八丈島のクラゲは砥石を研いで針にするの、21
マレは荒川沿いのベースボールグラウンド跡地に軟着陸して仇敵ヤックを今か今かと待ち構えていた。
「おっそいわね?てっきり私を追ってくると思ってたんだけど……」
当てが外れて覚えず頭を掻く仕草をする。無論ヘルメット越しであるため掻くことはかなわなかったが、掻けないなら掻けないでそれは彼女の些細なストレスになった。しかしヘルメットを今脱着するわけにもいかない。意を決して脱ごうものならコクピットを満たしている緩衝水で、たちまち溺れてしまう可能性の未来が待ち構えている。死ぬかもしれないし、あるいは死なないかもしれないという二択なら、通常の場合死なない方にベットする――はずだ。
爆発音がして、現在地から南東の方で大きな音と煙が立ち上っているのが見えた。
「嘘、まさかあの自衛隊君が頑張っちゃってるわけ?」
道理でこっちを追ってこないわけだわ、と嘆息する。
「頑張んなくてもいいのに――」
手近に飛行していたガルダを一羽捕捉して現場へと向かわせる。
「大丈夫かな」
彼女がそう口にしたのはなにも彼を慮ってだけのことではなく、街が破壊されていくことを懸念したわけでもない。「あたしの金ヅル、今度も壊したら承知しないぞ」という実に彼女らしい理由からだった。
「タァングステエェン!ナッコゥ!」
柊機の拳が空気を切り裂いた。振りぬいた拳から凄まじい風が巻き起って街路樹とひび割れたアスファルト、傾いたビル街を震わせる。打撃が直接ヒットしなくとも相手の動きを脅かすには十分な威力だ。ただ一つの難点を除けば、だ。
「当たってないわよ、隊長。ちゃんと狙わなきゃぁ」久能1士が冷やかしを投げたのはこれで三度目ほどか。
「――るせぇ!こっちだってそれくらい、わかってるんだよ」くそッ、と柊陸曹が焦れた声を飛ばす。
「タングステぇエェン――ナックルーッ!」再び拳が空を切る。
ヤック――の機動力に柊が慣れない機体で踏ん張っている――ように見えるこの構図は、スペインの闘牛士が牛をあしらっている様子に実に近かった。
「クッソ!なんなんだこのシステムは」
顔を真っ赤に染めながら、それでもけなげに敵機に向かう行動は評価に値する。しかし結果が出なければ過程は軽視されるというのが当たり前の世界であり日常だ。そういった意味で柊陸曹の行為はすでに後者だった。
久能京華の見立てからすれば、今現在隊長の対峙しているヤック(?)の機体性能に比して、いくつかのピンポイントの性能においてダントツに金の殻を被ったアタックトルーパー優勢は揺るがないものだ。近接戦闘が極端に不得手な柊陸曹もおそらくそのことに気づいてはいる――そう推察できる。
「――照れてんじゃないよ!叫べっ!そうしなきゃ出せないんでしょ、その技ッ!」
「ぉお前!他人事だと思って言ってんじゃねえぞ!こんなこっぱずかしいこと、これ以上できるかよ!」
「そういうのはせめて一発でも当ててから言いなさいよこの近接音痴!」
「――うおお!くっそうぅ!こうなりゃ自棄だ!」
「喰らええぇえぇ!タングステェェン爆炸ゥナックルゥぁぁああ!」
柊機のタングステンナックルが声に呼応して、振りかぶった状態にもかかわらず右腕から先が鋭い形にフォームチェンジした。振りあげた右拳がこれまでの倍近くに質量を増す。
「ブウーストォオオぉー!」
拡がった右腕のパーツからいっせいに炎が上がり拳に加速を加えた。
それはヤックが十文字槍を突き出したタイミングで膨らみ、三叉の一端を弾いた。槍を巻き込むように絡んだ右拳がカウンター気味にヤックの横っ面を綺麗に捉える。
黒い破片がなおも粉々になりながらアスファルトの上に散らばっていく。
「俺が本気を出せばなぁ、接近戦だっていけるんだ!」
柊が吼えた。それでも興奮下にあってなお「技名を叫ばなきゃ出ないこのシステム」についていくばくかの恥じらいもまた湧きあがってきていた。
今回の話でカネザキ重工の後付けアーマーシステムについて少し謎があきらかになったかと思います。ひとつは「技名を叫ぶ」。これはミンケイバーのシステムと同じ系統のものであり、叫ばないと技が出ないものです。カネザキ重工がなぜ神宮寺時宗の開発したシステムを使用しているのか。さらに数話前にまた別の伏線が敷かれています。これは・・・のちのお楽しみですw