邂逅、の3
所長と言った時には反応しなかったのに、「博士」、と「愛人」というワードには端正な眉と唇がわずかにひきつったのを佐藤右京は見逃さなかった。
まあ、愛人にはさすがに反応するでしょうけど。
あきらかに髪の生え際が後退したお爺ちゃんとそういった関係を示唆されれば表情もかたまる。でも所長ではなく博士というワードに反応したというのはどういうことだろう――?
人一倍感情的になるのが早く、気がついたときには相手の胸ぐらをつかんで捩じ上げてのち、ようやく落ち着く。佐藤右京は自身の短気は母方譲りのものだと祖父にはよく聞かされて育ってきた。しかし母方譲りの遺伝はもうひとつの特性をも彼女に繋げていた。それは瞬間湯沸かし器のように沸騰した感情を一気にクールダウンさせて冷静になる資質だ。
そう、丸目長恵のように――である。
「あなたもしかして丸目さんのお孫さん――かしら?」
不意打ちさながらに飛び出した女の言葉に右京は一瞬たじろいだ。
何?この人、お爺ちゃんだけでなくお婆ちゃんのことまで知ってるの――?
「よぉく似てるわ、あなた。あなたのお婆ちゃんに特にか良く」右京の動揺を見てとるや、女は今度は不敵に笑ってみせる。そちらの手札はすでに見越しているぞ――そう口に出された気分だ。
沈黙が流れ、雰囲気は物別れの展開へと推移していく。お互いの引き時を察しつつも、どちらも頭では牽制の言葉を探っていた。それを無意味と判じたのは正体不明の女性の方だった。
「博士にお会いできなかったのは残念だったけれど、別の面白い出会いがあったことには感謝するわ。どうかよろしく伝えて?」そう告げて踵を返す。立ち去った彼女の後には香の残り香が漂っていた。
「――ねえ、月影君さ。あなた今の女性に会ったことない――?」
謎の女性が立ち去ってしばらくたった後で、右京がアラタにそんなことを訊いた。
「いや?僕も初対面だね。初めて、会ったよ………あんな女性」答えたアラタもなにか腑に落ちないところがあった。普段から可能な限り人付き合いを避けてきた自分が、何を思ったかあの女性には話しかけてしまった。見た目――とかではない何かに引っ張られるような感覚が確かにあった。
「わからない。でも僕は確かに彼女に会ったことはない――はずなんだ」
だから月影アラタは加えてそう言った。
「そう――」右京もまた不確かな靄が頭を巡り続けていて胡乱な返事をアラタに返していた。
彼の言うことは確かにホント。それは右京の直感が理解した。腑に落ちなかったのは、右京もまたどこかで彼女を感じたような――そんな気がしていたからだ。
「どこか気味の悪い女性だったわね」彼女の後ろ姿が完全に視界から消えた場所を、右京とアラタはしばらく眺めていた。
事務所に隣接した住居の方から佐藤左京の声がした。
「朝ご飯できたけど、右京ちゃんも一緒に食べない?」
「……驚いた。左京さんてあんな大声も出せるんですね」アラタが予想外に張った左京の声に本当にびっくりしたのだろう意外そうな顔を見せた。
「そうなの。実はああ見えてあの子とんでもない内弁慶なの」
「人って、色々な一面がありますもんね」アラタがふっとか細い息を漏らし視線をわずかに伏せた。
「朝ご飯ができたのはちょうどいいよ。月影君も食べていきなよ。どうせ休みなのに間違って来た口なんでしょ?」
「――ああ、じゃあ、着替えができるんなら」
もうすっかり汗は乾いてしまっていたが、アラタはその提案を受け入れた。まだ先刻の彼女が残していったモヤッとした不安が頭の片隅にあって、それを一人で抱え込む気にはどうしてもなれなかったからだ。




