黒い兎の子、の15
にわかに信じ難かったが、目の前で起こったことが全て真実だとするならば――。柊陸曹は思い切って目の前の光の巨人を仰いだ。
おおよそ顔らしき場所はアタックトルーパーのメインカメラにズームをかけなければ直視できないところにあった。
「さっきの少年なんだよな」
「敵じゃないというのなら応えてくれ」
「――聞こえているか?」
三度目の問いでようやく動きがあった。上だけを見ていた光の巨人の頭部が下に向く。
聞こえて――います。
少し間をおいて「僕はあなた方の敵では――ありません」
巨人の声は落ち着いていて、ゆっくりとした口調からは荘厳ささえ感じられた。
話が一方通行でないことに柊は安堵した。少なくとも『前門の虎、後門の狼』の構図を回避できる可能性が残るだけでも大きい。
柊の頭は、少なからず混乱していた。いや、こうしている今でも混乱している。何度も本部にコールを繰り返しているが電波障害のせいかつながらない。ツーッという低く長い電波不調の音がさながらBGMのように流れていた。
しかし、上層部の指示を仰げないことと電波不調のもたらす低い電子音が、かえって柊のおぼつかなかった覚悟を確固たるものに変貌させてきていた。
もともと柊は指示待ち人間の類ではない。
臨機応変と言えるほど器用ではなかったが、座して死を待つ潔さもまた持ち合わせてはいない。
――今できる最善はなんだ。
雑な頭が生む直感的感覚は、時に正確な判断を生む。
そのことを柊陸曹はこれまでの経験則で理解していた。
もちろん選択した結果が100パーセント正しかったことはなかったが、相応の確率で正解だったことが多かった。
だから柊は今回もその感覚に従うことにした。
「敵じゃないなら、その黒いデカブツを押さえ込め!」咄嗟に口をついていた。
「――バカ陸曹!あんたって人はまたそうやって後先を考えもせずにッ!」久能の通信がノイズまじりに飛び込んでくる。彼女自身、柊の突発的判断に助けられたこともあった。しかしまた同時に、判断の裏目を見ることも少なからず経験していた。
こんな大事な局面にあって自分では決してできない判断を下す柊に、感嘆する反面、恐怖もまた覚えていた。スロットルを上げる。機体が障害物の間を滑るように加速していく。引き金はさっきから引きっぱなしだった。モニターの残弾を示す数値が赤く点滅している。次の武器を探す。
久能に退く気配はもはやない。
「無理ですよ久能さん、こうなったらあの人は止まらない。時間だって――ないんですから」
自身に言い訳を噛ます形で田辺が呻く。キャノン砲の撃ち過ぎで耳なりが止まない田辺だったが、久能がこの場面で柊に対して何を口走ったのかくらいは理解していた。
全幅とまではいかないまでも、田辺2士自身、柊陸曹をある程度信頼している。
このまま巨大獣が予定通り墜落すれば田辺自身も下敷きになる位置にまで間合いを詰めてきてしまっていたことがそれを如実に証明していた。
落下まで時間がないのに、遠距離支援型らしく遠間から砲撃を加えていれば良かったものを。
自嘲気味の笑いが浮かぶ。
的を絶対に外さないためと武器の威力数値を上げるために、田辺は中距離まで移動していた。自責の念はある。が、そのことに関して後悔の念は微塵もない。
遥ローエングリンの視界に、自衛隊の三機が連携して渦中へと突っ込んでくるのが見えた。
まるで豆鉄砲の攻撃じゃないか。
そんなんでいったいなにをしようっていうんだ。
思考が大雑把なものに包まれるなんとも不気味な感覚が遥を襲う。体中の細胞がなにも考えずに間延びしたような、雑な感じ。
「気持ち悪ぃ――」
遥は両腕をかろうじて天に伸ばして巨大獣を受け止めた。
そして同時に、地面にむかって盛大に、嘔吐した。




