになく歯切れの悪いクラージュ様だが、その申し出は私にとってはこれ以上ないくらいありがたいものだ。

 相手がクラージュ様なら父も文句はないだろうし、レイモンド様との婚約が破談になってしばらくすればこの話も落ち着くだろう。

 その後、クラージュ様との婚約を破棄すればいい。


「ですが、それではクラージュ様にご迷惑がかかりませんか?」

「そんなことはない。俺も、君のような人と婚約したいと思っていたんだ」


 私のような人?

 破棄を前提に婚約してくれる人ということだろうか。

 そういえば、婚約者のいないクラージュ様は来月の王家主催の舞踏会で、一緒に行くお相手がいないと噂になっていた。

 取り急ぎお相手を見繕うにしても、クラージュ様からお声がかかれば本気になってしまうだろう。舞踏会が終われば後腐れなく、解消できる関係でいたいのかもしれない。

 だったら、断る理由なんてないし、私もクラージュ様のお役に立つことができる。


「わかりました。私では力不足かもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」


「力……不足?」


 クラージュ様はなにやら呟いていたが、私はレイモンド様との婚約を回避できることに安心し、心からの笑みを向けた。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、父との約束通り、恋人としてクラージュ様を我がマドリーノ男爵家へ連れて来た。

 父の書斎の前で大きく深呼吸する。

 直前になって、本当にこんなことをお願いしても大丈夫だろうかと不安になってきたが、隣に立つクラージュ様が真顔で言った。

 

「俺が、アネシスに、かなり惚れている……という設定でいく」

 

 真っ直ぐ書斎のドアを見つめたまま、そんなことを言うクラージュ様がなんだかおかしくて思わず笑ってしまう。

 

「ありがとうございます。私たちは想い合っている恋人です。私も、クラージュ様にかなり惚れている設定でいきますよ」

 「あ、ああ。わかった」


 クラージュ様も緊張しているのだろうか。表情はいつもと同じだが、声が少し動揺しているように思えた。


 ドアをノックして書斎へと入る。

 

「お父様、お約束通り恋人を連れてきました」

「クラージュ・ヴァルディと申します」

 

 父はひどく驚いた顔をしている。


「私にはクラージュ様というお相手がいます。なのでレイモンド様と婚約はできません」


 私は、気丈に告げた。

 けれど、父は見開いていた目をしかめ、口を開く。


「どうして、あなたのような人がアネシスと?」


 疑っているのだろうか。

 それもそうか。私のような貧乏男爵家の地味な娘が、かの有名なヴァルディ公爵家のご子息を連れてきたのだから。


「それは、彼女のことを心から慕っているからです」

「どうして、慕っているのかを聞いているのだが」


 想い合っている恋人、という設定通りクラージュ様は私を慕っていると言った。

 父を認めさせるための方便だとわかっているが、少しドキドキした。

 でも、父は食い下がってくる。

 やっぱり無理があったのだろうか。

 クラージュ様だって舞踏会のために私を選んだなんて言えないだろう。


 私が何か言わなければ。

 そう思っていた時、クラージュ様が私の手を握った。


「アネシスはいつも笑顔を絶やさず、穏やかで可愛らしい女性です。朝早くから我々のために美味しい食事を作ってくれ、食堂もいつも清潔で気持ちよく過ごせます。気遣いが細やかで団員たちのことをよく見てくれています。彼女がいるだけで癒されるのです。そんな彼女を、心から慕っています」

 

 聞いていてすごく恥ずかしくなる。

 父を納得させるためだとわかっていても、クラージュ様の言葉が私の心に響いてきてしかたがなかった。

 

「彼女が、他の男性と婚約するなんて耐えられません」


 そして、クラージュ様の真剣な表情に父は顔を緩めた。


「いやぁ、何かの間違いかと疑ってしまったが、そんなにも娘を気に入ってくれてるなんてね。ありがたい限りです。ささっどうぞ座ってください。ほらアネシス、ボーっとしてないでお茶をお出しして!」


 父は手のひらを返したように、へりくだり振る舞いはじめる。

 きっと相手がクラージュ様でなければこうはならなかっただろう。

 本当に地位と権力でしか人をみない呆れた父だ。

 

「どうぞうちの娘を末永くよろしくお願いしますよ」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 満足そうにする父に向かい、頭を下げるクラージュ様に申し訳なくなりながらも、納得させられたことに安堵した。


 結婚を急かす父だったが、公爵家の跡取りという立場と騎士団長としての仕事があるため、婚約期間はこちらで決めさせて欲しいと、うまく言い繕ってくれた。


 無事に話を終え、私は玄関でクラージュ様を見送る。


「本当にありがとうございました」

「礼を言われるようなことではない。明日、また君の料理を楽しみにしている」

「はいっ」


 これで、悩みの種はなくなった。

 明日からまたいつも通り、食堂での仕事を頑張ろう。


 そう思っていたのに――。



「あんたなんかクビよ! 女狐! 恥知らず!」


 早朝の食堂、普段なら絶対にいないベルデさんが包丁を私に向けて立っている。


「ベルデさん、ひとまず落ち着いて話しませんか」

「あんたみたいな貧乏で地味な男爵家の女がクラージュ様の婚約者なんてつり合うわけないじゃない! どんな卑怯な手を使ったの! 恥を知りなさいよ!」


 ひどく興奮し、我を忘れたかのようなベルデさんは、持っている包丁を振りかざす。

 逃げなければ。頭ではそう思っているのに、足がすくんで動けない。

 

 もうダメだ。


 そう思った時、突然横から腕を引っ張られ、気づくと大きな逞しい腕の中にいた。


「……クラージュ様」

「遅くなってすまない。怖い思いをさせたな」

「いえ……ありがとうございます」


 しっかりと抱きとめられた腕の中でさっきまでの恐怖が解れていく。

 そして腕の中からベルデさんの様子を窺うと、包丁を持った手ごとキース様に抑えられ、身動きが取れなくなっていた。


「恥を知るのはどっちだろうね」

「キ、キース様? 何を言っているのですか?」


 するとそこに、知らない年配の男性が入ってきた。


「ベルデ、お前を信頼してここを任せたわしが愚かじゃったようだ」

「おじい様! どうして?!」


 ベルデさんのおじい様? ということは前料理長だろうか。

 ベルデさんを見ながら険しい顔をしている。


「君が、国からこの食堂に充てられた予算を使い込んでいることはわかっているよ」

「っ!!」

 

 キース様の言葉にベルデさんの顔色が変わった。


「従業員は今はアネシスちゃんだけ、それなのに仕入れる食材はどんどん質素なものになっているし、おかしいと思っていたんだ」


 そして、後から来た他の団員たちにベルデさんは連れていかれた。

 

 確かに食材費はだんだんと減っているなと感じていたが、まさか国費を使い込んでいるとは思っていなかった。

 国のお金を着服していたとなれば、大きな罪に問われることになる。


「アネシスさん、申し訳ないね。新しい従業員はわしが責任をもって手配する。だが、そうすぐにはみつからなくてね。大変だと思うが少し待ってくれるかい?」

「はい。こう言ってはなんですが、今までも一人でこなしていましたし、大丈夫ですよ」

「すまないね。なるべく早く手配するようにするよ」


 おじい様は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 一時騒然となった食堂だったが、私は気を取り直し、いつも通り料理をする。

 そして団員たちもいつも通り私の作った料理を食べた。


 ベルデさんがいなくなって少し寂しそうにする人もいたけれど、みんな『美味しいよ』『いつもありがとう』と声をかけてくれた。


 その後キース様の話によると、ベルデさんのおじい様が、つぎ込んだお金をすべて返納しベルデさんは釈放。

 大きな罰則を受けることはなかったが、ベルデさんは田舎の領地で生活することになったそうだ。

 

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おじいちゃんはまともだったのか可哀想に
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