邂逅の、6
どうにか慣れてきた月影アラタの一人暮らしは、日々のつつましい生活と自炊の甲斐あってそこそこに順調だった。思えばこの二年でずいぶんと料理の腕前は向上していた。
カップラーメンのお湯を入れるかカップ焼きそばのお湯を切るかしかなかった選択肢は、野菜を目利きしその日の特売品をどうにか形になる体にまで仕上げられるようになった。
フライパンと包丁、鍋。卵を焼く専用の器具まで今ではキッチンに並んでいる。
父親の仕事時間が不定期であったことで学生時代から適当なものを帰りに買って食べるといった生活だったが、それなりにカロリーコントロールができていたのか決して体に余分な肉がつくこともなかった。こうなると実際決断するまでずっと気になっていた「せめて高校くらいは卒業しとけよ」という親の口癖がまったく意味のなかったもののようにさえ思えてくる。
何やかや買い込んだせいですっかりいっぱいになったスーパーのレジ袋には明日渡す予定のクッキーも入っていた。これはスーパーに入る前に寄った洋菓子店で買い求めたものであったが、結局右京達姉妹の好みを知らないアラタが選んだ謝礼の品だ。
女子なら思わず目を奪われるだろうな、と思えたケーキ類も目にはついたが、それはあえて買うのをやめた。渡された方に気を遣わせたら本末転倒だ。彼なりに熟慮した結果だった。
家を出た時に別れも言わずにきた女友達の姿がふと脳裏をよぎった。あいつならきっと「どうせ貰うんだったら生クリームたっぷりのケーキが良かったな」などと冗談めかすかもしれない。
勝手に飛び出して音信不通になってしまったことを彼らは怒っているだろうか。せめてやはり別れのひとつくらい言ってから消えるべきだったのだろうか。
あの時はそうせざるをえなかったとはいえ、我ながら薄情だったかもしれないな、と考えずには居れない。今こうして運良く生き延びているとはいえ、一歩間違えたならその辺で野垂れ死んでいてもおかしくはなかったのだ。
なら、今だったらはたして会いに行けるか――?
そんな都合のいいことを考えて、思わず笑ってしまった。過去なのだ。決して思い至らなかったわけではなかった。ただ、あの時は誰にも告げることなく黙って行かなければならなかったのだ。数少ないとはいえ友人たちに別れなど申し述べて去れば、きっと後ろ髪を引かれてこうも遠くまで来ることはできなかっただろう。
正解だったんだ、これで。
気がつけばアパートに着いていた。手すりや足場に錆の浮かんだ階段は、踏み込むたびにギシリと鳴る。ポケットから鍵を取り出して差し込むと、そこでアラタは妙な違和感を覚えた。
開いている――。鍵を、締め忘れることはない――はずだ。ノブを回さず、手をかけたまま周囲をうかがう。しんと静まり返ったアパート周辺に人影はない。遠くで、さっきすれ違った子供が公園で騒ぐ甲高い声がした。
意を決してノブを回し、ドアを引いた。
薄ら笑いを浮かべた男が一人、そこに居た。
白い髪を後ろでひとつに束ね、牛革の丈夫そうなズボンを穿いている。いかつい黒のブーツを脱ぐことなく土足のまま、小さなダイニングテーブルにそのまま腰を掛けている。
「――よぉ。久しぶりだな。せめて高校くらいは出ておけと教えたつもりだったんだがな」
サングラスを外すこともしない彼の表情からは、二年越しの懐かしさを匂わせる類の温かな感情はいっさい感じられない。張り詰めた緊張感だけがその場をかっちりと支配していた。
「――遥――迅速――!」
遥ローエングリンは、かつて父と呼んでいたその闖入者を、ギッと睨みつけた。
桜が満開のところも多い中、私の近辺ではこのところの寒さで停滞の一途です。お酒を買って、つまみも買って準備は万端なのに残念極まりありません。逆にこうも焦らされるとドキドキが、止まりませんのですけれどw




