黒い兎の子、の5
「各機、円盤の掃討を急げ」柊陸曹の指示が飛び、呼応して久能1士のガントルーパーと田辺2士のキャノントルーパーがそれぞれ迅速に動きを変えた。
「逃げる場所が決まっていないなら三鷹駅の方へ向かうといい。私達はそちらの円盤を掃討してここまで来た。闇雲に逃げるよりかその方が安全だろう」
柊の言葉に眼下の少年達が頷き、赤いスカートの女児がこちらに向かって「ありがとう」と声を上げたのが確認できた。コクピットの中が見えるはずもなかったが、柊はニコリと口元をほころばせ、未来を担うであろう幼い生命に軽く会釈を返した。今回に限ったことではなかったが、無人偵察円盤の意図がまるで読めない。なにかしらのトリガーがあって機械的にただ動作をこなしている――そんな感覚があった。故、柊には奴らとの意思の疎通は現時点では不可能に思えた。
こういった現場の感覚を、うちの馬鹿コンピューターはまるでわかってない――。今回の出撃で柊のアタックトルーパーの装備がナイフからマシンガンが追加された仕様になっていた。以前より使いやすくはなっているが、根本的なところがズレているんだって、そう呟いて柊は短い舌打ちをした。
膝立ちだったアタックトルーパーを立ち上げ、柊はアクセルを踏んだ。足元に内蔵されたブースターが静かな息を吐く。
「すげぇ!あれが自衛隊の最新鋭機か。まるでアニメに出てくるロボットじゃないか!」寺門が感嘆の声を上げた。
その場を悠然と去っていく柊機の後姿を、おもむろに取り出したスマホで連写する。
「そんなことしてる場合じゃないって!早く逃げようよ!」浄然が寺内の袖を引き、怪我をした子供の手を握っている。足は自然と三鷹駅の方へと向いていた。
視線をそのまま遥の方に向ける。さっき見たのは単なる見間違いだったのだろうか?遥の髪の色は変わらず艶のある栗毛に見えた。
銀色に見えたのは爆風のせいだったのかもしれない――。浄然は腑に落ちない感を拭うように、自身にそう言い聞かせた。
他方、遙は自分の身体の異変に戸惑っていた。身体の奥、ちょうどヘソの下あたりが熱く、小刻みに胎動している。強制的にポンプで空気を吹き込まれている感じだ。血が迫り上がってきて、鼻血が吹き出す。呼吸が荒くなって息が、できない。顔がみるみる赤くなっていく。
げえッと音を上げて、吐く。しかし胃液以外なにも口から飛び出してはこない。その場でうずくまると、何事かと、寺門と浄然が駆け寄って来た。心配を誘うまいと必死で症状を抑える。遙は咳き込みながらも右手を二人の方に伸ばして「大丈夫」とアピールをした。
これまで遥は病気らしい病気を経験したことがない。当然今だって体調不良の予兆なんかは微塵もなかった。吹き飛ばされた円盤に目をやると、円盤自体がまだ完全沈黙はしておらず、聴き慣れない機械音を耳障りな高音で発していた。それは昆虫の関節が時折鳴らす音に似ていた。
遥迅速の実家で見つけたタマムシを捕まえた時のことを思い出す。指から逃れようと足をばたつかせてもがくタマムシが垣間見せた関節の色。エメラルド基調の美しい甲殻の隙間から覗くそれがあまりにも人の肌の色に似ていて、思わず戦慄を覚えた。そしてどこからこんな不気味な音を出しているのか、もがくたびにギイギイと軋んだ音も、耳の奥をざわつかせてくる。
全身に寒気が走ってほとんど反射的に、遥は捕まえたタマムシを地面に叩きつけていた。
正直、気持ちが悪いと思った。
虫なら虫らしく関節だってもっと硬質な色彩であるべきだ。なぜ人の肌の色に酷似しているのか。
目の前の円盤を改めて見た瞬間、遥の中でその時と同じ嫌悪感が膨れ、そして爆発した。
虫は、虫であるなら、駆除しなきゃいけない。それが人間に害を及ぼすのであれば、なおさらだ――。
あきらかにすり替わった問題点を、遥は頭で理解はしていた。しかし感情が上手くコントロールできない。ヘソの下あたりから尖った熱い胎動がまた動きはじめ、ぐつぐつと湧き上がってくる。
感情のベクトルが、あきらかに遥の意図しない方向にシフトしていくのがわかった。
敵は――、いや、敵であるなら、駆逐する――。
三鷹市を包む曇天の空に、巨大な黒い影が音もなく現れたのは、まさにその直後だった。
全長50m超――高性能レーダーを搭載した田辺2士のキャノントルーパーのモニターがそう告げていた。
背中になにかをを担いだ人間――?。
威圧的ではないものの、その姿はそこはかとない恐怖を、地上に示していた。




