民間警備会社(有)ミンケイの事情の、2
東京都町田市。いまや都心よりかは多くの人口を抱える中級都市の扱いを受けている街で、ミンケイの本拠地を抱える場所として一部有名な場所になっている。世間にはあまり知られてはいないことであったが、記念すべき第一次移民船団は町田市の山間に設けられた基地から宇宙へと旅立っている事実があった。
船団長カルマラビーは「別にマスコミに対しての圧力に屈したわけではない」と、後にコメントを公表している。
東京都にありながら、秘密裡にであるとか、早急な対処が必要な案件である、といったおおよそ誰かの都合による物事を起こそうとした場合に対して都合よく使われるのには、この時代の町田市という場所はひどく適していた。
勿論それは60m級の騒音と公害甚だしい超大型マシンの製造及び運用をするにあたっても、隠れ蓑として大変融通のよい土地と言い切れた。
たとえ人口が激減していても、都心で容易にワンダバできる環境を得るのは困難だ。マッドなサイエンティストどもが妥協をほとんどせずに都会で好き勝手するには、当然それ相応の適合環境が必要だった。
そういった意味で同門の研究者たちが互いの意見の相違によって袂を分かち、蜘蛛の子を散らすようにこの町田市から去っていったのは残された者にとっては僥倖と言えなくもなかった。
当時四人いた科学者たちのうち、
カルマラビーは第一次移民船団長として外宇宙へ。
丸目長恵は八丈島の研究所へ。
もう一人は素性不明の女を追って所在不明になっていた。
自分以外誰もいなくなった町田の施設は、見た目あばら家に近い研究所と施設には違いなかったが、強度の脆弱性を悲観しなければ当時最新鋭の研究機器と敷地が確保されていた。
言うなれば、残された者勝ちで、当時もっとも権威の低かった佐藤次郎にとっては降ってわいた幸運と言わざるを得ない状況だった。
当初は研究者のうちの誰かが戻ってくるのではないかと気が気ではなかった彼だったが、一年経ち、二年目を迎える頃になると、もう誰が戻ってこようが敷地を明け渡す気はないという確固たる気概を得るに至っていた。
娘夫婦が孫二人を置いてこの地を去ったときも、すでに神宮寺時宗と自称し始めた彼にとっては有益なパイロット候補生が二人確保できたとほくそ笑んでいたほどだ。
そして今、さびれきった町田市の有限会社『ミンケイ』の安普請な扉を叩く者が現れた。
年の頃は十代半ばか、その少年の瞳には後には引かないと決めた男の確固たる意志が宿っていた。
彼は自分を月影アラタと名乗った。
その名ひとつで、神宮寺時宗は彼を第六のパイロット候補生として採用を即断した。
彼の面差しに若干の違和感を覚えながら――。




