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髪を擦るの、9

 ケイバ―シューズ二足を懐にかき抱きながらミンケイバーが空を飛んで行く。飛行音とは別に時折マイクに入りこむ雑音は、戦闘で破損したサーメット装甲の傷口から差し込んでくる風のものだ。

 「未練がましくいつまでも見てるんじゃない」鳳皇の言葉はモニターに映った大地駆へのメッセージだ。ジトっと座った目の大地駆はカメラ越しにもいい印象はまったく無い。

 「まあまあ、あれは大地クンでなくとも羨ましい」

 「俺は!断固、羨ましいなんて思ってないからな!」

 まさか太平洋みたいに弛んだ顔を自分もしてるんじゃないだろうな――大地がそのことにようやく気づいたときは、すでに手遅れだった。録画機能のあるミンケイバーのモニターにはここ数十分、大地の酷い表情が余さず記録されてしまっている。

 「両手に花ってか――」

 ロウの搭乗機、ミンケイボディーを映すモニターには、ケイバ―シューズの若き女性パイロット二人の膝を占領して横たわる月影アラタ――いや、遥ローエングリンの姿があった。

 「これで嫉妬しなかったら男として終わってんだろうがよ」

 大地がこれまでどんなにモーションをかけてもいっさいなびくことのなかった美人双子姉妹が、当たり前のようにその若々しい膝をロウに供している。

 「妬くなよ。時間が経てばお前にだって多分一回くらいはチャンスがあるって」

 「俺は今欲しいんだよ!」

 大地が最後に女性とイイ感じになったのは、もう二年かそこら前のことだった。記憶の残り香が頭に甦る。

 「なんて顔してんだ、大地。真っ赤だぞ、お前の顔」

 「――五月蝿ぇよ、オジン」

 『誰がオジンだッ!』鳳と太平、二人が同時に頓狂な声を上げた。


 僅かのあいだ目を瞑っていただけだった。それでも疲れがあったのだろう、左京がいつしかうたたねしていた自分に気づいたのは、右京がしっとりとした瞳でロウの頭を自分の膝にのせて彼の綺麗な亜麻色の髪をいとおしそうに撫でている姿を見た時だった。

 「ちょっと!人が寝てる隙に私のロウに何てことしてくれてんのよ右京!」

 「はあ!?誰があんたのアラタ君よ!今ゆっくり寝てるんだからあんたの声で起きたらどうすんのよ。少しくらい気を使えってのよ!アホ左京」

 「アホっていう方がアホなんですぅ!」

 「この猫かぶり女!今日という今日は決着つけてやるわ」

 「ツンツン女が信条だったんじゃないの右京姉!すっかりメス顔しちゃって、ああはしたないったら!」

 「――メス――顔ッ!?あんた、どこでそういうろくでもない言葉覚えてくるのッ!?」

 右京の顔が一気に耳まで紅潮した。怒気の増した声が鈍器のような勢いでもって左京を殴りつける。


 「ああ、ああ」モニター越しの盛大な痴話喧嘩に鳳が目をそばめて急にキリキリいいだした胃を押さえる。喉が乾燥して言葉も切れ切れにしか出てこない。

 「これは――酷い」と、太平洋も息を吐く。

 羨ましいと思ったのは大地くらいなもので、ミンケイの本部事業所につくまでこの惨劇は延々と続いた。当事者の遥ローエングリンだけがこんな騒がしい中にあって瞬きひとつせずに眠りこんでいた。


 ロウの意識は、深い夢の中にあった。


 誰かに頭をなでてもらっている夢だ。髪を指で丹念に何度も何度も漉かれている。その指は優しく、愛情がひと漉きごとにじわりと伝わってくる。あたたかで、やわらかな匂いがする。目を開ける気にはなれない。心地いいこの時間が永遠に続いてくれることだけが今の望みだ。

 これは、自分の過去だ。

 昔、僕はこうして髪を優しく撫でられていた。

 誰に――?

 それは思い出せない。夢の中で髪に触れる手をつかもうと手を伸ばす。


 ――自分の髪を自分の手で擦っていることに気づいたのは、自分の頭上で右京と左京が今にも取っ組み合いでもする勢いでやりあっているのを見た時だった。

 髪を擦る手のひらに水気を感じて、思わず視線をやる。

 

 なぜだか、泣いている。

 幸せな夢を見ていた気がしていたのに、目尻を伝って流れているのは紛れもなく涙だった。

 「意味がわからないな」

 夢の記憶は、まったく覚えていない。

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