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八丈島のクラゲは砥石を研いで針にするの、16

 「とーるっ()!」

 

 意識不確かなままだったが、聴き慣れた声で我にかえる。

 ――がっ、はッ!と咳き込んだことで、まだ生きているという実感が灯る。

 目の前に、黒く先端を尖らせた熱気を孕む塊があった。顔まであと残り数十センチというところでそれは止まっている。ただ、恐ろしいほどの熱さと質量が、事態を「まさに間一髪だったのだ」と告げていた。

 

 「――死んでないんだ、な?」


 は、ははっ――。コクピットから背が浮いていた。目の前の刃に自ら裁きを求めでもしたかのように、体が傾いていた。


 柊陸曹はここでようやく息をついた。

 正面のモニターが完全に死んでいて、両サイドも半壊の状態だ。右側のモニターに久能1士の泣き出しそうな顔がノイズまじりに映っている。

 フットペダルを思いきり踏んで、おそらく前方にいるであろうヤックを蹴り飛ばす――が、手ごたえがない。幸いまだ動くアタックトルーパーの両手で目の前の刀を引き抜く。

 「これでようやく前が見える」

 久能が横槍を入れたために武器もそのままでヤックは飛びのいたのだろう。切り裂かれたコクピットの隙間から有視界でヤック()が確認できる。

 本来であれば緊急を告げるアラートが鳴るべきところなのだろうが音はどこからもしてはいない。鳴らすのをあきらめるくらいの深手を負っているのかはたまたモニターと一緒にアラートブザーが壊れたのか。

 稼働に支障がないから――到底そうは思えないが、下手にピンチを煽ってこないのは助かる。


 「久能1士も無事で何よりだ」

 「そんなボロボロの状態で言わないでよ!怪我とかしてないの!?」

 「あいにく俺もコイツも頑丈なんだよ」

 久能機から見てこちらはよほど重症に見えるのだろう。彼女の不安な表情は揺るがない。

 機体状態を表示する画面が全損していて客観的に自機を判断できない。生きている場所を手探りで動かしてみる。

 両手、両足はまだ無事か?細かい操作をしてみる。多少異音がすることと反応が少し遅れてくること以外は特に問題はなさそうだ。ブースターも――大丈夫、ちゃんと吹けあがる。

 

 ――残るは視界だけだが――。


 刀傷を入れられた場所から風が吹き込んでくる。前面モニターは完全に沈黙していたから、今は傷から見える景色だけが柊の前方視界だ。せめてコクピットだけでも開けばいいのだが、ハッチは圧し潰されていてキュルルというモーター音が物悲し気に空回りを繰り返すだけだ。


 「ここは一時撤退を!」と久能。


 彼女の正論が刺さる。ここで退いたとて、いったい誰が自分を責めるだろう。いや誰も責めはすまい。

 それどころか目前の敵機との交戦記録を持って帰投すれば十分な戦果として評価される可能性だってある。敵の新型には「日本語を使う何者かが搭乗している」という情報は、言葉を直接耳にした柊以外知り得ない貴重なネタだ。

 こうして自分が九死に一生を得たのも、その情報を報告するために天が差配してくれた奇跡なのかもしれないではないか。

 退くべきだ――。そう決断して、倒された機体を立ちあがらせる。正面にヤックがいる。敵はこちらの動きを()()様子見しているようだった。

 その佇まいには余裕さえ感じられた。おまえらごときいつでも倒せるんだぞ――。そう言われている気がした。

 胃のむかつきが最高潮に達してきて、柊はコクピットで嘔吐反射(えずい)た。空虚な音がしただけで口からは多少の唾が出ただけだったが気分は最悪だった。

 そんな時、視界にある()()が目に入った。


 「久能1士」

 「撤退ですね?」久能がようやく決断してくれましたか、と胸をなでおろした瞬間だった。


 「撤退は――もう少し待ってくれ」


 「隊長⁉あなたは一体何を血迷って――!」撤退するものとばかり思っていた久能機が踵を返した流れで、柊陸曹が言い放つ。久能は柊が自棄になったのだろうかと疑った。


 「悪あがきをさせてもらう。やられっぱなしは性に合わないんだ」

 自暴自棄とは思えない落ち着いた声が、久能の耳に届いた。


 まさかノーシェイプにいい格好するためだけに意地を張るつもりなの?久能の脳裏に二年前に出会ったレディーボーイ(マレ)の姿が去来する。


 まさかあの男のことが忘れられないなんてことじゃないんでしょうね。あれは女のナリをした男なのよ?まだあれを女と信じて疑わないと思っているのなら――どうかしてるわ。久能は自分も反射嘔吐しそうになるのをかろうじて抑えこんだ。

 

 


本日のあとがきはお休みです。おやすみなさいw

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