転機の、17
空を自由に跳んでいた鳥が鉄砲で撃たれて落ちていく映像を見たことがある。それまで羽ばたいていたものが急に空中で動きを止めたかと思うと、ほとんど垂直に地面にむかって落ちていく。羽ばたきをやめたのだから当然そうなるのは自明ではあるのだが、空中という自由のきかない場所で突然命が終わるということがこうも残酷であるのかと思い知った瞬間でもあった。
ミンケイランサーに貫かれた双子の搭乗するミンケイシューズ二機は、さすがに鳥のように垂直落下こそしなかったが、空中で槍を受けたまま何度も回転を繰り返したのち、野球のグラウンド跡地に消えていった。爆発していないのが不思議な吹っ飛び方だった。ロウからは槍がコクピット近辺に被弾したように見えた。
「――右京!左京ッ!」必死にインカムに呼びかけるが反応はない。通信が阻害されているせいで声が聞こえないのだと信じたい。一刻も早く安否を確かめに行かなければならない状況だ。しかし、ロウの目の前にはまたしてもヤックが立ちはだかっている。満身創痍であるはずだが、だからといってすんなりこの場を通してくれそうな雰囲気でもない。
「――どけよ!」ロウは吠えていた。ヤックを遠巻きに迂回して双子の方へ向かうという方法も考えたが、そんなことをすれば今度は自分が背後から狙われる可能性だってある。完全に足止めする方法が見つからない以上、ヤックを倒して進むよりほか道はない。
気持ちばかりが先走って、思考と行動がちぐはぐになっているのが自分でもわかった。冷静に自分を見れている反面で、早く二人の傍へ駆けつけねばならないという思いが足を浮きだたせる。
――落ちつけ!
もう一度自分を叱咤する。ここにはもう戦えるのは自分しかいない。
最悪を考えろ。この場合の最悪は何だ。
自分が死ぬことか。それもある。右京達の安否?それもあるだろう。最悪の定義が定まっていないことで、不安要素だけが膨張して次々と角度を変えた羅列を複数生み出していく。
不安はロウの身体にわかりやすく変調をきたしていく。心が危険を察して警告を出してくれているのだ。
両足がロウの意思とはまったく関係なく震えてきて、それが止まらない。胸の奥のざわつきが強くなって、つれて歯がかちかちと、寒さで凍えたような時によく経験する軽やかな連打をを奏でる。目が乾燥しているのがわかるが、瞬きが出来ない。一時でも目を離してしまったら、ヤックがこちらに突っ込んでくるかもしれない。
震える右手を左手で押さえてパネルを手繰る。武器は、ほかに武器はないのか――?
先刻も調べたはずだ。武器はもう残されてなどいない。ロケットミサイルも残弾全てヤックに電撃を加えた時に撃ち尽くしてしまっている。
ではどうする。――どうすればいい?
行き詰ったロウの脳裏に選択してはいけないと封印してきた選択肢が鎌首をもたげてくる。
――逃げればいいよ。
頭の中で声がした。
逃げるって考えるからダメなんであって、戦略的撤退という体をとればいいよ。どだい成人もしてない子供には荷が勝ちすぎたんだ。背中を見せたって誰も責めたりはしないさ。声は続く。
――こう考えればいい。
敵を双子から遠ざける方に自分は誘導したんだって――。どこも難しいことないだろう?ただ後ろに下がるだけさ。逃げるって言葉にどうしても抵抗があるって言うのなら『後ろ向きに前進した』って思えばいいじゃないか。運が良ければ双子も無事で、その上君も無事逃げおおせたとしたなら、もうそれは成功だ。ウインウインじゃないか。
こんなところで意地を張ってさ、まかり間違って死ぬなんてことになってごらんよ。そこでもうゲームオーバーだ。人生はやり直しのきかないゲームだって昔言ってた有名人がいただろう?今はまさにそれだ。震えて思うように身体が動かないんだろう?しょうがないよ。人間だもの。自分の命を最優先に考えるのはなにも恥ずかしいことじゃないだろう?
まくしたてるように次々と甘言が頭に注がれてくる。しかもあろうことかその言葉は自分のものであるはずなのにまるで他人事みたいに客観視した台詞になって直接頭に語りかけてくるではないか。
悪魔のささやきとはよくもいったものだ。
たちの悪いことにそれらが全部、まったくもって正しいことのように頭には響いてくる。
声はある意味で正しいのだろう。ただそれは正しいことのほんの一面でしかないことにロウはかろうじて気づく事が出来ていた。自分にとって都合のいい全てのものは、いつの世の中にあっても香しいし甘いのだ。
正味なところ、逃げ出したい気持ちはある。
そして頭の中で囁く自分が言うように、このままヤックと距離をとれば逃げ出せる可能性は極めて高いように思える。ヤックが武器を作り出してこちらに力いっぱい投げてきたとしても、今の距離から遠くなればなるほど命中率は低下するはずだ。
見捨てればいいよ。自分以外の人間は、どうあったって他人だ。君の両親だって、君を捨てただろう?そういうことさ。それともなにかい?これから先、君の目の前で多くの人間たちが自分の都合でそっぽを向いて去っていくのをまた経験したいのかい?だとすれば、僕から見て君は完全に狂っているというよりないね――。
自分であるはずなのに――いや、自分だからこそこうも的確にこちらの嫌がるまさに「重箱の隅」をつついてこれる。
気をやっていないと一瞬で心が折れてしまいそうになる。
身体の震えはまだ止まらない。それどころか震えは自分でもびっくりするほど断続的に連打のビートを奏でてくる。しかしその一方で、頭だけは思考の構築が進むにつれて、少しずつ靄が晴れクリアになってきていた。
心がこれ以上浮き立たないよう押さえつける冷静な部分が、ロウの中に染み出てくる。
かろうじてそれの尻尾を、ロウはしっかりと掴んでいた。
それを捉えたと思った瞬間、思考が、落ち着く。
頭を去来する行動案のどれも、きっと完全に間違いであるということはないのだろう。
だからきっと、どれを選択しても広い意味で「当たり」といえば「当たり」なのだ。
ロウは肚を決めた。だが、頭ではそうと決めてもすぐに身体は動いてくれない。
だから言葉を奮った。
「間違ったら間違ったで、それはしょうがないッ!」
なにかしらは正解しているところもあるはずだ。今はそれにすがる。
震えは消えない。ただ、もう後退はしない。そう決めた。




