魔導士ディーラー死を覚悟するようです。
天に召されたはずの仲間や敵が当然動き出し、まして自分たちを攻撃してくる様はゴブリンたちをひるませるのに充分だった。私は少女の背中を右手で支えながら少しずつ魔力を送り込む。
「分かるか今きみに魔力を供給してる、回復魔法がうてる準備が出来たら詠唱するんだ」
「は、はぃ、あぁでも杖がありませぇん」
不規則に目玉と手を動かして、顔を歪ます少女に私は苛立ちを覚えながらも幼い子を諭すように投げ捨てられた杖の場所を指示する。
「落ち着いて杖ならほらあそこにあるよ、マーキングはつけてる?」
「はぃ」
「いい子だ、じゃあまずはリターンを唱えて」
「はぃ、リ、リターン」
少女の唱えた呪文で杖は空中に浮かび上がりゴブリンの群れの中を滑空した。唱えた呪文は短いものだったが恐怖で声が上ずってしまったため少女が掲げた右手の指先をわずかにかすめ
「イタッ!」
かわりに私のおでこにクリーンヒットする。
「ご、ごめんなさぁい」
私は予期できなかった攻撃に思わず目に涙を浮かべこぶができたおでこを左手でさすっていた。
「私は大丈夫だから、はやく回復魔法を……」
「で、でも私ぃ魔力コントロールができなくてぇ」
「大丈夫、それは私がやるからきみは魔法を唱えて」
「そ、そんなこといってもぉ……」
「俺を信じてくれ! でなきゃ死ぬぞ!」
「は、はい!」
つい怒鳴ってしまったが、少女はようやく回復魔法を唱え始めた。
「いいぞ。その調子だ」
奥歯を噛みしめながらそれでもできるだけ優しい口調で少女に魔力を供給する。
しかし使役した死体は徐々に相手の攻撃に押されて次々と倒れかけていた。
少女は頷き、杖を胸にあて大きく深呼吸する。
私は詠唱のタイミングを見計らい右手から送る魔力を調整していた。しかし、
「おい、どうしたなぜ詠唱しない?」
少女は杖を構えただけで何かを唱える気配がない。もしや何か考えがあるのではと脳みそを常にめまぐるしく働かせていたが少女は初歩的な回復魔法の詠唱すら口ずさむことはなかった。
まさかこの期に及んで諦めてしまったのか、だとしたらまずいぞ。
「あのぉ、魔力をもっと……もっとください」
「なんだって?」
「もっとたくさんの魔力を……じゃないとあの魔法がうてません」
「あの魔法?」
懐疑的に尋ねると少女は語気を強めた。
「お願いします! もっとたくさん魔力をください!」
驚いた、これ以上の魔力の供給をご要望とは。
私はにわかに信じられなかった。これまで少女に供給した魔力は中級回復魔法程度なら三発うってもおつりがくるほどだ。実際に彼女は初級回復魔法の応酬にも関わらず、詠唱の歯切れも悪く、さらに魔力の使用消費量は中級回復魔法ほどで、燃費も悪ければ、一発一発が安定しないから調整もめちゃくちゃ難しい。そんな中で魔力切れを起こして詠唱までのタイムラグが出ないことを考えたうえで用意周到に魔力を送っていたのだ。
――彼女の言葉信じるべきか否か。
少女の背中に対して正対していたが私は焦りから半身になっていた。死体が倒したゴブリンは死体となって使役できるが回復しなければ永遠に戦ってくれない。それはすなわち持久戦に持ち込まれれば持ち込まれるほどこちらが不利になるということだ。
完全に勝算が狂った私は今すぐにでもこの場を離脱したかった。
しかしどうする? 逃げるなら今のうちだ。
「救いの女神アナスタシアよ、我に……受難を与え、か弱きものを救いたまえ」
少女の口が微かに動き始める。堂々とせずたどたどしい詠唱は呪文というより独り言と言った方が理に適っている気もするが私はその呪文に聞き覚えがあった。
『強き人でいたいなら裏切られても他者を信じなさい』
目の前で盾の役割をしていた死体がゴブリンたちに切り裂かれ一部の死体の動きが鈍くなった。洪水で決壊した堤防が暴れる水の流れを止められないようにほころびが生まれた場所からゴブリンたちがなだれ込んでくる。
「くそ、もうどうにでもなれ!」
私は大きく息を吸い込むと最大出力で自らが蓄えた魔力を放出する。
血管に絡みつくように通った魔法脈がはちきれそうだ。
少女は拙い詠唱を垂れ流しながら杖を空高く構えると眩い光が杖の先からうなりを上げて周囲を照らした。
背後にいた私でも腰を抜かしてしまいそうになるほどの光だ。ゴブリンたちは目と鼻の先で動きを停止させる。
「きみ死にたもうことなかれ治癒爆発!」
少女が魔法を穿ったとき大地は讃頌し空は祝福の鐘を鳴らした。
破壊の限りを尽くしその威力は周囲の地形すら変えてしまうため超A級禁止魔法に認定された烈火爆発。
その魔法とは両極端の特性を持ちながら会得難度は超S級回復魔法、治癒爆発。味方パーティーに対して無差別かつ種族を選ばない全方位に全回復と莫大な経験値を与える伝説の魔法。
私はその伝説を一度だけ拝んだことがあった。二度とこの瞳に映すことがないと思っていたのだが、こんな辺境で、しかも仲間に捨てられた、いかにも要領が悪そうな少女が穿つなんて。
私は大技を繰り出し終わって膝から倒れる少女を地面ぎりぎりで支えることができたが、我慢できずに片膝をついた。だってそうだろう自らに蓄えていた一生なくなることのない魔力の三分の一を持ってかれたのだ。めまいの一つくらいしたって罰はあたらない。
数秒が経ってようやく意識が体に戻ってきた。
ぼやけて見える自分の腕の中には気絶した少女の体が収まりよく入っている。
顔を左右にかぶり振って見上げた視界の先には、骨すら残らずに召されたゴブリンたちの影と死体とは思えないほどの精気を纏ったゴブリンたちの背中があった。