日流研の事情、の15(丸目長恵の場合、の8)
「はるか――彼方と言います」
目の前の、まだ幼さを残した顔をした少年は、可もなく不可もなし――そういった短い挨拶をした。視線をこちらに合わせないところを見るに、こちらに興味がないのかはたまた女性慣れしていないのか――。
両方なのかもしれないな、と丸目長恵は思った。
挨拶だけ済ますと遥少年はゆっくりと踵を返して、再び部屋奥へと引っ込んでいく。
それを見送る丸目に気を使ったのか、佐藤次郎が「シャイなんだあいつ。歓迎はしてくれてる――と、思う」と毒なのか薬なのかしれない言葉を吐いた。
「――え。ああ、私、気にしてませんよ。陽キャな科学者よりかは幾分マシだと思います」
「なんだか反射レーザーみたいな感じで攻撃されて、傷ついたのは私だけかい?」カルマラビーが思い当たる節を得たような切ない反応を見せる。
「まあ、社交性は大事さ。出資者様相手に専門用語並べたてるような奴に良い研究はできない」
佐藤次郎は自分の姿を鏡で見たことがないのだろうか、と丸目はジッと佐藤次郎を眺めてみた。見た目ですでに相当のビハインドを抱えているように思うのは私だけなのだろうか?とすれば私も相応にヤバイ。
「社交性をキミが説くか?」傑作だ、とカルマラビーが高笑う。
「いいかい丸目クン。彼ときたらこの間せっかく出資をしてくれそうだった相手を頭ごなしに説教して破談にしたんだ。彼は大口になりえたはずだった」
「いや、あれはあいつが合体メカなんて非効率かつ非合理的だなどとぬかすから灸をすえてやっただけで――そもそもあんな奴の出資などこちらから断ろうと思ってだな――」
「それでオケラになっていたら世話はない」
カルマラビーの言葉が思った以上に辛辣だったのだろう、ぐっ、と佐藤が呻いた。
「いいかい。ロボットを造ろうと思ったらまず必要なのは金だよ。施設や設備にも金はかかるし研究成果の維持だってタダじゃない。キミの言うところの巨大ロボットなんかまさに金喰い虫の最たるものじゃあないか。何メートルのを考えているか知れないが、この部室に入る大きさじゃあないんだろう?」
「………ろ、60メートル」
「ほら見ろ!どこにそんなのが入るというんだキミは!今の構想だとこの施設じゃ頭だって入らないだろうよ」金策に余程苦労した思い出があるのか、カルマラビーは尖った台詞を隠すことなく矢継ぎ早に佐藤へとぶつけていく。
丸目長恵はそんな二人の口論を実に頼もしく眺めていた。口論こそしているものの、どちらの言葉尻にも嘘や隠し立てという余分なざらつきを感じなかったからだ。
この二人は自分の目指す研究に対してなんて真摯なのだろう。一切のおべっかや、裏の無いやりとりのなんと清々しいことか。
こういうのをこそ、私はやりたかったのだ。図らずも、涙が出た。
そのことに目敏く気づいたのはやはりカルマラビーだった。
「ほら、見ろ。彼女もキミの不甲斐なさに気づいて泣いてしまったじゃないか。これだから怖い顔をした頭でっかちは始末に負えないんだ。もう貴様はそのまま額を後退させてしまえ!」
「なにを――オノレ!黙って聞いていれば言いたい放題か!これは代々佐藤家の遺伝だ!俺に責任はない!」
「ロボットより先に毛生え薬を開発するがいい!そうすればパトロンなしの自力でロボットを造れるだろうよ!」
このやりとりが功を奏したわけではなかったのだろうが、数年後、佐藤次郎は自身の研究の副産物として育毛剤の研究に成功することになる。ただ残念なことにその育毛剤は開発者の佐藤次郎にだけはまったく効果がない商品となるのだが、それはまた別の話である。
週末雨が降るらしい。昔、山の方からやってくる湿気を含んだ雲をじぃっと見て、やがて来る雨音とかすかにただよう雨の匂いを嗅いでいた記憶を思い出した。アスファルトに叩きつける夕立が、さっきまで嘘のように晴れていた周囲をけぶる蒸気のカーテンで覆うのを見るのがとても好きだった。雨の中で踊ると、上気した肌に撥ねかえる粒が綺麗に映えて、濡れるのも構わず笑っていた気がする。ああいう感動を今の私は思い出すだけで実行しようとは思わない。老けたのかな、と思うw