インターミッションその2 それぞれの内部事情の、9
「あのまま彼を帰してしまってよかったのですか」PCから女性の落ち着いた声がした。
「麦も米も時期が来なければただの草だよ?」
「――仰っている意味が理解できません」切鍔の言葉に女性の声があきらかにトーンダウンした。
「そうだろうね。君はまだまだ学習が足りないみたいだからね」
切鍔は女性の声に対してまったく気遣いを見せることなく、おもむろにデスクの上のPCモニターを切った。
「そんなだから君はインヴィジブル・ピンク・ユニコーンなんて揶揄されるのさ。まあせいぜい便利に使わせてもらう」
切鍔は自席の椅子に深く腰を掛け、大きく深呼吸をした。壁のモニターが、トルーパーズの三人と遥少年が庁舎を後にする映像を映し出していた。
「君らもそうだ。日本の平和のためにしっかり頑張ってもらうよ」
切鍔の手元には、先だって柊たちに話した後付けのアーマーシステムの資料が広げられていた。
「この規格ならあるいは――。希望は、まあ多いに越したことはないよね」
現在の都内で自衛隊のトレーラーが通ることのできる道は限られている。東京を支えてきたインフラはすでに整備されなくなって十年以上経っていたから、ところどころアスファルトは沈んでいたしひび割れからいまにも瓦解してしまいそうな場所も多くみられた。
そんな状態でもかろうじてやっていけているのは、人々が東京から疎開していったことにより人口が極端に減少したことと、交通機関の停滞によって残った人たちの地元定着が進んだ結果だ。
大気汚染が減り、化石燃料の枯渇も随分ゆるやかになった。
「道が悪けりゃわざわざ車も走らせませんもんね。最初からこうなっていれば環境破壊も収まっていた――なんてのは皮肉でしかない話」田辺が軽口を叩いた。
「そもそもガソリンが手に入らないでしょ?配給に人が並んでいたのも今となっては昔の話だわ」
久能がため息をつく。そういえば配給で並んでガソリンを転売していた奴らもいたっけな。
「まあ、ガソリンも普通に保管して、持って半年くらいですからね。モノが入らなきゃ遅かれ早かれ乗る人間もいなくなりますよ」トルーパー輸送のためのトレーラードライバーが久能の方をちらっとうかがってそんなことを言った。
子供心にも下心を感じるドライバーの視線のやり様に、遥が顔をしかめる。
「でも地方ではまだ車は全盛だって」
「まあ、それもいつまで続くかですね」
「東京から逃げ出したお金持ちがインフラ維持してるって、デマなんですか?」
遥が矢継ぎ早に質問してくるため、ドライバーは久能から目を逸らさざるをえなくなっていた。
ぶっきらぼうに「そんな言うならあんたが実際見てくりゃいいさ」と吐き捨てる。
ありがと、と事を察した久能が遥の頭をやさしく撫でた。
「いえ、ああいうの、許せないから、いいんです」
赤面を気取られないように、あえてそっぽを向く。
道がいよいよトレーラーの走ることのできない領域に入ってきて、遥は自衛隊の皆と別れを告げた。
「一人で大丈夫か?なんなら、俺がついて行ってもいいんだぞ?」と柊。
「連絡先、交換したんだから、いつでも連絡してくれていいんすよ?」と田辺。
親指を立てて、言葉なく激励をくれる久能。
「ありがとうございます。でも、皆さんや切鍔さんに、ちゃんとした答えを自分の口で言えるように、自分の言葉で答えを見つけてきます。また連絡します。今日は、送ってくれて――いえ、色々と、ありがとうございました」
そうだ。邪推なしで父親と向き合って、出した答えをちゃんと伝えよう。
その義務が、自分にはある、そう遥ローエングリンは確信していた。




