黒い兎の子、の3
東の空が黒雲に覆われたかに見えた。
しかしそれが雲などではないと気づくまでそう時間は要らなかった。
金属が擦れ合う冷めた音が三鷹市上空に広がっていく。その数は数十――。
「あれって、噂の円盤じゃない?宇宙人の……」
小刻みに震えながら浄然薫梨が声を絞る。不安からだろう、力が抜けた手から抱えていたバッグが落ちて耳に残るほどの音がした。バッグがそう重かったわけではない。押し黙った雰囲気に唯一違和感のある音がしたというだけの話だったが、居合わせた三人ともがその音に危機感を得たのは間違いなかった。
上空高く飛行する円盤のいくつかが、あきらかに音に反応して下降してくるのが見えた。
「やばいって、逃げよう」
真っ先に動いたのは寺門だった。浄然の落としたバッグを拾い上げると建物の混み入った路地へと走った。浄然と遥もそれに続く。
「兎に角、上から見えないところへ行かないと」
「そっちは駄目だ、反対側に行かなきゃ」遥が先頭を走る寺門に向かって叫んだ。
「そっちは商店街だ。人がいるんだぞ」
「狙い撃ちされるよりかましだろうが。このままじゃいい的だ」
寺門は逃げる方向を変える様子はない。遥が袖を引っ張り、無理矢理に寺門の足を止める。急な静止に寺門のすぐ後ろを追っていた浄然が寺門の背中に突っ込んだ。
「だからそっちは駄目だって!」
「人数が居れば居ただけ俺たちが狙われなくなるって、それくらい分かるだろ!?」
「だからって関係ない人たちを巻き込むのは良くないよ」浄然も大きな目に涙を浮かべながら寺門の袖を引っ張る。
「関係なくなんかない。東京に住んでたらこうなるって知ってて皆とどまってるんだ。今は生きるための最善を尽くすべきだ」
「だからって、こんなやり方は駄目だろ、どうかしてる!」遥の言葉にも寺門が耳を貸す気配はない。寺門の目は真剣そのものだ。
「俺は、俺の知ってる人間にこれ以上死んでほしくないんだよ!」
寺門防主は戦災孤児だ。もともと都心のそれこそ由緒ある寺の跡継ぎだったが、宇宙人の最初の侵略があった際、迎撃に出た駐留米軍の戦闘機と円盤の戦闘に巻き込まれて家族を失っていた。寺が燃え、建物の柱に押しつぶされる形で両親は死亡、妹も火災に巻き込まれて行方不明になっている。今は後継者のいない同門の寺での預かりの身だ。
住職に子供がいないと、寺ってその一代限りでお役御免になるらしくって、そしたら余所から坊さん連れてこなきゃなんだってさ――今の住職俺の両親の同期で同門だから全く知らない人でもないんだ。まあ、お互い渡りに船だったみたいでさ。ああもちろん不自由はしてない。むしろ過保護なくらいさ。ありがたいと思ってる――横顔に寂寥を漂わせて、いつだったか寺門がそんなことを話してくれたことを思い出す。遥だけじゃなく、浄然も寺門の事情については知っていた。だからこそ寺門の言葉にそれ以上強く言うことをためらった。
円盤は、どら焼きのような形をしている。カステラ状の生地を重ね、本来なら餡が見える部分から高速回転する鋭い刃物を出して飛行する。その刃物で頑丈にできているはずのビルや建物を切り刻み、時折真っ赤に光る光線を出して街を焼き払う。動きは機敏で、ビルの隙間を縦になったり横になったりあるいはクルリと回転しながら我が物顔で飛び回る。遥たちが直接見たわけではなかったが、人や動物を攫っていくとも噂されていた。
気がつけば、三人は商店街の並ぶ通りに来ていた。夕飯前の買い物をしていた家族や、少し早めに帰途についた人たちが蜘蛛の子を散らす勢いで円盤から逃げまどっていた。
これなら本当に逃げおおせられるかもしれない。先刻正論を吐いていた遥にさえ、そんな邪とも思える念が過ぎる。頭で間違っていると思ってはいる、しかしこんな時だからこそ生きようと足掻く生存本能が寺門の選択は「正解だ」と伝えてくる。
覚えず安堵する自分に、唇を噛む。
「くそッ!なんなんだよこれはッ!」
知れず、遥の目尻から涙が飛ぶ。




