邂逅の、10
自転車を漕ぐ足を止めて地面に片足をつくと、背中から下半身にかけてどっと疲れが沈み込んでくるのがわかった。ここで初めて遥ローエングリンは自分が存外疲労を感じていることに気づかされた。
それほどの距離は走っていない。迅速を撒くために全力であったことは確かだが、よもやここまで疲弊させられるとは思いもしなかった。息が上がり、背中はじっとりと汗ばんでいた。思った以上に自分に余裕がないのだという現実に、今度は寒気が奔る。
このまま逃げるとして一体今度はどこへ――。
まったく思い浮かばない。そして思い浮かぶはずもまたありはしないのだ。
気がつけば郊外に来ていた。もう一杯くらい酒をあおりたい気分だったが、追手がかかっている以上これ以降の失態はできない。酔いつぶれて寝てしまおうものならその時点で終わるといっていい。
八方塞がり――そんな言葉が忍び寄る。
周囲はもう暗くなってきていた。珍しく晴れていた空にはいつの間にか厚い雲がかかってきていて、まだ午後四時だというのに視界はかなり狭くなっている。周囲の暗さに合わせて点灯する街灯がはやくもぽつりぽつりと灯を灯していく。
腹が切なげに、ぐうと鳴った。飲み屋で軽くつまんだ程度で済ませたのがいけなかった。こんなことならもっと腹にたまるものを頼んでおけばよかった。
「後の祭り――か」自然と肩が落ちる。後悔は常に先に立たないがゆえに後悔たりえるのだ。
「――あら?」
あら――?
ロウが顔を上げると、そこには一人――女が立っていた。白のAラインのワンピースが未だ早い宵の風にはためいていた。年齢は自分と同じか――少し上か。ただ、そこに立っているだけでその女は圧倒的な存在感を醸している。数多の触手に睨みつけられるイメージに体が、こわばる。
「たしか――ミンケイの子よね?」その女は滑らかな声で口ずさむ。細い声であるのに耳から脳を侵食されるような甘い声だ。物騒な裏路地を女一人、供も連れず歩いてきたというのか。
ロウ、はあえて応えない。神経の奥の方で「関わってはいけない」と警告が鳴っていたからだ。あきらかに不審だ。タイミング的にもあまりに都合が良すぎる。
それにこの女はもしかすると自分を売ったかもしれない女だ。
――そう、窮地のロウ――遥ローエングリンに声をかけてきたのは誰あろう今朝の正体不明の女だった。
「僕を――尾けてきたのか――?」発した言葉に切れはない。大人ぶってみてはいても十代の精神はまだ脆い。予期せず山積させられた疲労と焦燥が彼の体力を本人の自覚以上に削りきっていた。
「知りませんよ貴方のことなんか。でもね、佐藤先輩には顔馴染みなんです。貴方に義理はありませんけれど、よしなに計らってくださるのでしたら貴方を追っている誰かから匿ってあげてもいいんですよ?」整った白い肌に似合わぬ打算的な笑みが浮かぶ。
「――敵じゃないのなら、恃みます」
遥ローエングリンは打算的な彼女の表情に、迅速との関係性がないことをなんとなく察した。張り詰めた精神は思った以上に限界を迎えていたのだろう。彼女に応えてすぐに、彼の意識はふつりと切れた。
桜の花が咲きましたので明日花見に行くんですよ。冷凍でしょぼしょぼの焼きトウモロコシやお値段以下の胃もたれ必至の焼きそば、ぱさぱさのケバブ。――あれ?私なにを楽しみに花見に行くんでしたっけ?w